第八話 物語の始まり
つまり、あの物語を誰も聞いたことがないのはこれから起きることだったからということですの?
嘘でしょう……。
つまり私はあの狐……じゃなくて春宮に入内するってことですの?
いえ、そんなことより中の君は?
私は前世であの物語を最後まで聞いたの?
あの姫君――中の君は無事なの?
――無事だったのなら皆があの物語があんなに食い付くはずがない。
中の君がどうなったのか知っている人がいなかったからこそ皆、競って知りたがったのだ。
ということは中の君に何かあったと言う事になる――というか、これから起きるのだ。良くないことが。
出家ならまだしも儚く(亡く)なったりしていたら……。
私は慌てて頭を振った。
縁起でもありませんわ!
と、とにかくもう一度寝ましょう。
まだ外は暗いのだし、あの物語の続きが分かればどうすればいいか分かるはずですわ!
「姫様! 起きて下さい!」
トメの言葉に私は渋々身体を起こした。
結局、夢は見られなかった。
というより眠れなかったのだ。
中の君が大変――かもしれないのに!
「お姉様、また物語読みましょう」
三の姫がやってきた。
「いいわ。中の君と四の姫を呼んできて」
私は女房に言った。
「中の君は縫い物があるのでいらっしゃれないそうです」
四の姫を連れて戻ってきた女房が報告した。
「また?」
きっと山のような縫い物をやらされているのだろう。
私は女房に物語を読んでいるように言い置いて中の君の部屋に向かった。
「中の君、手伝うわ」
私は中の君に声を掛けた。
中の君の横ではツユが勅撰和歌集を読みあげている。
「そんな! お姉様にそんなこと……!」
「私も縫い物が上手くないと困るから」
貴族は自宅で衣裳を作るから良い妻の条件の一つは縫い物が上手いことなのだ(大臣の北の方だろうと自分を含めた家族の衣裳は妻が縫うんですのよ)。
私の言葉に中の君が黙って縫い物に目を落とす。
つられて中の君の手元を見て顔が引き攣った。
かなり下……じゃなくて、ええっと…………………………あまり上手ではない。
これはかなり練習が必要だ。
そのせいか、見たところ直衣や唐衣など一番上に着る衣裳はない。
もっと上達しないとお婿さんを迎えることが出来たとしても年を取ったら捨てられるかも……。
中の君はものすごく可愛いし性格も控えめだから殿方に好かれるだろう。
良い妻の条件は『話(趣味)が合う』、『器量がいい』、『裁縫が得意』、『出世の手伝いが出来る(親が金持ち)』だ。
とりあえず『器量がいい』と『出世の手伝い(お父様が付いていれば確実)』は満たしているし、趣味や相談はお相手の殿方によるのだし、私だったらこんな良い子をお嫁さんにしたら絶対に大切にしますわ!
まぁ容姿は年を取ったら衰えるけど……。
「だ、大丈夫よ、すぐ上達するわ」
私がそう言った時、中の君が外を振り返った。
「どうしたの?」
「鳥の鳴き声が……」
中の君の視線の先にはスズメよりちょっとだけ大きくて背中が黒い鳥がいた。
「いなおほせ鳥はあの鳥じゃないかって春宮様が教えて下さったんです」
中の君が黒っぽい小鳥を指した。
「まぁ……」
春宮も中の君もホントに生き物が好きなのね……。
〝わが門に いなおほせ鳥の 鳴くなべに 今朝吹く風に 雁は来にけり〟詠み人知らず
〝いなおほせ鳥〟というのは勅撰和歌集に出てくる鳥なのだが、どの鳥のことなのか分からなくて昔から色々な人達が様々な鳥の名前を挙げていた。
〝いなおほせ鳥〟がどの鳥の別名か、なんてことを気にするのは学者と好き者くらいだと思いますけど……。
『好き者』には「女好き(または男好き。要は色好み)」という意味の他に「物好き」や「風流を好む人」という意味もある。
どの意味で言ったのかはご想像にお任せしますわ。
「シロがあの鳥を捕まえて殺してしまった時は春宮様は大層悲しまれてたんです」
中の君が言った。
なら犬を放しておかなきゃいいでしょうに……。
「犬はそういうものだから……」
帝の猫を噛んで折檻された犬もいたそうだけど……。
紐で繋いでおけばいいのに。
「いえ、シロは猫です。真っ白い猫なんです」
中の君がうっとりとした表情で言った。
「そ、そう……」
猫なら尚更、鳥を捕まえるのは当たり前だと思うんだけど……。
中の君は本当に生き物が好きなのね。
とても優しい性格で可愛らしいし。
やはり私が守ってあげなきゃ……。
まだ何も起きてないんだもの。
今なら何とかなるはずよ。
何があっても中の君を行方知れずになんかさせませんわ!