第七話 疑惑が確信に変わりましたわ!
「お母様、これ、中の君宛ではありませんの?」
私はお母様に文を差し出して見せた。
「何故そんな事があなたに分かるのですか」
「えっ……そ、それは……」
思わず返事に詰まる。
まさか夜中に春宮と中の君が狐の鳴き真似をしていたと答えるわけにはいかないし……。
「わ、私宛なのですか? 心当たりがなかったのでてっきり……」
少々苦しいが他に言いようがない……。
「どちら宛だろうと関係ありません。どこの誰かも分からない相手ですし、どちらにしろ初めて贈ってきた方ですから」
そういえば……。
贈られてきた文を渡さないのは必ずしも意地悪とは限らない。
文が贈られてきたら、まず最初に差出人がちゃんとした人かどうかを親や乳母などが調べるのだ。
特に左大臣家の姫なら出世目当てで大勢の殿方が文を贈ってくる。
婿にして出世の手伝いをするからには見込みのある者でなければ金の無駄になりかねない。
だから左大臣家ではなくても相手が分からないなら門前払いを食らってしまうのだ(調べる余裕がないとかでない限り)。
そして仮にまともな相手で婿にしてもいいと思われたとしても最初は返事を書かない。
何通か受け取って熱意を認められてはじめて母親か乳母辺りが拒絶するような返事を書く。
文のやりとりを何度か続けてようやく本人が返事を書くようになる。
この辺りで本人に文を渡してもらえるようになるのだ。
そして更に何度かやりとりをして互いの想いが高まってから殿方が三晩続けて通うと婿入りとなる。
春宮からの文だと分かれば中の君に渡してもらえるかもしれないけど……。
というか私がこのまま渡してしまえば……。
ただ――。
春宮が最初は文を渡してもらえないし返事をもらえないという事が分かっているなら?
それなのに下手に渡したりして中の君が返事を書いてしまったら?
それも冷たい内容ならともかく『私もあなたを想っています』なんて歌を贈ったりしたら?
春宮がそれを喜んでくれればいいけど、もし『こんな簡単に男に返事をするような女だったなんて』などと軽蔑されたら?
それですぐに終わりならまだしも遊び相手にされてから捨てられたりしたら目も当てられない。
「中の君は縫い物が下手ね」
お母様の言葉で我に返った。
「これでは左大臣家に相応しい婿は取れないでしょう。もっとやらせなさい」
お母様の指示で女房が布の山を抱え上げた。
あらあら……。
後で中の君の手伝いに行った方がよさそうですわね。
私はとりあえず文のことは保留にして部屋に戻ることにした。
「ところで大君、これは頂き物なのだけれど、あなたが使った方がいいでしょう」
踵を返そうとした私にお母様が言った。
女房の一人がトメに青っぽい香炉を渡す。
「面白い見た目ですわね」
変な形という言葉を飲み込んで言った。
「『あふ』というものだそうです」
お母様が言う。
「そうですか。ありがとうございます」
私が戻ろうとすると、
「今度、春宮がいらっしゃいます」
お母様が言った。
『またですか?』
と言いそうになるのを危うく抑える。
「分かりました」
とだけ答えてそれ以上なにか言われる前に退散した。
「姫様、これはどちらに……」
トメの言葉に、
「そこに置いておいて」
私が部屋の隅を指す。
「姫様、殿(私の父の左大臣)が物語をいただいたそうです」
私の部屋で控えていた女房が言った。
唐櫃を持った使用人が入ってくる。
紙は一枚でも貴重なのだから当然それを大量に使っている本というのはものすごく貴重という事になる。
左大臣の娘に産まれて良かったと思うのはこう言う時だ。
出世したい貴族達がご機嫌取りのために贈り物をしてくれるし、借りた本を書き写すのに紙のことを気にする必要がない。
今回は贈られた物だから返さなくて良いので書き写す必要もない。
「じゃあ、妹達を呼んできて」
私がそう言うと女房達が出ていった。
待っている間に全部取りだして一通り目を通してみたがやはりあの物語はない。
まぁそう上手くはいきませんわね……。
あんなに人気があったのに後世に残らないなんて――。
となると本当に中宮と左大臣家に関するイケナイ暴露話だったから闇に葬られたのだろうか。
なら尚のこと読みたい――!
前世の私は最後まで読んだのかしら?
それなら夢で最後まで見られるかもしれないけど……。
「中の君はいらっしゃれないそうです」
妹達を連れて戻ってきた戻ってきた女房が報告した。
「気分でも悪いの?」
楽器の音は聴こえないから、楽器の稽古中というわけではないだろう。
「縫い物があるそうです」
そんな急を要する縫い物があるとは思えないけど……。
まさか、ホントに私が告げ口したと思ってるから来たくないとか……?
「お姉様、物語読んで下さるの?」
三の姫がやってきた。
「姫様、まだ手習いが……」
乳母の言葉に、
「物語を読んだらちゃんと手習いをするって約束できる?」
私が三の姫に聞くと、
「はい!」
三の姫が元気よく頷いた。
「トメ、中の君を呼んできて」
とトメに言った。
「中の君は……」
「縫い物も一緒に持ってくればいいでしょ。聞きながら縫えばいいわ」
私がそう言うとトメが中の君を呼びに出ていった。
妹達が揃ったところでトメが物語を読み始めた。
トメが物語を読み終えると――予想通り、物語は一冊一話だったから短かった――三の姫は手習いのために部屋に戻っていった。
私と中の君はそのまま二人で縫い物をしていた。
さっきから中の君が香炉をちらちらと見ている。
私の視線に気付いた中の君が、
「す、すみません」
と言って慌てて布に目を落とす。
私は布を置くと香炉を手に取った。
「これ、珍しい形よね」
と私が言うと、
「それは『おほむ』という鳥だと思います」
中の君の言葉に背筋が凍り付く。
「……お母様は『あふ』って……」
「『おほむ』を男手(漢字)一文字で書くと『あふ』とも読むそうです」
ぼとっ……。
手から香炉が落ちる。
「中……」
思わず『中の君にあげる』と言い掛けて口を噤んだ。
見ている人が少ないところで渡したら、後で中の君の部屋に置いてある香炉を見た使用人の誰かがお母様に『中の君が大君の香炉を盗んだ』などと告げ口するかもしれない。
そんなことになったら中の君の立場が悪くなる。
「姫様?」
トメの怪訝そうな声に、
「あ、重いから手が滑ってしまったみたい。そこに置いておいて」
私はそう言ってトメに香炉を渡した。
せめて、あの物語を思い出すことが出来てこの先どうなるのかが分かれば……。
「男は歌を詠んで姫君に文をお送りになりました」
キヨが物語を読んでいた。
「使用人はその文を言い付けとおり姫君に渡しませんでした。女(主人公に嫌がらせをしている姫君)が文を見ると歌が書いてありました」
〝水茎の 書きつ寝ざらぬ 人は来ん 花たちばなの 君に問わまし〟
歌を聞いた私(左大臣の大君の方!)は飛び起きた。