第六話 大変! と、再会
「明日の晩、春宮様がいらっしゃいます」
お母様の言葉に、
「またですか?」
と、つい言ってしまい、
「大君!」
お母様の雷が落ちた。
明日の晩は三の姫と四の姫を私の部屋で寝かせるように乳母達に言い付けておこう。
中の君にも一応忠告しておいた方がいいかしら?
中の君はもう子供ではないから春宮が幼い子供にしか興味がないなら大丈夫だと思うけど……。
ただ、春宮を慕っている様子だし「春宮は子供が好き(悪い意味で)」なんて言ったら中の君は気を悪くするだろうし、信じてくれないだろう。
信じてくれたら信じてくれたで美しい思い出を壊してしまうわけだし――。
「宴?」
中の君が聞き返した。
「ええ、殿方がたくさん来るでしょ。中には不心得者もいるし。だから、よければ私の部屋で……」
春宮ではなく来客全員を警戒しているなら誰の悪口にもならないはずだ。春宮も含めて。
「ありがとうございます。でも大丈夫だと思います」
中の君はそう答えた。
「そう」
一応出来ることはやったんだし、もしもの時は中の君を入内させてもらおう。
そうすれば私は入内しなくてすむかもしれないし。
次の夜――
コン、コン……。
聞き慣れない音がしたような気がして目が覚めた。
妻戸を少しだけ開いて外を覗いた瞬間――。
絶句……。
嘘でしょ……!
コン、コン……。
春宮が変な声を出しながら庭をうろついてる!
だ、大丈夫なの、あの方……!?
別の意味で心配になってきましたわ!
私、ホントにあの人の子供を産まなきゃいけませんの!?
思わず気が遠くなりそうになった時――。
コン、コン……。
別のところから似たような声が聞こえてきた。
そちらを見ると――。
中の君……!?
コン、コン……。
夜中に縁(建物の周囲にある通路)と庭で奇怪な声を出している春宮と中の君。
陰陽師に御祓いを頼むべきですの!?
途方に暮れていると中の君の声を聞き付けた春宮がやってきた。
二人は高欄(手摺)越しに再会を喜んでいる。
〝春宮様は狐もお好きみたいでよく狐の鳴き真似をなさっていました〟
あっ……!
これは狐の鳴き真似なのね……。
どうやら春宮は中の君を呼び出すために狐の鳴き真似をしていたらしい。
高欄を挟んで縁と庭で再会を喜び合っている様子は物語のようですけど――。
私は危うく世を儚むところでしたのよ!
春宮と中の君はどこかに向かう。
中の君の寝所にでも行ったのだろうか?
思わず妻戸から出て春宮と中の君が向かった方に足を踏み出した。
しかし――。
はしたないですわね。
そう思って引き返そうとした時、
「大君」
知らない男の声がして凍り付いた。
曲がり角に身を隠して覗いてみると妻戸のところに男が立っている。
信じられませんわ!
ホントに不届き者が忍んできた――私のところに!
どうしよう……。
夜はどこも蔀戸も妻戸も閉めてしまうから他の部屋に逃げ込むという事は出来ない(この前は春宮が二の姫の部屋に入ったから妻戸が開いてたんですのよ)。
だから今は隠れられる場所がない。
妻戸が開いているのは不届き者がいる私の寝所だけだ。
と思っている間に不届き者がこちらに向かってくるのが見えた。
どっ、どうしたらいいんですの!?
ああ、外に出るんじゃなかった……!
思わず頭を抱えた時、橘の香りと共に誰かが私の前に立って不届き者の目から隠してくれた。
「少納言殿、樋殿はあちらです」
若い男性の声がそう言った。
樋殿というのは殿方や使用人が用を足すところである。
貴族の姫? 姫は用なんか足しませんのよ。
それはともかく――。
この声、この前の……。
「こちらは姫様方がお住まいになられているところですので……」
「そ、そうか。暗くて間違えたようだ」
少納言と呼ばれた男はそう言うと慌てた様子で行ってしまった。
「逢引の邪魔をしたのでなければ良いのですが」
少納言が行ってしまうと橘の香の男性が言った。
「なわけないでしょ。ていうか、少納言? 今日招かれてる少納言って女好きで有名じゃない。冗談じゃないわ」
私が答える。
「春宮がいるからですか? その春宮は中の君と逢引してるようですが。今回も三日続けて通えませんが」
橘の男性が言った。
「中の君は良いの。いざとなったら中の君を入内させてもらうから。それより、ありがとう。助かったわ」
私は礼を言うと急いで妻戸から中に入った。
もちろん一人で!
「どういたしまして」
妻戸の外で橘の男性がおかしそうに忍び笑いをしたのが聞こえた。
数日後――
「姫様、手習い(字の練習)をなさって下さい」
三の姫の乳母が三の姫に言った。
逃げ回っている三の姫を追い掛けている乳母の手から紙が落ちる。
私(左大臣の大君の方)の前に紙が飛んできた。
随分きれいな紙ね……。
多分、誰かからの懸想文なのだろうけど――。
私はそれを拾い上げて目を落とした。
〝水茎の 書きつ寝ざらぬ 人は来ん 花たちばなの 君に問はまし〟
(文を)書いた(けれど)寝られなかった。人が来るだろう。橘の花のような君に問いかけた。
意味が通ってるような通ってないような……。
私は首を傾げた。
名前が書いてない。
誰からかしら……。
使者が使用人に渡す時に名乗ったから書いてないのだろうか?
そもそも『人が来るだろう』ってどういう意味?
『人は来むや』か『人来むや』と『や』を付けて反語か疑問の形にすれば『人(想い人)は来るだろうか? とあなたに問いかけた(私の想い人であるあなたは来てくれますか?)』となるけど――。
私は小さな声で詠じてみた。
「……書きつねざらぬ 人はこん……」
きつね……こん……。
〝コン、コン……〟
狐の鳴き真似……。
これ、春宮から……!?
となると私宛ではない。
中の君宛だ。
お母様ったら、なんで中の君に渡さないのかしら……。
私は文を持って北の対に向かった。