第五話 中の君の幼なじみ
私(左大臣の大君の方)が部屋に戻る途中に中の君がいた。
長くて黒い艶やかな髪が後ろに靡いている様は絵巻物に出てくるお姫様のようだ。
お姫様だけど。
「中の君」
私が声を掛けると、
「……お姉様」
中の君が一拍遅れて顔を上げた。
すぐには自分が『中の君』だと気付かなかったらしい。
引き取られたのが中の君一人だという事は一人娘だったのかもしれない。
それならここに来る前は『大姫』か『大君』と呼ばれていたはずだ(どちらも長女という意味ですわよ)。
「何を見てたの?」
「あの鳥を……」
中の君が孔雀を指した。
「孔雀は羽が見事だと聞いていたので一度見てみたかったのです」
中の君が言った。
「雄は見事らしいけど……あれは雌だから」
私はそう答えながら庭に目を向けた。
その時、庭に孔雀の羽が落ちているのに気付いた。
青みがかかっていて多少はきれいだ。
中の君も近くで見たいかもしれない。
貴族の姫(特に大貴族の姫)は庭にも気軽に出られないから見にいくことは出来ないんですのよ。
「トメ、あの羽を拾ってき……」
そう言い掛けた時、あの物語の一文が脳裏に蘇った。
〝女、孔雀の羽を(乳母子に)拾わせ給いて――〟
え……。
いやいやいや……。
慌てて首を振ると、更にキヨの言葉が――。
〝君、ツユに言い給いて……〟
「ツユ!」
思わず声を上げると、
「は、はい!」
ツユが飛び上がった。
「あ、違うの! そこの枝の露が光っていてきれいだったから……」
私は慌てて適当な木を指差した。
中の君と腹違いの、孔雀がいる邸に住んでいる大姫……。
いやいやいや……。
ない。
そんなことない。
私は春宮に入内したいなんて思ってないもの……。
〝ツユ〟は良くある名前だし……。
そういえば中の君は春宮の幼馴染みでもある。
でもこっちの春宮は子供が好きなのよね?
私はちらっと中の君を盗み見た。
二の姫(今は三の姫)よりは年上だし裳着もすんでいるけどまだ幼さが残っているから、春宮は幼馴染みということで年には目を瞑ってくれるかもしれないが――。
「中の君は春宮様と幼馴染みだとか」
「はい、小さい頃にお目に掛かっただけですが」
中の君が頷く。
つまり再会してないのね……。
「とてもお優しくしていただきました」
中の君が懐かしそうな表情で言った。
優しかった理由が子供だったからではないといいのだけれど……。
「姫様」
トメの声で我に返った。
孔雀の羽を受け取ると中の君に差し出す。
「見事と言うほどではないけど……」
「いいえ! とてもきれいです! ありがとうございます!」
中の君が嬉しそうな表情で受け取った。
「春宮様から孔雀の話をうかがって以来、ずっと見てみたいと思っていたんです」
ああ、なるほど……。
内裏には孔雀がいるから……。
だとしたら猫を飼っていた幼馴染みというのも春宮だろう。
帝は猫を飼っているから春宮も飼っていてもおかしくない。
「春宮様は狐もお好きみたいでよく狐の鳴き真似をなさっていました。だから狐狩りもお好きではないとか」
中の君が遠くを見るような表情で言った。
もしかして狐を射殺した武士を処罰しろって言ったのは春宮なのかしら……。
以前お父様がおっしゃっていたのだ。
内裏の庭に出た狐を警護の武士が射殺したので、それを処罰するかどうかを話し合ったと。
普段、狐狩りをしている貴族がどの口で言ってるんだかって呆れたのですけれど……。
中の君が春宮のことを好きならお父様を説得すれば入内は中の君の方にしてくれるかもしれない。
春宮のことが好きなんだから押し付けることにはならないわよね?
美しい思い出を壊してしまうことになるかもしれないけど――。
キヨが物語を読んでいた。
「ある日、姫君のところに幼馴染みの男がやってきました。
『遠くに引っ越すことになったのでもう会えません』
男はそう言って桜の花が咲いている枝を手折って姫君に渡しました。
『この花を見る度にあなたのことを思い出すでしょう』
男はそう言いました」
キヨが読んだのを聞いた妹達と私(少納言の大姫の方)がうっとりして溜息を吐く。
「男と会えなくなってしばらくして母君が亡くなりました。父君が来て姫君を北の方の元に連れていきました。ツユも姫君と一緒に(姫君の)父君の北の方の邸に行きました」
キヨが続ける。
「男に会えなくなった上にお母様までいなくなっちゃうなんて」
三の姫が悲しそうに言った。
妹達の表情が暗くなる。
ここから姫君のツラい日々が始まるからだ。
そこで話が終わったらしい。
物語の一話一話はあまり長くない(稀に長いこともあるという程度)。
キヨが別の本を手に取って読み始めた。
「女は男からの文を姫君に渡さないよう(使用人に)お命じになられました」
キヨは別の話を読み始める。
女の嫌がらせが始まっているから大分後の話だ。
順番通りに借りられるわけではないから話が飛ぶことはよくあるのだ。
「なんてひどい。これじゃ、姫君は男に捨てられたと思ってしまうわ」
「男の方だって振られたと思っちゃうわよ」
二の姫と三の姫がキヨの言葉に耳を傾けながら感想を言いあう。
「姫君は男に捨てられたと思い夜一人で泣いていました」
「やっぱり!」
「可哀想に!」
二の姫と三の姫が同情して声を上げる。
同じ邸に住んでると、こういう邪魔が出来るのよねぇ……。
ん……?
一緒に住んでいるということは〝同胞〟も異母姉妹という意味で間違いないってことよね?
疑問が解けてすっきりしましたわ。
などと、この時は考えていたのだが――。
私(左大臣の大君の方)が目を覚ますと外では鳥が鳴いていた。
トメがやってきて蔀戸を開けてくれる。
なんかいつもと鳴き方が違うような……?
外を覗いて驚いた。
庭で中の君が鳥に餌をやっている。
「中の君、おはよう」
私が御簾の中から声を掛けると、
「お、おはようございます」
と言って慌てて部屋に戻ってくる。
貴族の姫は庭にすら出られないんですのよ。
「あの、申し訳ありません」
中の君が決まり悪そうに謝る。
「別に謝る必要はないけどお母様に知られると怒られるかもしれないから誰か見られないようにした方がいいわよ」
私が笑いながら言うと、
「はい」
と顔を赤らめた。
人に見られていたらお母様に叱られるだろう。
使用人達に口止めするか迷ったが、もし誰にも見られていなかったのなら逆に外に出たことを教える事になってしまう。
中の君も貴族の姫なのだから人に見られないようにはしていただろう。
だったら下手に口止めするのは言い触らすことになりかねない。
迷った末、黙っていることにした。
お昼過ぎ――
ふと顔を上げると中の君と目が合った。
どうやら北の対から戻ってきたところらしい。
なんだか落ち込んでるみたいだけど、どうしたのかしら……。
中の君は視線を逸らすと黙って行ってしまった。
「どうやら北の方様に叱られたようですね」
女房の一人が言った。
「え、どうして?」
「なんでも今朝、お庭に出られたとか……」
しまった……!
お母様の耳に入ってしまったのね……。
やはりトメに言って使用人達に口止めさせておけば良かった。
失敗したわ……。
「姫様、本を借りてまいりました!」
キヨが目を輝かせてやってきた。
妹達が来るとキヨは物語を読み始めた。
「北の方は姫君が外に出たことを叱りました。女が告げ口したのです」
キヨが本を読み始めた。
えっ……!?
「告げ口をするなんてひどいわ!」
「女はホントに意地悪よね!」
二の姫と三の姫が口々に言う。
「違いますわ! 私ではありませんのよ!」
私は自分の声で目が覚めた。
「姫様、いかがされました!?」
トメが駆け付けてくる。
「あ、なんでもないの。驚かせてごめんなさい。寝言よ」
私は慌てて答えると横になった。
まさか……。
中の君は私が言い付けたと思って目を逸らしたの?
偶然よね……。
そう思いながらも胸がどきどきしてイヤな汗が伝った。