第三十話 悪役令嬢の正体
「この子をお願いします」
そう言って私(左大臣の大君の方)に猫を渡し、中の君が牛車から降りた。
中の君は皆が見ている前で大君として出ていったのだからもう引き返せない。
そして牛車の中に残った私も。
お父様は中の君がこれ以上狙われることのないように死んだことにした。
遺体があると死穢に触れてしまうからという理由で重症だった中の君を人の訪れがない寺に運び込んだ。
中の君はそこで介抱を受けて助かった。
最初は中の君を狙っている者を捕まえたら生きていたと明かして左大臣家に連れ戻すつもりだった。
しかし犯人は叔父様で、私や三の姫、四の君を巻き添えにしてまで中の君を亡き者にしようとしたと判明した。
しかも叔父様がそんなことをした理由を考えたら中の君が生きていると知られるとまた狙われるかもしれない。
今回は叔父様ただ一人でやったこととされた。
そして、叔父様は遠流(遠い土地への流罪ですわ)になった。
だが叔母様やお母様が同じことをしないという保証は?――もちろん、ない。
次に中の君が狙われたら再び私や妹達が巻き込まれるかもしれない。
そのときは巻き添えになった私達も助からないかもしれないと考えたお父様は中の君を死んだままにしておくことにした。
こうなったら中の君を別の娘ということにして知り合いの貴族に養女にしてもらうしかない、そう考えた時、今度は春宮が出家すると言い出した。
お父様が春宮に啓す(申し上げるって意味ですわよ)と言ったのはこのことである(計画のことはお父様から聞いていましたのよ)。
私はそれを止めたのだ。
春宮に中の君が生きていると教えるだけではダメだろう。
中の君に会うまで信じないだろうし、会わせたところで妃か女官として迎えられないなら、そして、養父の身分が低過ぎて春宮(即位後は帝)が邸に訪ねていくことが出来ないなら、やはり出家すると言い出しかねない(僧侶は妻帯禁止とは言っても女性の元には通えるんですのよ)。
それなりの身分の家の養女にしてもらって会いに行けるようにしたとしても、春宮が通っていたら中の君が生きていたことを知られてしまうかもしれない。
それではいつまでたっても中の君は危険なままだ。
まして中の君として春宮の子を身籠もってしまったりしたら――。
貴族の女性というのは家族以外の人間とは会わないので帝も春宮も私の顔は知らない(鸚鵡の香炉を渡した時は御簾越しに会ってましたのよ)。
そして妃になったら家族ですら簡単には会えない。
つまり春宮とお父様が手を組めば私と中の君が入れ替わることは可能なのだ。
もちろん、左大臣家で私や中の君に仕えていた女房達は私達の顔を知っている。
だから入内するに当たり、出仕の経験がある女房をつけるという名目で全員入れ替えた。
中の君に随いて内裏に入る女房達は私の顔は知らない。中の君のことを大君だと思っている。
お父様は私達の顔をご存じだし、叔父様も中の君の顔は知らないが私とは会ったことがある。
けれどお父様は言わないし、叔父様は官位を没収されて遠流になった。
叔父様は上級貴族だからいつか恩赦で都に戻ってくることはあるだろうが中宮の近くに行かれるほどの官位には戻れない。
春宮が戻させるわけがない。
知られるような危険を冒すわけにはいかないのだ。
中の君が大君として入内して私が姿を消せば、もう中の君が狙われることはないし春宮も出家するなどと言い出すことはなくなる。
最初に私がこの提案をした時、お父様はすぐには承諾して下さらなかった。
入内する中の君はともかく、私は親がいなくなるのだから貴族でもなくなるからだ。
それは生活していけなくなるということである。
お父様が内緒で面倒を見るというのは難しい。
それで私の素性を誰かに嗅ぎ付けられたらお父様や中の君は破滅なのだ(もちろん私もですわよ)。
だが結局、春宮を思い留まらせるには他に方法はないと言って認めていただいた。
実際、香炉の歌を見て中の君が生きている、そして歌の意味は『必ず行くから待っていて欲しい(行きなむ:きっと行くだろう)』という意味だと気付いた春宮は憑き物が落ちたように大人しくなったという。
お母様達は死ぬまでご存じないままになるけど私や三の姫を手に掛けてまで入内させまいとしていた中の君が入内して私はしない。
帝の血を引く子はお母様の一族ではなく、中の君の一族が産むことになる。
これは自分達の争いに松姫まで巻き込んだ報いでしてよ。
いい気味ですわ!
まぁ母親との血の繋がりなんて気にする人はいませんけどね。
御簾の隙間から覗くとトメが悲しそうにこちらを見ていた。
やがて進み始めた中の君の後に随いて歩き出す。
これからは中の君が大君なのだから一緒に行くのも大君の乳母子の方でなければならない。
私の隣でツユが辛そうな顔をしていた。
トメが私と残れないように、ツユも中の君と一緒に行くわけにはいかない。
本来なら養君と乳母子は片方が死ぬまで一緒にいるものだが私達はそう言うわけにはいかない。
私とトメとは二度と会えない。中の君とツユも。
乳母子くらい、と思わないでもなかったけれど帝を謀るという大罪を犯すのだから発覚する危険は極力減らさなければならないのだ。
その時、猫が中の君を追って牛車から飛び出した。
中の君に駆けよった猫が裾にまとわりつく。
まさか私やツユが追い掛けていって猫を連れ戻すわけにはいかないし、かといって中の君が女房に命じて猫を牛車に届けさせるわけにもいかないだろう。
中の君はわずかに躊躇った後、トメに何か言ってからまた歩き始めた。
トメは猫を抱き上げると中の君に随いていった。
猫は勝手に動き回る生き物なのだし自分から中の君の後を追っていったのは皆が見ている。
裾にまとわりついているのをみて遊んでいると思われているはずだから連れていっても怪しまれることはないだろう。
やがて牛車が動き出した。
後ろの御簾の隙間から覗くとお父様が寂しそうな表情でこちらを見ていた。
お父様とももう二度と会えない……。
なんでも好きなものを買って下さるという約束は叶えていただけませんでしたわね。
言われた通り中の君の入内は諦めたんですけれど――。
都の外れに近い寂れたお寺まで来たところで牛車は止まった。
この牛車は左大臣家のものだから左大臣邸に戻らなければならない。
だが私はもう左大臣家には戻れないからここでお父様が用意した別の牛車に乗り換えるのだ。
私が降りると牛車は左大臣家に戻っていった。
牛車に乗ると、
「どちらへ行かれますか?」
外から頼浮の声がした。
驚いて御簾の隙間から覗くと深緑の位襖が見えた。
「あなた、仕事は?」
位襖を着ているのだから今は仕事中のはずだ。
「大君から文を届けるように申しつかりました」
頼浮の言葉に一瞬、首を傾げてから今の大君は中の君だということを思い出した。
随身というのは警護が仕事なのだが警護の対象者に使いを頼まれることがあるのだ(例えば嫌がらせとか、ね)。
ただ、本当に中の君が私の側に付いているように頼んだのか、頼浮が自分の考えで残ったのかが分からない。




