第二十一話 二人目の婿(候補)
箏を弾いていると、やがて橘の香りが近付いてきた。
「今夜、どなたがいらっしゃるの?」
「中務省の少丞と聞いています」
「下がってるじゃない!」
少納言は従五位上、少丞は従六位上。
五位と六位だから一つ違いに思えるかもしれないが四つ下なのだ(間に三つありますのよ)。
「身分が気になりますか?」
「妹の夫になる方はね。特に中の君の夫のことはお父様が出世の手伝いをして下さらないかもしれないのよ。だったら少しでも身分が高くないと」
官位で俸給(要はお給料ですわよ)が決まっているのだ。
高ければそれだけ多くなる。
昔の下級官人が束帯(正装)を着ていないからと言う理由で仕事中に追い返されたことがあるのだが、その束帯も自分で用意しなければならないのだ。
金がなければ仕事にも行かれないのだから(その時は行事の準備中だったから正装でなければならなかったと言うのはあるにしても)俸給に影響する官位は大事に決まっている。
「牛車に細工しますか?」
頼浮の問いに私は考え込んだ。
お母様達が、中の君が春宮に入内できない理由を『もう婿がいるから』ということにしたいのなら何度邪魔をしても婿が出来るまで送り込んでくるだろう。
婿がいても女官として出仕することは出来るが夫がいたら春宮の手が付こうが、なんなら懐妊して皇子を産もうが妃に格上げというのは無理だろう。
そもそも子供も春宮の子供とは認めてくれないかもしれないし。
継母が勝手に婿を決めてしまうなんて継子いじめ譚そのものですわ!
中の君は夫が出来てしまっても出仕して春宮に会いに行きたいと思うかしら?
「その少丞って、どんな人か知ってる?」
「……あまり良い噂は聞きません」
頼浮の答えに私は溜息を吐いた。
せめて誠実で中の君を幸せにしてくれそうな殿方なら諦めもつきますのに……。
頼浮だって婿取りの妨害などやらされたくはないはずだ。
だから今も答えるのに間があったのだろう。
それでも良い噂がないというのならおそらく本当に問題ありということなのだろう。
殿方に妻の理想像があるように女性にだって理想の夫像というのはありますのよ。
私だったら身分は低くてもいい(どうせ左大臣の後ろ盾があれば出世できる)から、優しくて誠実で真面目で、困っていたら助けてくれるような頼りがいのある――。
そこまで考えた私はちらっと几帳の方に視線を向けた。
布に遮られて向こう側は見通せないけれど――。
「あなた、左大臣家の婿になりたくない?」
「……私に中の君の婿になれと?」
少納言の時の入れ替わりをやる気はないかと誘われたことに気付いたのだろう。
「中の君じゃなくて私」
「…………」
頼浮が黙り込む。
「イヤなの?」
「そうではありません」
「もう北の方がいるとか?」
頼浮は声の感じだと二十歳くらいだし、それなら妻どころか子供がいてもおかしくない。
左大臣の姫を差し置いて他の姫を北の方にしているというのは差し障りがあると思っているのだろうか?
私は別に気にしないけれど北の方は気にするかもしれないですわね。それに私のお母様も。
「いません」
「北の方はいないけど妻はいるとか? それか恋人とか」
「どちらもいませんが……私が代わりに通うとなったら妨害はどうするんですか? 中の君のところに少丞が来たら困るのでしょう?」
「どうせ死体を置いたり牛車に細工したりするのは郎党でしょ」
牛車に細工したりするのはともかく、死体を置くのを自分でやるはずがない。
使い走りをさせられることがあるといっても随身は役人である。
死穢(穢れ)に触れたら潔斎のために数日間、自宅から出られなくなるのだ。
嫌がらせの度に何日も外に出られなくなったら仕事に差し支えるのだから郎党(個人的に雇っている部下)にやらせるはずである。
「そうですが……私は明日こちらの方角が方塞りです」
「帰らなければいいでしょ」
方塞りというのは神様がいて行かれない方角だが、神様によっては長期間同じ方角に滞在する。
そのため方塞りの方角に行きたい時は方違えといって別の方角に泊まってそこから目的地に向かうのだが、そのとき特に儀式などをするというわけではないから女のところに泊まってもいいのだ。
「帰らなければ入れ替わりが発覚してしまいますよ」
最初の二晩は夜が明けないうちに帰ることになっている。
帰らなければ邸に残っていると知られる。
婿入りの最初の二晩は妻の家の者は男が来たことに気付いていないというのが建前なので、男が乗ってきた牛車は門の外に止める。
当然、帰るときは乗っていくのだから牛車がそのままそこに止まっていたら帰っていないことが分かってしまうのだ。
かといって帰る振りで自分の邸の方向に行ってしまったら戻ってこられなくなる。
「なら、今回は来られないように邪魔して」
「はい」
「妻や恋人はいないけど片想いの相手がいるとかいうことは? 懸想文の返事を待っているところとか?」
「いいえ、中の君に通えというのならお断りしますが大君ならお受けします」
あら……。
悪い気はしませんわ。
「そう。それじゃ次に機会があったらね」
「はい」
頼浮はそう言うと立ち去った。
本当に妻や恋人や片想いの相手がいなくて私の婿ならいいというのが本心なら三日間通える日を教えてくれるかしら?
もし次にお母様が殿方を送り込んでくる日がまた頼浮の都合の悪い日だったら?
そのうえ頼浮が妨害にも行かれなかったら?
それくらいなら頼浮が三日間通える日に中の君に婿を差し向けるようにお母様を唆してしまった方がいいかもしれない。
私が婿を取ってしまって入内できなくなったら残るのは中の君しかいない。
他の妹――三の姫と四の姫はまだ裳着がすんでいないから入内は出来ない。
裳着というのは何歳でするかははっきり決まっていないし、年が近い姉妹いる場合、一緒にすることもある。
貧しい貴族だと裳着が出来なくていつまでも子供の衣裳のままという事もある。
だから裳着をしたかどうかと年齢というのは関係ないこともあるが――。
左大臣家は裳着が出来ないような貧しい貴族ではないから、裳着のすんでない妹はまだ子供だ。
急いで裳着が出来るような年でもないし、三の姫の裳着を待っていたらその間に他の貴族の娘が入内してしまうだろう。
三の姫が入内する前に他の姫に皇子を産んでほしくないなら中の君を入内させるしかないのだ。
我ながらいい考えですわ!