第十一話 贈り物の毒蛇
翌日――
私(左大臣の大君の方)は中の君の箏のお稽古のために部屋に行こうとした。
「ーーーーー!」
不意に悲鳴が聞こえた。
邸の中を大勢の人が走る足音がする。
叫び声の方に使用人達が向かっているのだろう。
「ツユ! ツユ!」
中の君の悲痛な声で叫んでいる。
それを聞いた私は思わず立ち上がると中の君の部屋に向かっていた。
「姫様!」
トメの声が慌てたように追い掛けてくる。
「中の君!?」
私は御簾を払いのけて中の君の母屋に入った。
「お、お姉様……」
中の君が真っ青な顔でこちらを振り返った。
「大丈夫!? 何があったの!?」
だが聞くまでもなかった。
真っ二つになった蛇が部屋に転がっていたからだ。
蛇は縦縞でも無紋でもなく、横に模様がある。
そして、それなりに大きい。
無毒の蛇の子供ではなく毒蛇で間違いないだろう。
「ツユが……」
中の君の言葉に見ると、随身がツユの手当てをしている。
「噛まれたの? 大丈夫なの?」
私は随身に訊ねたが、手当の最中だからか返事はなかった。
答える余裕もないほどの重症ということ?
嫌な考えが脳裏をよぎる。
「こんなところにまで入り込んできたの?」
私は外に目を向けた。
庭は広いから階(階段)を蛇が上って入り込んでくることはある。
ただ階を登り切ったところは簀子で、その内側に庇があり、ここは更にその内側の母屋だ。
昼間は蔀戸などは外してると言っても外を通る者に姿を見られないように御簾や几帳が置いてある。
どちらも押せば簡単に持ち上がるとはいえ蛇がこんな奥まで入ってくることは稀だ。
庇には女房達が控えているから普通はもっと早く気付くものだが――。
「姫様方、お姿を見られてしまいます。御簾の内側へ……」
トメがそう言って私達を促した。
御簾の内側に行こうとした時、ツユの側に箱が転がっているのに気付いた。
蓋は開いている。
まさか……!
あの箱の中に蛇が入っていたって事ですの!?
だとしたら中の君を狙った事になる。
入っていたのは一匹?
蓋を開けたツユがすぐに噛まれて倒れてしまったのなら他にも入っていたのに誰も気付いていないだけということもあり得る。
私は不安になって辺りに視線を走らせた。
箱から少し離れた几帳の影に紙が落ちていた。
きれいな色の紙だから懸想文だろう。
その文を覗き込む。
〝橘を 守部は枝を 届けまし 君への思いで 花は咲くらむ〟
今度も差出人は書いてない。
『きつね』の歌と筆跡が同じだし、文は春宮からではないかと思うが――。
春宮が蛇を入れた箱など送ってくるはずがない。
男が女を捨てるのに殺す必要はないからだ。
「手当てを致しましたので恐らく大丈夫だとは思いますが……当分は安静にされていた方がよろしいでしょう」
随身が言った。
冗談ではないわ!
不届き者が忍んでくるだけならまだしも――それも困るけど――命を狙われるなんて!
考えないようにしていたけれど、やはりあの物語の姫君は儚くなったのかもしれない。
内裏ならここよりは安全なはずよ。
こうなったら、なんとしてでも中の君を入内させてもらわなくては――。
私は北の対に向かった。
「お父様、お母様、私が入内するとして、中の君も一緒にするわけには参りませんか?」
私は北の対でお父様とお母様と向かい合っていた(お父様とは御簾越しに)。
「中の君を女官として連れていくという事か?」
お父様が訊ねる。
「いえ、中の君も女御に」
ある物語の主人公の母君は帝の妃だったが身分が低かったために他の妃達にいじめられたせいで儚くなってしまった。
更衣(女御の下の位の妃)ですら儚くなるほどいじめられてしまうのでは女官などもっとひどいことをされるだろう。
実際、女官として出仕した女性の日記や随筆にはいじめられたときのことが書かれている。
そうならないようにするためには妃の中でも位の高い女御でなければならない。
「女官ならともかく妃、それも女御を二人というのは……」
お父様が難しい表情を浮かべる。
娘が二人も帝の妃になれればお父様としてはそれだけ次の帝の摂政になりやすくなるが、当然、他の公卿達はいい顔をしない。
誰だって帝の外祖父になりたいのだ――まぁ殿方は。
「中の君には少納言から熱烈な文が贈られてきているのですよ」
あの女好きの少納言ね……。
「女御を二人出すより、次に左大臣になれそうな婿を取った方がいいでしょう。あなたが産んだ皇子を支えてもらうためにも」
お母様はそう言ってから、
「そうでしょう、殿。お支えしてくれる方がいた方がいいですわよね」
とお父様に同意を求めた。
「あ、ああ、まぁ……」
お父様が困ったように曖昧な返事をする。
「主上(帝)もあなたの入内を楽しみにされているのですよ」
帝……?
「あなたの入内はもう決まったことです」
お母様は他にも何やら言っていたが私は曖昧に頷きながら聞き流した。
言葉でお母様を説得するのは難しそうね……。
「主上が楽しみにされてるってどういう事かしら」
私は部屋に戻るとトメに訊ねた。
御簾越しにですら帝にお目に掛かったことなどない。
帝が左大臣邸にいらしたことはないし、私も内裏に参内したことはないからだ。
「叔父君を始めとした方々が姫様の良いお話を主上の耳に入れられているとか」
つまり噂を聞いて期待されているのね……。
人に対する好悪は聞いた話で左右されやすい。
殿方が逢ったこともない姫に懸想文を贈ってくるのも噂を聞いて頭の中で想いを募らせるからだ。
二人も女御を出すのは無理そうですわね。
私が女官になって中の君が女御になるというのもお母様は許して下さらないはず。
でも左大臣家から一人は女御を出したい――というか内々とはいえ、それは決まっている。
だったら私の入内がなくなればいいわけよね。
といっても私が『やめます』と言ってどうにかなるわけではない。
入内というのは公卿(上級貴族)達が認めなければ出来ないから春宮どころか帝に訴えたところでどうにもならない。
となると――。
私に何かあって入内できなくなる以外の方法はなさそうだが、問題はその方法が分からない。
出家するわけにはいかない。
春宮や、入内を認めた公卿達の顔を潰したら左大臣家から入内するという話自体がなくなる。
それは中の君も春宮と結ばれることが出来なくなるということだ。
かといって問題を起こすわけにもいかない。
私の悪い評判が立ったらやはり私だけではなく中の君も入内出来なくなるし、妹達もまともな婿を取れなくなる。
何より私の悪評のせいでお父様が失脚させられるかもしれない。
お父様の政敵達は失脚させられるようなことはないかと目を光らせているからだ。
お父様が失脚しても当然、妹達はまともな婿が取れない。
妹達が困らないように私の入内を中の君に変えてもらうしかない。
何かいい方法はないかしら――。