第6話 反転した自分
「……どうしたの、今日。顔、暗いよ?」
放課後の“秘密基地”。例の空き教室の机に、青崎さんは俺と向かい合って座っていた。窓から差し込む夕日が、彼女の横顔をやけに淡く照らしている。
「ん……ちょっと、いろいろあってな」
「へぇ〜。でも、"ちょっと"って顔には見えないけど?」
俺の返事に、彼女はいつものように少し意地悪そうに微笑んだあと、缶コーヒーのフタをプシュッと開けた。
その音が、妙に静かな教室に響いた。
「別に、大したことじゃないんだよ。ただ……最近、友達とうまくいってないっていうか」
「ふぅん」
「……俺さ、誰にも話すなって言われたわけじゃないんだけど、お前とのこの時間、あんまり人に話したくないんだよ。なんていうか、色々壊れそうで」
「……」
青崎さんは、缶の端を親指でいじりながら、黙ってこちらの話を聞いている。
「お前との放課後、誰かに見られて、それを茶化されたり冷やかされたりしたら、全部崩れちゃいそうな気がして」
「…………」
「だから今日も、黒澤にも光輝にも、言えなかった。アイツらがそんな事しないのは分かってるんだけれど、言えなかったし……話す気にもならなかった」
言葉にした瞬間、急に恥ずかしくなって目を逸らした。なのに、青崎さんはしばらく何も言わなかった。静かで、ただ静かで、───それが逆に怖いくらいで。
「……ふふっ」
ふいに、彼女が小さく笑った。
「それって、ちょっと嬉しい」
「……は?」
青崎さんの返答に、変な声が出てしまう。軽蔑はされないとは思っていたが、まさか嬉しいと言われるとも思っていなかった。……青崎さんはそういう所がずるいと、最近思う。
「独り占めしたいって思ってくれるくらい、私とのこの時間が大事だってことでしょ?」
「いや、まぁ……そりゃ、楽しいし。居心地いいっていうか、ああ、もう、なんなんだよ俺」
なんなんだこの気持ちは。色んな感情がごちゃごちゃになってて、でもそれも全て心地いい。俺はおかしくなってしまったのだろうか?
「んふふ……素直になったほうが、楽になるよ?」
いつもよりちょっとだけ柔らかい笑顔が、夕陽の向こうでこっちを見ていた。いつものように、少しだけ距離を詰めた声で。
「でも、ありがとね。そうやって、ちゃんと私のことを大切にしてくれてるの、ちゃんと伝わってるよ」
「……それは、お互い様だろ」
「ん?」
「俺に“居場所”くれてるのは、お前だし。お前が“ここ”で待っててくれるから、俺も頑張れる。」
「……康太くん、そういうの、反則だよ」
ぽつりと呟いた青崎さんが、少しだけ赤い頬をして俯いた。
それは、今まで見たどのCGよりも、美しかった。
そうだ、この放課後は、やっぱり誰にも渡せない。
誰にも邪魔されたくない───ふたりだけの、日常。
枯れない恋を知らない彼女に
第5話 反転した自分
その翌日────
俺は、少しだけ重い気持ちで教室のドアを開けた。
「……よっ」
「……」
光輝は、俺に目もくれず席に着いていた。もう1週間もこの調子だ。
最近は昼も黒澤と2人きりだし、業務連絡以外は何も話していない。
やっぱり、意図的に避けられてる。いや、それどころか……怒ってる?
「おはよう、赤城っち!」
「……おう」
黒澤は、昨日のことなんて何もなかったように、いつも通りのテンションで俺に話しかけてきた。でも、なんだろう。目だけは、少し笑ってなかった。
「今日、放課後────」
「ごめん、今日もちょっと、予定あるんだ。」
俺はそれを遮るように、早口で返してしまっていた。
黒澤の表情が、一瞬だけ固まった。
「……そっか。じゃあ、また今度ね!」
「ああ」
そう言うと、そそくさと教室を出ていってしまう。
その瞬間、また、何かが少しだけ壊れた気がした。
放課後。また今日も、青崎さんと空き教室に向かう。
ただ、心のどこかに引っかかりが残っていた。
「……ねぇ、赤城くん」
「ん?」
「赤城くんは、誰かを大切にすることで、他の誰かを傷つけてるって思ったこと、ある?」
「……あるよ」
俺は即答した。
「昨日も今日も、たぶん俺、間違ってる。でも……この時間だけは、失いたくないんだ。お前との、この日常だけは。」
「……そっか。私も、同じ」
互いに見つめ合うわけでもなく、ただ、机を挟んでそっと缶コーヒーを差し出しあう。夕焼けに包まれた小さな空間で、俺たちは小さく、優しく笑い合った。
「……けど、私、赤城くんの友達なら、ここの存在を教えてもいいと思ってるの」
そう言う青崎さんは、顔こそ綻んでいるが、目が真剣だった。
「だって、赤城くんがこれ以上苦しんでいる姿は見たくないもの。アナタは気づいていないみたいだから言わせてもらうけれど、今のアナタの顔、大分酷いわよ?」
そう言って、カバンから出した折りたたみ式の手鏡をこちらに見せてくる。
そこに映っている自分は、酷く焦っているような表情をしていた。