第10話 すれ違いの終着点
「光、輝……」
そこに現れたのは、黒澤ではなく光輝だった。
「なんでお前、2-Cの教室の前に立ってるんだよ。お前の教室そこじゃねえだろ」
今まで聞いた事の無かった光輝の声に、緊張の冷や汗が滲む。
だが、都合がいい事に向こうから接触して来てくれたんだ。少し予定とは違うが、ここで光輝とハッキリさせるのも良いだろう。
「なあ、光輝。俺、お前に話したい事がある」
「ああ?」
光輝の圧に気圧されそうになる。けど、ここで諦めたら終わりだ。ちゃんと、光輝と話さなきゃ。
「……仕方ねぇな、空き教室行くぞ。そこなら万が一でも誰も来ない」
光輝はため息ながらも、了承してくれた。
「……ってか、こうなる気はしてた。お前なら諦めず話つけに来るだろって」
その言葉に、少しだけ昔の光輝が重なる。口調はぶっきらぼうでも、どこかで"待っていた"ような、そんな気配があった。
「じゃあ、行こうぜ。言いたいこと、あるんだろ?」
そう言って歩き出した光輝の背中に、ほんの少しだけ迷いがないのが分かった。
枯れない恋を知らない彼女に
第10話 すれ違いの終着点
「んで、話って何だ?」
空き教室の窓際に腰を下ろした光輝が、腕を組んだまま俺を見上げてくる。その視線はまだ鋭くて、警戒心を解いていない。だけど、その声色にはほんの少しだけ、迷いと戸惑いが混じっている気がした。
俺は教室のドアを閉め、そっと椅子を引いて光輝の正面に座る。
「……まず、ずっと黙っててごめん。放課後のこと。俺、どう話せばいいのか分からなかった」
「別に、それだけが理由じゃねぇよ」
光輝の言葉に、俺はハッと顔を上げる。
「……え?」
「まあ、あれも確かにちょっとムカついたけどな。でも、本当にモヤモヤしたのは……お前が、俺たちのこと避けてるように見えたからだよ」
「避けてた……?」
「少なくとも俺にはそう見えた。話しかけようとしても、妙に距離をとられてる感じがしてさ。だから、俺もイラついて、そっけなくして……気づいたら、こんなだ」
光輝は天井を仰ぎながら、ポツリと続けた。
「黒澤にも言われたよ。『あんたが素直にならないから赤城が困ってる』って。……図星だった」
「……そっか」
思わず笑みがこぼれそうになるのを、俺はぐっと堪えた。心のどこかで、光輝もちゃんと俺のことを考えてくれてたんだと思ったら、ちょっと泣きそうだった。
「なぁ、光輝。俺、また三人で一緒にいたいんだ。もちろん、お前と黒澤の関係のことだって、もう分かってるつもりだし、邪魔するつもりなんて──」
「バカか、お前」
遮るように言われて、俺は言葉を止める。
「お前が邪魔なわけねぇだろ。……俺たちが勝手にぐちゃぐちゃになってただけだ。お前に嫌われたくなくて、空回りしてただけだよ」
言いながら、光輝はふいに視線を逸らす。いつもの強気な顔が、どこかバツの悪そうな表情に変わっていた。
「……ごめんな、康太」
その言葉を聞いて、ようやく張りつめていた胸の奥の何かが、ゆっくりと緩んでいく。
「……俺も、ごめん。ずっと言いたかった」
一瞬、気まずい沈黙が流れた。でも、その沈黙はもう以前のような居心地の悪さではなかった。
「──じゃ、教室戻るか。朝からウジウジしてんの、似合わねぇしな」
「だな。……あ、そういえば黒澤には俺からちゃんと話しておくよ。今日のことも、全部」
「おう。……それも、お前らしいな」
そう言って、光輝は少しだけ笑った。その笑顔を見て、ようやく「戻れた」んだと実感する。
教室を出ようとしたそのとき、不意に光輝が立ち止まった。
「……あ、そういえば康太」
「ん?」
「お前、俺と黒澤が、付き合ってると思ってるだろ」
心臓が、一瞬だけ跳ねた。けれど、俺は素直に頷く。
「……見ちまったからな。あの、キスしてるとこ」
「はぁ……やっぱり、見てたか」
光輝はため息混じりに頭をかいたあと、少しだけ苦笑した。
「あれ、厳密にはキスしてねぇから」
「……え?」
昨日見たあの光景がフラッシュバックする。光輝と黒澤が、教室でキスを交わす光景。
「いや、やっぱりキスしてただろ!だって……!」
「あのなぁ……テンパってたのは分かるけれど、冷静になれって。確かにお前から見たら恋人のキスに見えたかもしれないが、本当になんも無いんだ俺ら。あれだって事故で……」
「事故?」
「あぁ、あん時、康太みたいに黒澤が俺に詰めて来たんだ。そん時に、机にかかってる荷物に引っかかっちまったみたいで、俺のとこに倒れてきたから、支えてやったんだよ。そん時に、たまたま唇同士が触れちまったって訳。そんで、丁度お前がそれを見ていて、話が拗れただけだ。ちなみに、俺達の中では事故だから、キスした事実はなく、厳密にはキスしてないって言ったんだ。」
な、なんだ……そんな事だったのか。てっきり──あの二人はそういう関係だと、思い込んでいた……
「す、すまん……早とちりしたみたいだ」
「いや、俺だって関係を知らずに親友同士のそういう所見たら動揺する。むしろあん時弁明出来ずに悪かった」
心の霧が一気に晴れる。きっとそれは、黒澤と光輝が付き合っていなかったからではない。ちゃんと光輝の口から二人の関係についてを聞けた事、二人の邪魔なんて事は杞憂だった事、色々な事が解決して心がすっとなったからだと思う。
「それともう1つ。俺と仲直りしたからって全部解決した訳じゃないぞ。黒澤の問題は寧ろ俺より厄介だ」
「は?」
黒澤の問題が、光輝より厄介……? どういう事だ?
「康太のことだから、俺に話すより黒澤に先に言った方がいいって考えてたんだろ?でもな────」
「それじゃダメなんだよ。あいつ、自分の中だけで全部抱え込むタイプだからさ」
「さっきから何を言っているのか全く分からない。つまり何が言いたいんだ?」
「……はぁ、仕方ないなぁ。いいか?俺から聞いたとか、そういうのは言っちゃダメだからな?」
光輝の次の言葉に固唾を飲む。光輝に口止めされているという事は、黒澤の俺に知られたくない秘密を言われるという事だろう。
「丁度昨日、相談されたんだが……」
「お、おう」
「その……黒澤は、お前に好意を抱いてるらしい」
え?
え??
「……ま、マジ?」
「あぁ、マジだ」
光輝が真剣な表情で頷く。いや、いやいやいや!信じられん!く、黒澤が俺のこと……そ、その、す、好きっ……て……
「それだけなら良いんだけどさ……お前が最近、青崎さんの方ばっか見てるだろ? それと、あの”事故”が重なって───────黒澤、自分が邪魔だって思い込んでんだよ。お前に迷惑かけたくないって」
「だからだな……もしかしたら、俺とは逆に、強引に黒澤は距離を詰めてくるかもしれん。そん時は、お前の気持ちで応えてやれ。たとえそれが、どんな形でも」
「……ああ、わかった。ありがとう、光輝」
「礼なんて要らねぇよ、俺達の仲なんだからさ。ただ、一歩間違えたら、黒澤は俺達から離れちまうから、慎重に取扱えよ」
光輝の言葉には、重みがあった。冗談じゃない。これは、誰か一人でも間違えば、またバラバラになってしまうほど、繊細で、壊れやすいものだった。
だからこそ、今度はもう、間違えたくない。
「……一歩間違えたら、か」
「まあ、お前のことだ。ちゃんと考えて、ちゃんと選ぶだろ」
光輝がポンと俺の肩を軽く叩く。いつもの調子だ。でも、そこにはもう、わだかまりはなかった。
「じゃ、そろそろ戻るぞ。そろそろHRの時間だしな」
「……ああ。ありがとな、ホントに」
「礼はいいっつってんだろ。まったく……」
ぶつぶつ言いながら歩き出す光輝の背中を見て、俺もその後に続く。
────黒澤緋鞠は、俺のことを、好きだった。
その事実をまだ胸の奥で整理できないまま、けれど、心に一つの芯が通った気がした。
たとえ今、答えを出せなくても。
向き合わなきゃいけない。誤魔化さず、目を逸らさずに。




