6.
杵屋依杏が電話に出ている間。
しばらく。
次呂久寧唯と、八重嶌郁伽の話は続いていた。
だが、あまり生産性のない話ばかりである。
何かの謎を見出すか。
例えばこの赤いコインにか?
コインというかメダルと、寧唯は言った。
依杏が電話に出ている間。
とりあえず寧唯と郁伽。
その間にはカジノの話題も出た。
翠授はクッキーをしゃぶるのに夢中。
となって。
「何かひっかき傷に。謎があるとすれば」
と寧唯。
「誰によるひっかき傷か。あるいは。何によるひっかき傷か」
近寄せて真剣に見つめる。
その眼。
「例えば動物によるひっかき傷」
郁伽。
「動物? なんで?」
「うーん」
「カジノのメダルでしょうよ」
「確かに」
「沢山あるメダルと一緒になっていた。そのメダルも大方そんなところね。だから沢山ある中で、一緒になっていた時に傷がついたとかね」
「では」
と寧唯。
「このメダルの傷によって。ソフトリーアズの何か。事件につながる焦点に結び付くか」
郁伽と寧唯は苦笑した。
郁伽。
「ないな」
「ですね」
「だって。そのメダルは記念。ユーオロテの死んだのは、ソフトリーアズの舞台上。だから紙面上とか、今の段階で知ることの出来る情報としては。ユーオロテとは何の関わりもないもの」
「ですかね」
「ただ。ユーオロテが亡くなったっていうのは事実。珊牙さんもその件だからさ。今の電話ね」
「ええと」
と寧唯。
「今のそのユーオロテの件ですね。気になるのでもう少しいろいろ。個人的に調べたりしようかなーなんて」
「そう」
「何かいろいろ進展とかがあれば。近況下さいね」
「進展ね。でもこっからはたぶん、九十九社単位になるし。珊牙さんだってそう頻繁に、連絡とは行かないんじゃないか? それにあたしと杵屋は下っ端だ」
「あたしが首を突っ込める問題じゃないのは。分かっているんですけれど」
と寧唯は苦笑。
郁伽。
「そもそもあんた。九十九社じゃないでしょう」
「でも気になるのは、気になりますからね」
と寧唯。
少々ムッとして言い。
「気になるとは言いつつ。あまり参加出来ていないので」
「あたしたちでも分かる範囲でね。あと業務に支障が出ない程度で」
と郁伽。
寧唯。
「とりあえずこのメダルは。年代物のような気がします。【1】【4】【7】とくれば西暦か何かかなあ」
「分かった分かった」
と郁伽。
で。
徒歩。
空がある。
だからふと眼が上へ行く。
それは翠授も同じ様子。
だが何せ、今は抱っこ状態である。
寧唯とその腕と。
すっと通り過ぎる。
寧唯は見ていた。
空。
翼を左右に真っ直ぐだ。
伸ばして、一直線に一点へ。
寧唯は独り言ちた。
「あれに、乗っていたりする? ただ羽田の方角分かんないもんな~」
翠授は何も発言せず。
駅までの道のり。
信号待ちの交差点。
飛ぶのは航空機。
寧唯の場合は。
これから向かうは電車だ。
行き交う人々のその中と。
左右と、正面。
てくてく行く。
九十九社から近いのは二十一駅という。
駅のプラットフォーム。
意外と開けているために。
十月の風が今は冷たい。
例えば暖かい気候。
その日でもプラットフォームとなると。
風が通常よりも強いからか。
様相は一変する。
ただ。
空に浮かぶように。
そして走るように。
移動する飛行機の黒い。
その姿。
ただ一直線。
風の影響はないのだろうか。
一直線。
さっき一機見て。
いま一機。
寧唯はただ見ていた。
電車が来る。
どやどやと。
列が出来た搭乗口。
そこからの移動。
九十九社から来ている二、三名も一緒だった。
乗り込むところから座席まで。
チューブのような管のような道のり。
若干黄色っぽい機内の。
照明とその天井。
エンジン音か。
あるいは人の声か。
いりまじった、その音の中を席へ向かう。
とりあえず。
数登珊牙は周囲へ眼をやった。
列に連なった座席。
単独のような座席。
狭いとも広いともつかぬ機内。
席の正面についている画面。
そこへ各々探して。
荷物そして人々。
だんだん落ち着いて来るにつれて。
照明の黄色っぽかったのが、少々明るくなる。
白い色を帯びた。
室内の照明として、視界に馴染みやすくなる。
数登。
彼も席へついた。
シートを少し倒す。
だがほんの少し。
地上から車輪が離れるまでの慌ただしさ。
乗客は揃ったのか。
手荷物を何処へ置くか。
座る時の尻の位置。
安定感。
案配。
地面についている、機の車輪が。
地面から離れる瞬間の。
地上と、その空間全体の。
そのまた中間。
徐々に離れて行く車輪と機体と、地上の距離。
脚の裏が捉えているのは。
あくまでも機内の壁の一部のみとなる。
外。
雲を掻き分けて高度の上がるたびに。
小さな点描。
車道の作る絵。
円と楕円と四角いような模様。
線と線で入り乱れ、そこを点描が行く。
高いビルのその群。
ドームのようになった空気層。
それが空と街とビルを覆っている。
その更にドーム層の上の空が見えてくる。
全体として街が小さく眼下にある。
だんだん離れて行く。
眼下。
大人しく中空に揺られる。
その状態の機内で。
数登は再度、周辺へ眼をやった。
隣は手元へ眼が行っている。
数登の手元も。
一応文庫本がある。
九十九社からの二、三名。
先程立っていた時に、視界へ捉えたはず。
視界の。
数登の視線の捉える対象となったのはむしろ。
隣である。
隣の人物。
新聞を手にしている。
それを見つめている。
数登は微笑してみせた。
何の反応もない。
数登は、そのまま文庫本に眼を落とした。
どやどやした中の空気。
やがてキーンとしたものに変わり。
どこか張り詰めている今。
圧搾状態の空気。
高度が上がれば空気も変わる。
飛ぶまでから。
飛んでからも、しばし慌ただしいが。
今は座席に収まって。ただ空中に居るという。
その感覚が、室内を包みこむ。
空気の変化が落ち着かない。
外の窓に動きがなく。
青々としたその色。
静かに続いている。
数登の隣。
頭にハンチング帽。
整った身なり。
九十九社ではない。
そして数登自身。
手元のその字の羅列に、視線を引き込まれたまま。
やがて珈琲。
隣は受け取って飲み始める。
「なかなか慣れないんですよ」
と隣が言う。
少々トーンを落とす。
それは機内の状況も見つつ。
隣との距離は近い。
前方後方との距離もまた。
「慣れないというと?」
と数登。
「今の状態がです。いま脚も。何もかも下はからっぽの状態だ」
「機体があります」
「それなんですよ。でも実質壁一枚でこうして、浮いているというかね。脚も何もなくなったように感じてね」
隣は苦笑した。
「席に収まってはいても。実際には収まってはいない。ただ壁が一枚」
「順調に飛んでいる。ただ運ばれています」
数登は本から眼を上げて、隣を見た。
隣も見返して来る。
ある程度の目配せ。
数登。
彼は文庫本の栞を抜いた。
隣へ渡す。
渡された隣は予め、あった筆記具か。
それを取り出した。
サラサラと何か書きつける。
外の落ち着かない気流。
室内にも影響する。
「やっぱり落ち着きませんねえ」
と隣は言って。
シートを更に倒した。
数登の渡した栞。
既に手元にない。
数登。
再度文庫本へ眼を落とす。




