14.
建物内部。
その中央に位置して、置いてあるのがオブジェ。
鎮座。
それを含め、なんとなくホテルの内観と雰囲気。
抽象の度合が強いように思われて。
カジノで賭けをするにしても、少額で少し遊ぶくらいであれば。
自分の胸とか、喉元とか。
そういう部分に対する、返り討ちのようなもの。
血を浴びるか否か。
そういうものは。
少なくとも少なく、済むかもしれない。
例えばこういう、抽象の度合に頭が紛れて。
とか。
カジノで遊ぶのも非日常だが。
周囲に存在する、抽象の度合が強いほど非日常感は、より強まる。
とか。
頭を「賭け」に持って行く場としては、そのほうがいいのかもしれない。
カジノで賭ける。
その額を、何かのため後ろへ引くことが出来ないとか。
その賭ける額が、遊ぶ本人の本気度合に、どれほど依拠しているか。
あるいは本気であるほどに、度合もまた激しくなるであろう。
その返り討ち。
血に染まるような体験。
金を賭けて負ければ負けただけ、自分が浴びる血。
それを和らげるのには、抽象というのは効果的な演出かもしれない。
とか。
あれこれ考えて。
黒田縫李は、クラニークホテル内にある女性像および絵画を見ていて。
中央に位置というか鎮座というか、その鎮座しているオブジェの窪んだ部分。
そこへ湛えられた水は、窪んだ水盆部分から下へ。
段々と静かに滴り。
下方からゆっくり視線が移る。
内観天井。
照明もまたシャンデリアのような、分かりやすいものではなく。
こちらも抽象度合が強いような。
細かい明かりが一つ一つと。
天井に開けられた小さな格子や、分かたれた枠へ収まっている。
脚の載る床へ、照明が光となって落ちる。
暖色へ近く、全体の空間もその色を強く反映している。
床へ投げられた、柔らかい光線。
抽象度合で覆う必要のあるものとして、例えばなんだろう。
高額の賭け。
を、行うことで自分の受ける何かに対する、大きいものに対する覆いか。
あるいは?
何か、日常を吹っ飛ばすための、カジノなりの仕掛けか。
縫李は周囲を見た。
あまり今のところ、何か異常な雰囲気というのはない。
今のところは「抽象」度合についてだけ、思考が向く。
ニッカトール・ダウナーで、アカウントに賭けている奴。
オブジェか水盆の周辺へ座っている人間には。
何人か、いるのだろうか。
渋面しか作っているように見えない。
「ええ、確かに」
言った、その渋面はカウンター越し。
黒の蝶ネクタイ。
シャツとスーツの襟に、少々黄金の模様。
ここの抽象度合は服装にも、か。
規定があるとすればだが。
とか縫李は思う。
「どこで、それを?」
そうボーイらしき男は続けた。
一方でエラニーは淡々と。
エラニーかあるいは、ギデオン・C・エスター。
あるいは?
「アポがあったはずですが」
「関係者の方で?」
「類は少々違いますがね」
「一般に開放というのはおこなっておりませんで」
「それはそうでしょう」
やりとりは続いている。
エラニーのほうが淡々としている。
一方でボーイの方は表情には出さない何かが、立ち込めていた。
ような気がした縫李。
エラニーが歩き回っていた、内観。
そこから、いつからか彼がカウンターにて、脚を止めていることに気付いた縫李。
気付いたものの、少々距離があり。
カウンターへ向かって行くには、脚の歩数を稼がなければいけない。
エラニーの背後。
ちょっと物騒かもしれない?
結構背の高い二名だ。
スーツが黒。
なんかまずくないか?
と縫李は思って。
そして脚がますます動かない。
カウンターから出てくる男。
一方でエラニーの背後へ出て来た二名は、少々下がる。
棟の話か?
縫李も情報の載る案内板を、天井方向を見上げつつ。
アポ。
関係者。
ユーオロテの話だろう。
たぶんだが、表立ってはしていない話なのかもしれない。
死んだアイドルの部屋がホテル内へ、残っているなんていう話。
とかいうのは。
説明しているボーイの男と、隣のエラニー。
棟の話をすることにしたのだろうか、それとも。
縫李は、おずおず近づいてみる。
出来るだけ屈強な二名の視線は、避けたいものの。
こういう状況というのは。
さっきの絵画だのオブジェだのという、抽象の漂った空気とはまるで違う。
一変である。
さっきのボーイから、立ち込めたような何かが伝染するように。
周囲に緊迫感。
だが、大きいものではなく。
影響しない程度に影響する、かすかな何かで。
何回かこういう場面。
縫李は自身で経験している。
ただ、今の状況の場合。
カジノ関連ということで、金の単位からして桁違いだ。
当然、縫李の経験したあるいは経験済みの緊迫度合は、今の状況に及ぶものではない。
緊迫度合が強い分、その緊迫度合の表現が多彩なのも、またしかり。
縫李が経験したものはもっと、分かりやすいものだ。
こっちは桁違いのぶん、高度といえようか。
ただ根本、そこは寿司だろうがなんだろうが。
来る人間の影響力。
寿司であれば客の影響力というのは店に、来てからでなければ店側は分からない。
当然店側も客の見定めくらいは、入店前からしている所も多い。
だが寿司を出してから、その後などは防ぎようが難しい。
ただ店内で暴れるにしても、動と静がある。
すぐ動に転じて暴れ出す奴と。
静から動へ行く奴。
こっちはあくまでも、分かりやすい例だ。
最近縫李は暴れる前兆なんかを憶えたから、対処はやりやすくなった。
かもしれない。
今のホテルのこちらは、一様に静のままで張り詰めた緊迫だ。
縫李は緊迫のほうに近づいてみた。
要するにエラニーのほうへ。
緊迫からの沈黙を破ったのはボーイのほうだった。
渋面はそのままに。
言葉は何も発さずに。
その表情だけで沈黙を破った。
動に行くのか?
縫李は内心冷や汗。
「ええ、情報流出の件ですね」
言ったのはエラニーだった。
視線。
当然屈強な二名以外にも、周囲に人は居る。
周囲のその他にも、緊迫から立ち込めて伝染した、何かにより。
いろんな視線やら興味やらが一点。
今の場合はボーイの方へ向いているのが、縫李にも分かる。
特に屈強な二名は分かりやす過ぎる。
次の言葉はボーイからだ。
「何の」
「言ったままの」
「何も関知するところはないが」
「口止めか何か」
言ったエラニーの方へ、屈強がいよいよ近くなる。
ああ、いよいよまずそうな。
縫李の冷や汗。
何か言いかけようと口を開きかけるボーイ。
「口止めか何かを」
エラニーは更に言った。
「例えば」
何だか妙に口の動きが、遅くなって見えるようだった。
たぶん見ている縫李にとっては、今のこの状況の緊迫に。
慣れていないのもあったかもしれない。
あと、縫李は勝手に身体が動いていたのもある。
近づくまいとしていたけれど。
こういう時。
人間というのは、あまり意志とは関係ない動きをしたりするものだ。
寿司の店にいれば、それをよくやっている。
特に、来る客の影響力に触れてその大きさが分かった段階で、何も考えている余裕がなくなるから。
動くしかなくなる。
結構まずい感じの視線は、こちらへ向くか?
興味を持った奴らとか。
屈強のほうは勘弁だが。
どうか?
エラニー。
「何ドルくらいで。割のいいアカウントについてなら私も、知らないではない」
制したのはボーイ。
制した先は屈強二名の動きだ。
「あんた、何が目的です」
静かに言っている。
気が付くと緊迫の糸が多少、緩くなっている。
縫李は少々、力の入った脚を緩めた。
そして平静を装ってエラニーのほうへ。
「今日、来ていますよね」
言うがボーイは応えない。
「だから口止めと言いました。しかし情報流出の件はあまり看過出来たものではない。違いますかね」
「ええ、ええ、いらしています」
一旦引くのがいいと思ったか。
実際、今は少し両者の距離は開いていた。
エラニーとボーイの。
縫李は一方で、つかつか向かって行った。
ここまで何もしないで傍観できていたのは店では。
絶対にないことだと、内心思いつつ。
そして冷や汗は普通の汗になった。
静かにボーイは続ける。
「ただ、今のこの場にはいらっしゃらない。今はカジノのほうですよ」
「どうもありがとう」
エラニーはボーイの手に、金を握らせた。
だがどう考えても、今の会話から見ていればチップの類とは言えまい。
情報流出。
アカウント?
てことはシーグレイに関して何か裏があるのかも、しれない?
いずれにしても。
数登珊牙とエラニーの目的は似ているようで、違うのかもしれない。
何か、調べに来ている。
そういう可能性だけは。
ただ、数登とユーオロテに関しては、今の場では何も出ていなくて。
エラニーとボーイのやりとりにおいては、何も出ていない。
アカウントといって。
今の場では、流れからしてニッカトール・ダウナーのことだろう。
あのボーイ自身も「来ている」と言っていたから。
シーグレイのことというのは見当がつくものの。
その他。
良からぬ言葉がいろいろ出て来たのが、縫李には気になった。
先程の屈強二名といい。
脅しをかけたのは、どちらだろう?
今はホテルの棟探しというよりは、外へ出ている。
いつの間にか。
空の陰りと暗さは、明らかに。
縫李が回転扉を潜る前よりも増している。




