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自意識  作者: 出雲成
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彼の手記

最近、めっきり私の視界ははっきりとしなくなってきていた。それは特段私が盲目であるとかいうわけではない。原因ははっきりとはわからないが、恐らく眼精疲労であると勝手に思っている。スマホの使いすぎなのだろうか、身体もなんだかうごいているのかもはっきりとはわからない。そんな状態で私は夜道を歩いてた。


3月中旬もう冬は終わりを告げ、春になっていた。桜も咲き始め、夜道の街灯に照らされた桜の木はこの私でもわかるほどの綺麗さであった。


さて、私はいったいなぜ、夜歩いているのだろうか、その理由ははっきりとはわからない、いや、わかっているのだ。しかし、私はどうにも臆病な人間である、それと向き合いたくないのだ。

ああなんと臆病な人間、逃げたい、この一心である


一つ向き合えるものがあるだろうか、私は病的なまでの自意識を持ち合わせている。無論これはあくまで主観的であり、相対的評価のしようがないのだ、だが、私はきっと持ち合わせているのだろう。

私の一つ一つの行動に私はその行動をしたら他者にどう思われるかを考えてから行動しないと気が済まないのだ、そして、それで私は過大な自尊心をもつ、ナルシストのような類だと思われるのをひどく嫌う、また、こんなことしちゃってる私すごいだろ!というように思っているように思われるのが嫌なのだが、どうも私には通常の人間が当たり前にできることができないのである、例えば時間に遅刻せず試験を受ける、教科書を授業に持ってくる、好意を寄せた相手にきちんと気持ちを伝える。いや、それ以前に私は恋愛において人を好きになるということができないのであるる。

私は中途半端に賢いのであろうか理解しているのだ。

私はきっとその人になにもできないだろう、それでいて、何かの間違いで会話ができるようになったとしても、私は、その人から好かれるどころか、嫌われてしまうだろうと

このように、おおよその人間ができることができない。

それだけならよいのだ、しかし、遅刻している私かっこいいだろう!と思っていると思われるのがいやなのである。


周りからの評価、これは私はひどいほどに、それこそ承認欲求というものだろうか、これは私にとっては生理的欲求に近い。

しかしながら、私には周りからの評価を存分に得られる才能がないのである。

飽くなき承認欲求、もはや死の寸前。

自殺というものは、私は餓死のようなものだとすら思っている。食欲というものが満たせない、分かっている、、なぜ餓死するのか、それは栄養失調であると、そのようなものは分かっている。

しかし、これは私の中での一種のメタファーである。

承認欲求の枯渇ゆえの死、この二つに共通する、欲求が満たせないからの死。

自殺という行為は決して悪ではない。断言しよう。たとえ神という神が自殺を悪と否定しても、私だけは永遠に肯定し続ける。

このような強い病的なまでの自意識は(そして、私の場合大抵それは自己批判である。)増大し、私の体を蝕んで行く。


もう一つ向き合えるだろうか、私はいろいろと周囲にもひどく落胆している。それは誰が悪いとかではない、なぜなら自然の摂理、そうでなければ成り立たないからであるのだが。

人間というのはひどくエゴイストである。自我が強く、平気で他者から搾取し、自分の利益に繋げ、いかに、自分がすごいか、自分が楽に楽しく人生を送れるかしか考えていない。

私はそれにひどく憤りを感じていた。こういう人が皆いなくなり、互助の精神をもった世界であれと。


しかし、私は考え直すことになる。いや、待てよと

では、皆が自我がなくなり、他者の幸せを願った互助の世界が誕生したとしよう、どうなるだろうか、この世界に幸福者と呼べる人間は存在するだろうか、皆が皆、他者の幸福を願って生きているというのならば、他者の幸福が叶うということ、それすなわち、その対象の他者も他者の幸福を願っていて、一人でもエゴイストがいないかぎり、彼らがしあわせになることはないのである、かといい全員がエゴイストなら…これは議論の余地もないだろう。

つまり、全員が幸せになるというのはとても空想的なとのであった。  


このように、人間矛盾を抱え、誰かしら不幸になり、誰かしらが幸せになるという、誰かが犠牲にならなければならない。


そしてこの絶対の普遍性のない社会で生きていくことが、私からしたらひどく不安なのである。

耐え難い恐怖、逃れたい、これも外へ逃げた要因。

本当は、酒、薬、ギャンブル、女、快楽が欲しい。忘れたい、一瞬でもいい。快楽が……と思うが、私は生憎未成年であるためいずれもすることができない。残されたのは外にでる。

私の最後の抵抗であろうか、、


その昔、私は二度ほど自殺未遂のようなことをしたことがある。

縊死だ。しかし、今こうしてまだ生きてしまっている。

未来において確定、確信していることといえば私は自殺してこの世を去るだろうということ。

私は精神的に脆い、立ち向かう勇気など微塵もない。そして、そんな自分への自己嫌悪。ひどく臆病な人間である、もはや人間というのすらおこがましい。


そんなことを誰に話すわけでもなく、家に帰り、この手記に書き出してみるとおおよそ4.5枚程、深く考えていると思っていることでもこの程度。私の才能のなさがうかがえる。


もう少し何か書いてみようか。ならば、恋について考えてみよう。

恋というものは、とても甘美な響きである。私も恋をして一人の女性を一生愛し添い遂げたいものだ。しかし、現実はそれを許さない。僕のこのロマン溢れる理想郷を叶えることを許してはくれないのだ。現実でこれを女性に言ったらどうなるだろうか?

反応は分かりきっている「重い」この一言に尽きるだろう。

つまり、彼女らはこんな主観的だが、素晴らしいといえるような考えを許さないのである。

恋をしていいのは恋をしたことがある者だけ。という矛盾がある。

だが、先に記した通り私は人を恋愛的に想ったことが一度もないのだ、これには将来を考えたり、周りを見渡していると恋人がいなくてはおかしい、もしくはおかしくなくても将来不利になってしまうと考える。

ならば、私も偽りでも恋をしなければならない。

そとそも恋という概念は何であろうか?考えてみたことがある。恋というのは素晴らしく美しいものである







その逆、エゴに満ちたとてつもなく汚い下劣なものである。

皆が好きな人の何が好きなのか、今一度問い直してみてほしい。

それは優しいから?かっこいいから?かわいいから?お金持ちだから?では問う、それは、自分がその人への理想像の押し付けではないか?本当はそんなことないかもしれない。

恋は盲目とはよくいったものである。僕はこのエゴに満ち溢れたものを、さも、相手のためのように、そして美談であるかのように語らうのにとてつもない嫌悪感を抱く。

相手のためではない。自分のためなのだ。その行為にたいして、好意を寄せた相手からの報酬を得ようとしてるのだ。

それだのに、まるで、好意を寄せた相手のためであると装ってる。

そうこれら一体、恋というものはエゴ、自己中心的発想なのである。それゆえ、私は恋ができない。しかし、それでもなお、世間は恋をしたことがあるかどうかを問い、それすらも年収、学歴などのように評価の一種としてしまうのだ。とてもじゃないが生きにくさを感じる



いま、年収、学歴と書いていて思い出したのだが、これらもやはり、必要となってくるのである。世間において学歴というものは必要ない。それが評価のすべてではない。たしかにそうだ、そうである。学歴に応じてその人の言ったことの是非を判断するのは愚行であるが、世間ではどうだろう?

彼らは表面ではそのようなことを言っている。しかし、本当はそうではない。ほとんど、彼ら民衆は考えることが苦手なのだろうか、考えたくもないのか、その人が何を言っているか、よりもその人が何であるかに注視し、脳死で判定してしまう人が増えてきている気がしてならない。

そのような世間で自分の発言権を得るためには、学歴や年収も必要なんじゃないかとも思ったりする。もちろん私はまだ社会にでていないので、どうなのかも分からないというのもある。


大人は子供にお前はまだ社会を知らないと言うようなことを言うが、これはひどく厚かましいことである。それは納得する理由になりえないのに、そういうことを言う大人は大抵無能の馬鹿、阿呆であると思っている。論理で説明をしなさいと思ってしまうのである。


そしてまた、自由というのも怖い、私は定められた人生を歩みたい。皆、定められていないから面白いなどとぬかすが、私には未知の未来というのがたまらなく怖いのである。

私からしたら自由というのは鎖である。私は自由に縛られてうごけなくなってしまっている。

どれが正解かわからない。そんな、先がわからない人生を生きていくことに不安を感じる。一つ確定しているのは「死」である。

これだけは普遍である。


そのため私は死が待ち遠しい。



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