コモドの帰還8
あちこち急所を打たれ、服の中は見えないが、少年の身体は満身創痍のはずだ。
その場に座り込み、痛みで呻いていた。
「真剣で来るからね。こちらも少々気合いが入ってしまった」
アメリア老師はそう言って慈しむような目を少年に向けた。
「気付けば、剣を抜いてました。老師を殺したり傷つけたりするつもりは無かったけど、どの道、俺はその段階に至っていない」
以前より寡黙になった少年はそう言った。どこか大人びた喋り方であった。
「さて、ガキども、授業を始めるぞ!」
老師が呼ぶとヌイの馬、ペケの周りに集まっていた子供達は素直にこちらへ駆けてきた。
そして石畳の上に座る。その手には羊皮紙の束が握られていた。
老師が文を読むと子供達が後に続く。おそらくこの後は稽古、手合わせだ。男の子も女の子もそれを楽しみにしていた。コモドも昔はそうだった。懐かしい思い出だ。
アネーリオがヨロヨロと動いてヌイの方へ向かった。
どうしたのかと思って見ると少年は言った。
「ヌイさん、もし手が空いてるのだったら俺に稽古をつけてくれませんか?」
以前より、強くなることに貪欲だった少年は、ここに来てその闘志が燃え上がったらしい。ヌイは頷いて薙刀を振るった。
ここは大丈夫だな。
「じゃあ、少年、俺っちは出歩いてくるから。昼飯は老師にゴチになってちょ」
「分かった」
「よし」
コモドは階段を下り始めた。
2
村の仲間に聴きまわり、ようやく、ウルフとイシュタル、ロベルト村長の姿を見つけることができた。
村の北部の森を周囲にした区画だった。村民がもっと増えたら開発を進めようという意見が前々から出ていたがウルフとイシュタルがその第一号になったらしい。未だほぼ未開だが、三軒ほどなら建てられるように整備は欠かさずしていた。草はしっかり刈られ、地面が剥き出しになっていた。
「おう、コモド」
ウルフの視線が動いたのを見たようで、ロベルトが振り返って声を上げた。
「やっほー。お二人さん、ここに決まりかい?」
「ここだと、ちと、他の家から離れているのが問題だな」
ロベルトが二人を振り返る。
「いいえ、私とイシュタルさんなら問題ないですよ。しばらくは静かに過ごせそうですし。ただ、費用が幾ら掛かるのかが」
明るかったウルフが決まり悪く言った。
すると、ロベルトが豪快に笑った。
「村の仲間なんだから気にするな。アンタはガタイが良いし建築に手を貸してくれるなら、何も問題無いよ」
「いや、しかし……」
「と、言っても払えるほど持ってないんだろ?」
「ええ」
ウルフが頷くとロベルトは再び笑ってその背中を叩いた。どうやらウルフは鎧は着ていなかったらしい。少しだけ刺激のある音が聞こえた。イシュタルが眉をひそめるが、コモドがウインクすると、何も言わずに引き下がった。イシュタルは表情や態度以上にウルフを深く大切に愛している。後でロベルトにはスキンシップを軽くするように進言するつもりでいた。
「では、ここに決めます。イシュタルさん良いですか?」
「構わないわ」
ウルフは恋人の顔を見て、ロベルトを振り返って頷いた。
こうして久々に居住区の手入れが始まることとなった。
3
戻って来て一週間。アネーリオは毎日のように朝食を済ませると老師の家へ出向いた。その身体は打たれ続け、打った老師自身が調合した薬草の湿布をいたるところに貼り付けていた。風呂から上がった時にその様を見てコモドは感心した。それでも折れないアネーリオの根性は大したものだ。聴けば、ヌイと共に老師に挑んでいるという。好敵手のような関係だろう。それが少年の闘志を刺激している。
ウルフは村の衆と共に家造りを始めていた。その間、イシュタルは工房で女達と民芸品の制作にあたっていた。
コモドは適当に村をブラブラしながら、ケーキを焼いたり、年寄りと話したり、カラカラの餌である春コオロギを採取したりしていた。
村は平和だ。エクソアのゾンビ騒ぎの借りを返すかのようだ。
コモドは春コオロギを捕まえるために岩をどかしたり、地面に敷かれた板を剥がしたり仕掛けた罠を見に行ったりしていた。
「精が出るのぉ」
声を掛けられ振り返ると、いつか出会った新緑色の髪をした少女、いや、少女というよりも幼い子供が立っていた。相変わらず白い半そでの粗末な衣に身を包み、はだしであった。
「お嬢ちゃん、また会ったね」
コモドは帽子のつばを上げて微笑んだ。
「お主が連れて来てくれた客達のおかげで村は久々に賑わっておる。よきかな、よきかな」
ニコニコ笑みを浮かべて頷く女の子の表情が少し陰った。
「どしたの?」
感情の機敏を察することが得意なコモドはすかさず柔らかな口調でそう尋ねた。
「クルーとインバルコの動きが少しずつ不穏になってきておる」
「戦争か。嫌だね、戦争は」
「だが、大きな意思の流れの前にこの村は流れ行く小さい石のようなものじゃ。流れ着いた先はすなわち死と悲しみと絶望。コモドよ、お主はこの流れに身を任せるのか?」
コモドは相手が幼い子供だということを忘れていた。
「いいや、防げるものなら防ぎたいね。少し王都へ様子を見に出掛けようかしら」
「それが良い。村の命運、お主に預けるぞ」
ふと、コモドは目を疑った。また何の予兆もなく女の子は消えてしまったのだ。
幽霊? だが、老師と村長には伝えるべきだ。前々からの懸念だ。いつかは二つの国の野心がぶつかり合う時が来ることを誰もが知っている。
女の子は幽霊だとは思わなかった。幻覚でもないはずだ。
コモドは春コオロギを集めると、一度家へと戻ったのであった。わざわざの忠告、いや、警告だ。話し合うなら今宵のうちに済ませるべきだろう。歩みながらコモドの頭の中は目まぐるしく回転していたのであった。