コモドの帰還72
畏怖、怒り、断末魔、その声が繰り返し耳に流れてくるような気分だ。
両軍とも陣は壊れ、統率の効かぬまま、飢えた狼のように互いに孤独に相手を探し求め、斬りかかって行く。
ここは地獄か。
コモドはそう思いながらも馬上で弓を引き、窮地の味方の兵の援護に回った。
シグマはカツヨリに命じられたように、かつてのカンスケがそこにいるようにコモドの側から離れなかった。だからこそ、平静を保っていられる。誰だって仲間がいれば心強い。
背中に手を伸ばしたが矢筒は空だった。
「シグマ、俺達も相手を探そう」
だが、そうするまでも無かった。徒歩の兵の中、馬に乗っているのは将だと相場は決まっている。コモドに狙いを付けた者達が殺到してきた。
「ごめんね、君らを斬るよ」
コモドはそう言うと馬腹を蹴った。ヒャクシキが黄金色の残像を残し、敵の歩兵の中へ躍り込んだ。
クサナギノツルギを引き抜き、相手の剣をとぶつけ合い、破壊する。続け様に槍が繰り出されるがそれもクサナギノツルギは溶かすように斬り折った。
敵兵達が瞠目している。
だが、コモドにはそれ以上ができなかった。驚く目はまさしく戦などに無縁な民の目に戻っている。散々射たくせに直接は手を下せないのか!? 己の甘さに怒りを覚えた。
「カアッ!」
咆哮を上げてシグマが馬から跳び下り、馳せ、敵勢の前に立ちふさがる。
一瞬後、血の柱が周囲を染め、敵は斃れた。返り血がシグマを染める。ここまで来ると、このシグマという男は、血に染まるのが一種の儀式的なものだと思っているのかと考える程である。
シグマが振り返った。
「お前は将だ。今の俺は近衛。近衛が将を守るものだ。剣を破壊することしかできない雑魚は大人しくしていろ」
「そんなことはない。例え弱くとも将だって兵のために戦うものじゃないの?」
「俺には分からん。ただお前が弱いことだけは分かる」
シグマはそう言うとコモド目指して勇躍してくる雑兵を事も無げに片付けた。暴風のような剣技だ。
コモドはふと、思い出した。この状況で総大将は無事なのか。フリード王子には、三騎士、ソルド兵士長が近衛として幾らかの兵と共に護衛に就いている。
心配が募った時だった。
視界の端で一騎討ちが繰り広げられているのが映った。
ヌイと、あれは最初に出て来た敵将クウガだ。薙刀と長槍がぶつかり合い、音を響かせている。だが、クウガの方が優勢だった。ヌイの周囲には敵兵がいて神聖な一騎討ちを邪魔するように囃し立てている。
一人がヌイの足に手を掛けた。
「シグマ、行って!」
「弱者共が、世話が焼ける」
シグマは馬に飛び乗った。ペケは全力で今の主を乗せて疾走し、本当の主の元へとあっという間に駆け付けた。
「一騎討ちの邪魔をするな!」
敵将が吠えた。
「これのどこが一騎討ちだ。手下がいなければ雑魚にも挑めぬ、究極の雑魚が」
シグマが剣の血を振り払い、クウガへ斬りかかった。
「この俺を雑魚と!」
剣と槍がぶつかった。
「クウガ様をお助けしろ!」
集まっていた雑兵がヌイから離れシグマへ迫った。
だが、その判断が彼らの寿命をここまでにしてしまった。
シグマは敵将の槍を右腕の剣で受け、左手を振り回し、雑兵らは塵となった。
「何だと!?」
敵将が驚きの声を上げる。
「行けっ、駄馬!」
シグマが言うと。ペケは駆けた。
敵将は押されていた。槍は剣で押し上げられ、頭上高く掲げる格好になっていた。そこをシグマが左手の剣を向けた。
「ま、待て」
「命乞いは認めぬ。お前を守るために死んでいった雑魚どもにあの世で詫びろ」
シグマの左手の剣が走った。敵将の首が落ち、兜の甲高い音を立てた。
「手柄にしろ。俺は興味はない」
シグマは背後のヌイに向かってそう言った。
「そういうわけにはいきません! 私が斃したわけでは無いのですから。そのぐらいの分別は持ち合わせております!」
ヌイが反論する。
コモドは溜息を吐いた。全く、戦場で痴話喧嘩で癒してくれるなよ。
その時、シグマとヌイが同時にこちらを見た。
気付いたときには風を切る音がし、身体に衝撃を感じた。
一本の長く太い矢が右胸に突き立っていた。
コモドは歯を食い縛り、手綱を握って落馬を防いだ。
見れば、黒装束の者が一人、ボーガンを構えて立っていた。黒頭巾を目深にかぶっていて顔はよく見えなかった。
「狐!」
シグマが駆け付ける。
狐は慌てて第二射をしたが、コモドは剣で弾いた。
「クククッ、聖人コモド。私の可愛い部下達を殺してくれた恨みはこれで晴れた」
狐はそう言い残し、乱戦の最中へ消えて行った。
コモドは矢を引き抜いた。大量の血が下着を侵食するのが分かった。傷は深い。
「コモドさん!」
ヌイが声を上げて合流する。
「かすり傷だよ」
コモドは笑って見せた。だが、痛みは次第に広がって行く。
これは毒だな。
狐が言い残したセリフが本当なら、これは致死量の毒が矢じりに塗られていた。即効性かは知らぬが。
ひとまず、この戦いを制するまではもってほしい。
「駄目です! 傷の手当てを!」
ヌイが声を上げた。
そこへウルフが残存兵を搔き集めて合流した。
「ウルフさん、戦況はどんなもん?」
コモドが問うとウルフは応じた。
「ヤト衆と教会戦士団が勇戦してくれている。民兵隊は散り散りになってしまった。彼らを呼び集め、今一度陣を立て直し防衛の薄くなった敵本陣へ突撃しようと考えている」
「面白そうだね」
コモドは心の底からニヤリとした。燃え上がる闘志が痛みを忘れさせた。意識が覚醒する。
「旗を掲げよ!」
ウルフが兵に命じる。クルー王国の国旗、太陽に照らされた兜の印が微風に煽られる。
「ウルフ!」
イシュタルが百名ほどの兵を集めて馳せて来ると、ロベルトとパパスがそれぞれ三百名ほど引き連れて同じく合流した。
「コモド、何ニヤニヤしてるんだ?」
パパスが強面の顔を顰めて尋ねて来た。
「ん、いやさ、これから敵の本陣に突撃するんだよ。あの皇帝のじいさんの腰を抜かせられるかと思うと、妙に武者震いがしてね」
「汗もか? 尋常ないほどだぞ。緊張してるのか?」
ロベルトが問う。
「たぶんね」
コモドはそう答え、何か言いたげなヌイに向かってウインクし、囁いた。
「これが終わったら治療受けるから」
その言葉にヌイは意見がありそうだったが、飲み込むようにして頷き返した。




