コモドの帰還62
サラマンダーの旌旗が微風に靡く。軍勢を進めて行くと、斥候に出ていたイシュタルらが戻って来た。
敵は千ほどで、町の前に軍勢を展開しているのだという。
一時行軍を止め、主要な者達が集った。コモド、マサツネ、ウルフ、イシュタル、ヌイ、ソルド兵士長。解放軍の将だ。護衛の精兵四騎とシグマは狐の気配に目を光らせている。
「再び奇策を用いるべきでしょうか?」
ヌイが尋ねると、ウルフが応じた。
「奇襲あるのみとは言ったが、敵も疑い始めているだろう。それにヤトの侍衆なら練度も高いことが先の戦いでも実証済みです」
「その通り。敵は千、こちらは八百近く。正面から挑んで勝てぬ相手ではありませんな」
マサツネが得意げに言い、一同がコモドを見る。
俺は戦いに来ているのだ。コモドは犠牲を出さずに済む策が無いかと思ったが、自分が敵でも、ウルフの言う通りそろそろ奇襲も見破られるだろうと痛感していた。
勝てぬ相手で無いのならば――。
「よし、堂々と正面から攻めよう」
こうして戦術が決まり、ヤトの侍衆を先に長弓を持った民兵隊が後方になり行軍は開始された。
昼の太陽が傾き始めた頃、馬上の解放軍を徒歩の敵兵団が迎え撃つ構えを見せた。
「同等なら勝てるだろうと踏んでいるな。だが、それはこちらも同じことだ。ヤトの侍の練度を思い知らせてくれる」
「そうです、行きましょう、マサツネ!」
マサツネとヌイがヤトの侍を指揮する小隊長だ。
「コモドさん!」
ヌイが声を上げる。
コモドは背が小さく、ヒャクシキに跨っても、他の者も馬上なら同じことであった。ヌイの姿は見えないが声だけは聴こえる。
「よし! 全軍前進!」
コモドが声を上げた。
敵も突っ込んで来た。地鳴りと威勢の良い声が轟き、長槍が馬上の武者達に襲い掛かる。
「弓隊援護、撃ち続けよ!」
ウルフが民兵の中軍で声を上げる。
あっという間に視界が宙を跋扈する矢の影に遮られた。
矢は何も一方的というわけでは無い。向こう側からも撃たれてくる。民兵達は死を賭して長弓を引き続けた。
コモドとイシュタル、ソルド兵士長と精兵四騎は最後尾で盾を構えて矢を防ぎつつ戦線を見ていた。その隣でシグマは左右の剣で小うるさそうに矢を弾き返していた。
前線が進む。敵を食い破っている証拠だ。
「勝機は我らにあり! 全軍進めーっ!」
ヌイの鼓舞する声が聴こえた。するとシグマが言った。
「あの女、弱いくせによく吠える」
「ヌイさんは強いよ」
「いいや、未熟だ。弱者は戦場に連れて来るべきではない」
「ヌイさんは強いけど、弱い人の手も借りなければこの戦は勝てないよ。知ってるだろ、後で援軍で一万の民兵達が来る予定だ」
「弱者ばかりだ。ただ屍を晒しに来るに過ぎぬ」
シグマは鼻を鳴らし、矢を叩き落とした。
すると、ラッパが吹き鳴らされた。こちらではない、向こう側だ。
「伝令! 敵軍は四百余りが町の中へ退いて行きます!」
「追撃を!」
コモドがすかさず言うと、隣で矢だらけの盾を捨てたイシュタルが駆けて行った。
程なくして解放軍は町の分厚く高い壁面へと辿り着いた。それだけならまだ良いが、門は補強され、重々しい鉄の扉へと成り代わっていた。それが閉ざされている。攻城兵器は後に来るロベルトらが率いてくることになっている。まさか、町に籠城されるとは思わなかった。
そうこうしていると声が上がった。
「櫓から矢が来ます!」
「一旦下がろう!」
コモドはそう言い全軍を離れた場所へと導いた。
門は閉ざされ、遠くから見てわかるが壁近くに櫓が無数に点在していた。敵将はここを防衛の拠点として使うつもりだったのだろう。
シグマと精兵四騎に護衛され主要な人物達が集った。
「急がねば援軍が来るな」
ウルフが言った。
「それが狙いだ」
ソルド兵士長が応じる。
剣で門扉も壁も突き破ることは出来ない上に、壁は高い。
「外から呼びかけて民を内応させるか?」
マサツネが言った。
コモドはかぶりを振った。
「それは最後の手段にしよう」
ではどうするか、ウルフが提案した。
「望みは薄いが、挑発してみるか」
「やってみよう」
コモドが頷いた。
ウルフが一隊を五十名のヤトの侍衆を率いて馬で飛び出して行った。
門から二十メートル辺りまで接近し、ヤトの侍衆は法螺貝を吹き鳴らした。
それが止むとウルフが声高に叫んだ。
「我が名は解放軍の将、ウルフ! 怖じ気付いた貴君らを見舞いに来てやった! 我が首取るなら今が好機だぞ! さぁ、返事は!?」
それに答えたのは矢の斉射だった。
ウルフ達は尚も粘ったが、成果は出ず引き返してきた。
「次は私が行きます」
ヌイがペケに飛び乗り言った。
「女なら油断するかもしれません。それに私は連合の一角のヤトの姫。捕まえて人質にするならもってこいです」
「弱いくせに出しゃばるな」
シグマが言った。
「弱いかもしれませんが、全力を尽くす時です。シグマさんはコモドさんを頼みます」
「フン」
ヌイが三十名のヤトの兵を率いて挑発に出たが、これも失敗に終わった。
「敵勢は四百か。見逃しては輜重隊にも兵站にも被害が出ような」
ソルド兵士長が言った。
一同は黙した。
このままでは敵の援軍が到着するかもしれない。
ふと、一騎が進み出て馬から下りた。
兜のバイザーを上げた顔はグリーザだった。
「コモド殿、私に十名の兵をお預けください」
ソルド兵士長の顔が驚愕に見開かれた。彼が言いたいことは分かる。だが、コモドは思った。グリーザに手柄を立てさせてやる時なのかもしれない。その場を与えなければグリーザは戦が終わっても成果に満足がいかず王座に就こうとはしないだろう。
「分かった」
コモドが言うとマサツネとヌイ、ウルフが詰め寄ってきた。が、ソルド兵士長が言った。
「方々、この者に勲功を上げる機会を何卒下さりませ」
兵士長が頭を下げるとマサツネ、ヌイ、ウルフは驚いたように顔を見合わせた。
「コモド殿のお許しが出た。行け、グリーザ」
「はいっ!」
グリーザは勇躍した。
「イシュタルさん、シグマ、二人も同行して。兵は」
「民兵で構いません。敵の油断を誘います」
グリーザが言った。
「油断も何も、その程度の小勢では鼻から相手にされぬであろう。お主がヌイ姫様以上に名のある者でなければ」
マサツネが否定的に言ったが、コモドは宥めて、グリーザに頷いた。
「他の兵の抜擢は任せるよ」
「ありがたき幸せ」
グリーザはそう言うと馬を進めた。イシュタルとシグマが続く。と、ヌイが呼び止めた。
「シグマ殿、私の馬を、ペケをお使いください」
「要らぬ」
「要らぬではありません。あなたの二刀流にもペケは賢く応じてくれます。成功するかは分かりませんが、大役を任されているのです」
ヌイが背から下り頑として言うと、シグマはコモドを見た。
「うん、シグマ、貸してもらいなよ」
「仕方あるまい。同じ駄馬でもその駄馬の方が俺の期待に応えるというなら借りるぞ」
「ペケが駄馬か、しっかり確かめてみて下さい。今後、あなたに貸し続けることになるのかもしれませんから」
ヌイが言った。
前方ではグリーザが呼びかけ、命知らずの民兵らが数人列から飛び出し、後に続いた。
「シグマ殿、グズグズせず参りますよ。まさか馬の扱いに慣れておられないとか?」
イシュタルが言うと、シグマが応じた。
「戦場に出て来る女とはどいつもこいつも生意気な奴ばかりだ」
こうしてグリーザ率いる十名の兵達が出陣したのであった。