コモドの帰還61
今日は何だか目が冴えていた。コモドが動くと廊下にいる護衛役のシグマも動く。二人は外へ出た。
遠く、門の方で火が見える。篝火だ。民兵とヤトの武者達が何人か警備に就いている。
村の小川のせせらぎを渡る橋に来ると、そこには誰かが立っていた。
月光が長い髪を銀色に染めている。月を仰ぎ見るその姿は美しかった。
しかし覚えのない姿だった。民兵では無い。ヤトの侍でもない。村の者なのだろうか。それにしてはどこか気品があり過ぎるように感じた。体格はそこそこ良く、年の頃は二十ぐらいだろうか。
ぼんやり眺めていると、相手がこちらをゆっくり振り返った。コモドはただの村民だ。総大将だが、身分に対する礼儀には無頓着だった。シグマが無作法であるように。
そう、この総大将コモドに相手は一礼しなかったのだ。コモドの頭よりも冴え光る眦がこちらを凝視する。
「やぁ、邪魔してごめん。初めまして。眠れないの?」
「そんなところです」
相手は敬語で応じた。短い返事だが、声は明朗な印象を受けた。男の声だ。
「君どこの所属?」
「……」
相手は黙し、目を反らした。が、手にしていた兜をかぶって振り返った。
バイザーが下りている。
あっ。と、コモドは思い出す。ソルド兵士長の精兵四騎の顔を見せてくれない子だ。兜の下に美麗な顔があるなんておとぎ話みたいだ。
コモドはニコリと微笑んだ。
「そっか、ソルド兵士長のところの。俺っちの名前分かる?」
「コモド殿」
兜のバイザーを上げて相手は言った。
「嬉しいね。これはシグマ。で、君の名前は教えてくれないかな?」
相手は再び黙した。
シグマが腰の剣に手を掛ける。
「ああ、ごめん。無理に訊こうとは思わないから」
コモドはクサナギノツルギを抜いた。
相手も長剣を手にした。
橋の両端に黒い影がそれぞれ十ほど現れた。
「やぁ、お狐さん。暗殺に来てくれたのかな」
狐らは両端から音もなく疾走しコモドらに向かって突進してきた。手には月明りで煌めく小剣が握られている。
跳躍してきた影をシグマが瞬く間に左右の剣で斬り捨てる。こっちは大丈夫だ。
コモドはもう一方を振り返った。
ソルド兵士長の精兵、バイザーの青年はロングソードのような武器を手にし、見事に狐と渡り合っていたが、手数が足りない。切れ長の目は冷静だが、コモドは駆けて勇躍し、隣で狐と対峙した。
「コモド殿!」
バイザーの青年が驚いたように声を上げる。
「一緒に戦おう、若人殿!」
「フリ……いえ、グリーザと申します!」
バイザーの青年が狐の剣を跳ね上げ、突きを繰り出しつつ声を上げた。
「よろしく、グリーザ殿!」
相手の気品がコモドには引っ掛かり、丁寧語で接していた。
グリーザの剣技は見事だった。狐を全く寄せ付けない。卓越した剣術だった。
コモドも負けておられず、敵の刃を剣で叩いて圧し折り、刺突を見舞い、頭上から来る新手を短剣を投擲して落とした。
残った狐らは慌てて後方に下がり、食い入る様にこちらを見詰めた後、闇の影となった。
振り返る。シグマは全滅させていた。逃した狐は四匹だ。
「グリーザ殿、お怪我は?」
そう言い、コモドは相手の長剣に美麗な彫刻が施されているのを見た。
格式ある人間だ。元騎士の家系かな。いずれにせよ、俺っちでは身分違いだ。
「コモド殿、いえ、私は平気です」
そしてグリーザは思い出した様に首から下げている小さな笛を鳴らした。
警備の民兵とヤトの侍達が現れ、松明で狐の死骸を確認し、コモドを急いで部屋へと押し込めた。
コモドは兵達に囲まれながら、こちらを見ているグリーザに手を振った。
2
「コモドさん! 夜に外出なんて少し不用心すぎます! あなたは大将なのですよ!」
翌朝、炊き出しの席でヌイに捕まり説教をされた。
「ごめんごめん。たまにはこいつを引いて歌いたくてさ」
コモドはリュートを叩いて見せた。
「息苦しいでしょうが、我慢なさってください。戦の決着も大詰めです。ウルスラグナ平原はもう近いのですから」
そしてヌイは今度はシグマに向かってこんこんと説教を始めた。シグマが少々苦い顔をしていたのは面白かった。ヌイはシグマの静かな反論にも聴く耳持たず、説教を続けていた。コモドはそんなヌイがどこか一生懸命すぎるようにも感じた。シグマに対して容赦が無い。シグマもハエを追い払うように手を振ると、これがまたヌイを刺激し、説教を長引かせた。
それにしても昨日のグリーザ殿は、月夜が似合う端麗な男子だった。騎士や貴族ってのはやっぱり容姿に恵まれてる人が多いのかな。そんなことを思いながら、朝飯を終える。
ソルド兵士長の精兵四騎が現れた。グリーザはもう兜をかぶってはいなかった。小脇に抱え、同僚の最後尾を行く。ふと、コモドと目が合い、相手は軽く頭を下げた。コモドは微笑んで頷いた。
俺っちが大将じゃなきゃ、相手も頭は下げなかっただろうか。
不意にコモドの脳裏をある言葉が過ぎった。
クルー王族の生き残り。
だが、フリード王子でなくグリーザだ。いや、そんなことに関係なく、序列的に言うと家柄が優れている方が、国家の後を継ぐものだろうか。つまりは「村民」コモドと「騎士」グリーザ。身分では騎士の方が上だ。旧クルー王国を引き継ぐのに相応しいのはグリーザの方ではないだろうか。
コモドが立つとシグマが立つ。
「シグマ殿、まだお話は終わっていません!」
ヌイが言ったが、コモドが振り返って微笑んだ。
「ちょっと、ソルド兵士長に用事を思い出したんで行ってきます。シグマは嫌でもついてくるから連れて行くね」
「そういうことならば。シグマ殿、しっかり警護を頼みましたよ!」
ヌイは不服そうに言ったが、頬が紅潮していた。コモドは新たな気配を感じ取ったが、今は構わず、ソルド兵士長のもとへ向かった。
ソルド兵士長は精兵四騎と共に朝食を取っていた。
「ソルド兵士長、ちょっと良いですか?」
「ああ。何か用か?」
ソルド兵士長が応じた。
グリーザがこちらを見た。
コモドはソルド兵士長を集会所まで誘った。シグマに外を護衛させ、二人きりになった。
「兵士長さん、あなたのところのグリーザ殿は騎士ですか?」
その問いに生真面目な兵士長が口をあんぐり開け目を泳がせた。
これはそれ以上ということか。
「隠し通せるものでは無いな。あの方こそ、クルー王国王子フリード様だ」
ソルド兵士長はそう言った。コモドは軽く驚いた。
「だが、今は兵士グリーザということにしておいて欲しい。王子殿下は自分の力量でこの戦に貢献しようとお考えだ。その成果を元に、コモド、お主と、どちらが国を治めるに相応しいか、御自ら判断すると仰せだ」
クルーの王子は生きていた。王座を譲ると言えば、カツヨリが何と言うだろうか。だが、とも思う。王子がそのような心意気をお持ちならばそうさせようではないか。気に入った。このコモドが王子が国を治める立場に就けるに相応しいか逆に見定める。
「分かった。グリーザ殿ということにしておくよ。ここだけの秘密にする」
「そうしてくれ」
ソルド兵士長と頷き合った。
兵士長は、あれだけの拷問を受けながらも王子のことを吐かなかった。それだけでフリード王子がどのような人物か分かる気もする。忠義を貫くに値するということだ。
ふと、コモドはフリード王子を応援している自分に気付いた。
そりゃあね、俺っちはただの村人だもの。国を預かるための教育なんて受けたこともないもの。
コモドはフリード王子が更なる活躍を掴み取ることを願っていた。