コモドの帰還55
町へ入ると、そこはまるで無人のようであった。
人々は一人残らず殺されてしまったのだろうか。かつて、コモドはインバルコの殺戮劇を目撃している。
「何か臭うな。油か」
マサツネが言った。確かに町中から異臭がした。飛び込んだらここで火をかけ焼き殺すつもりだったのだろう。
コモドはメガホンを口に当て叫んだ。
「人々よ! この町はインバルコより解放された!」
畏まった口調は苦手だが、コモドは威風堂々と馬上でそう呼びかけた。
すると、一人、また一人と、民家の中から憔悴しきった様子の人々が現れた。
「インバルコから解放された?」
「しかし、あの国旗はどこの物だね?」
人々は多くなり、猜疑の目を向けて来た。
「コモドさん、もう一度、お呼び掛けなさい」
イシュタルが隣で言い、コモドは頷いた。
「この町のインバルコ兵はもういない! みんな、もう三等市民なんかじゃない! 普通の民だ!」
すると人々の呆けた顔が次々に笑顔になった。
「ワシは町長です。しかし、ヤトの方と共にあるあなた方は一体何者ですか? クルーの国旗でもない」
一人の腰の曲がった老人が杖をつき前に進み出て来た。
「さぁ、軍隊名は今のところは無いので。ただの無名解放軍です」
コモドは微笑んで馬から下りて言った。
「義民兵というところでしょうか?」
老人が尋ねる。
「そうだね」
コモドは頷いた。
それから解放軍は歓迎された。捕虜にした五十名近くのインバルコ兵への視線は冷たかった。
町長がどうしても急いで会わせたい人がいると言うので、コモドはシグマとヌイを伴い案内に従った。ウルフやマサツネらは輜重隊を出迎える準備をしていた。
老人とその十代ぐらいの孫の後に続き、町外れの墓地まで案内された。
重要な死人の眠る墓でも紹介されるのだろうか。墓地を見るとどうしてもゾンビ騒ぎの記憶が脳裏を過ぎってしまう。
だが、町長が見せたかった人物はそこに存在していた。
大きな樫の木の太い枝にロープで身体を吊られ、纏っている服はボロ布のように成り果て、細い身体は生傷だらけだった。足元の地面は血とにおいからして尿だろう、溜まりになっていた。
「この人、生きてるの?」
コモドは思わず町長の老人に尋ねた。
「おそらくは」
町長も瞠目していた。予想より酷い状況だったらしい。
「ギリアムや、呼びかけておくれ」
「分かった、爺様。兵士長さん、兵士長さん、起きて下さい!」
ギリアムが名を告げると、吊られた男は呻いた。
「すぐに傷の手当てを!」
ヌイが声を上げる。
「シグマ、手伝って」
コモドとシグマは血と尿の溜まりに足を踏み入れた。背の高いシグマがロープを切り、男を抱き留めた。
「ぬぅ」
男が再び呻いた。
シグマは抱えた男を綺麗な地面の上に横たえた。
だが、実際背中も凄まじい傷だらけで、男は呻くばかりであった。
「何があったの?」
コモドは町長に尋ねた。だが、兵士長と呼ばれた男が腫れあがり、鞭の筋の付いた傷だらけの顔を上げて、応じた。
「お前達は誰だ?」
「俺達はただの解放軍です。インバルコの支配から以前の領地を取り戻すために兵を挙げました。俺っちはコモドと言います」
「コモド……コモド、だと?」
兵士長は当惑気味に声を上げた。
「そうです」
兵士長は上半身を苦労して起こしながらこちらを見上げた。
「打たれて顔が酷いから覚えていないだろう。私だ、ソルドだ」
「ソルド?」
コモドの脳裏を端麗な口ひげを蓄えたクルー王国の兵士長の顔が呼び起こされた。
「スミス殿のところのコモドだろう?」
「そうです、兵士長、お久しぶりです。それにしても何故、あなただけがこんな惨い目に?」
「クルー王国の世継ぎ、フリード様の居所を吐くように拷問されたのだよ」
「そんな方がいるんですか?」
「ああ。生死は不明だが、あの戦の中では生きてはいないと思うが、私が身分ある者だと知ると、奴らはその居場所を吐くように執拗に私を拷問に掛けたのだ」
ソルド兵士長は言葉を続けた。
「遺体は見つからなかったようだが、私は知らぬ」
その言葉を聴いたヌイがコモドに耳打ちした。
「もしもクルーの後継者が生きていたらどうなさるのです?」
急なことにコモドもまた驚いていた。
「人となりを見てそれからのことは決めよう。今はそれしか言えない」
コモドはヌイに囁き返した。
するとソルド兵士長が立ち上がった。
「コモド、立派になったな。私もお前の軍勢の仲間に入れてくれ」
「兵士長さん、そんな酷い傷じゃ行軍は無理だよ」
「だが、私は民を守る立場の者だ。戦場でもこの町でもその責任を果たせなかった。兵士長の名に恥じぬ名誉挽回の機会をいただきたい。コモド、いや、コモド殿」
ソルド兵士長の腫れあがった瞼の下から見えるのは力漲る眼光だった。その目はひたすらに懇願していた。コモドは根負けし頷いた。
「だったら兵士長さん、しばらくしたらここに義民兵が一万人到着するんだ。その時においでよ。今はさすがに連れてはいけない。傷を治さなきゃね」
「分かった。私は傷が治り次第追いかける。牢獄に入れられていた四人の精兵を連れて」
「待ってるよ」
コモドとソルド兵士長は固く握手を交わした。
その夜、インバルコから解放された町民達がお祭りをしたかといえば、そうはならなかった。インバルコの兵達が食料を食いつぶし、交易なども途絶えていたため、解放軍を祝う余裕が無かったのだ。
到着した輜重隊の物資を分け与え、人々はそれぞれ安息の夜を送った。
町長の家の一室を借り、ベッドに横になりコモドは思案していた。外にはシグマが警護に就いている。
もしもクルーの後継者が生きていたら、王座を明け渡すのだろうか。いや、明け渡すという言葉は変だ。変でも無いのか? 俺達は解放軍を名乗っているのだから。訳が分からなくなる。
だが、コモドは思う。愚か者だけには国は任せられない。それなら、俺が――。
何を考えている。俺はクレハとケーキ屋をできればそれで良い。
無理やりそう思い込もうとし、そうして蝋燭を消し眠りに入ったのであった。その晩見た夢は王城の玉座に座った自分と、隣に座る美しい王妃となったクレハの姿だった。




