コモドの帰還4
石段は三百と十二段あった。そこを上りきると、村の中の家と遜色のない木で作られ、赤い瓦屋根の家屋が見えてきた。集会所よりは小さいが少し大きく、石畳の埋め込まれた庭は広かった。左右と背後を森に囲まれている。
コモドは大きく息を吸い込んだ。たった一年留守にしただけなのに懐かしい気分になる。
「こんな高いところに。しかし、この石畳、表面がすり減ってるな。数えきれない年月の間に削られた結果、いや、成果か」
ウルフが感心したように言った。
「そう、成果だね。ここはね、うちの村の衆が師事する老師の邸宅なのよ」
コモドは言った。ウルフが並大抵の戦士で無いことは承知していたが、注目するところが面白かった。
そのまま老師の家を訪ねようとすると、開いていた引き戸の向こうから家主が姿を現した。
「師匠、戻りましたよん!」
「コモドかい。手ぶらかと思ったが、どうやらお土産はそちらのお客人達のようだね」
はっきりした声でアメリア老師は応じた。色の褪せた赤っぽい平服を身に纏い、帯には短剣が四本収まっている。髪は白髪だが、一部分だけ鮮やかな朱色であった。その朱色が白に変わったとき老師は引退すると言っている。
「まぁ、そういうことだね。住人希望のウルフさんとイシュタルさん。こっちは俺の戦友のアネーリオ君さ」
「ふむ。……む?」
近付いてきたアメリアがイシュタルと目を合わせた。一瞬だが師から殺気が感じられたのをコモドは見逃さなかった。だが、本当に一瞬で表情を穏やかにしてアメリア老師は言った。
「よく来たね。歓迎するよ」
「ありがとうございます」
ウルフが頭を下げる。
「そっちの小僧もね」
そう言われ、アネーリオの目が引きつったが、彼は自制するようにして言った。
「どうも、ありがとうございます」
「紹介が遅れたね。アタシはアメリア。ただの年寄りだよ」
「それは違うでしょう!」
どこからか声がしてクレハが影のように姿を見せた。
「この村一番の強者で、みんなの師匠! ウルフさん達も強そうだけど、老師にはかなわないわよ」
クレハが得意げに両手を腰に当てて言った。
「みんなの師匠。ということは、村の方々も武芸の心得が御有りということですか?」
ウルフが尋ねる。
「そうだよ、御婆ちゃんだからって甘く見ないほうが良いよ」
クレハが鼻高々に答える。
「どうだか」
アネーリオが言った。
「そのお姉ちゃんの気配の隠し方は素人並みだもん。それぐらいにしか育てられないんじゃ大したことないんじゃない? コモド兄ちゃんの方が絶対に強いね」
「まぁ、失礼、無礼、生意気!」
クレハが声を上げる。
「そうだね。これは特に出来が悪くてな」
アメリア老師が不敵な笑みを浮かべて言った。
「な!?」
「だが、気が利くし特別優しい子だよ」
その言葉にクレハの顔が朱に染まった。
「もう、老師ったら。ここでアタシがこの小僧をぶっ飛ばして白黒つけようと思ったのに」
「女と戦うつもりはないよ」
アネーリオが応じる。
「そういう態度が逆に頭にくるわ」
クレハが左右の腰に下げていた短剣を抜こうとしたときだった。
「お嬢さん」
アメリア老師がイシュタルに声を掛けた。
「何でしょう?」
寡黙なイシュタルが久々に口を開いた。
「ふむ、やはりな。ちょっと待ってな」
そう言った瞬間、ウルフとアネーリオは度肝を抜かれる光景を目にした。老師の姿は既になく、家に上がり込んでいた。
「速いな」
「……速い」
ウルフとアネーリオは互いに戦士としての感想を漏らした。コモドはそんな二人を見て少しだけ愉快だった。グロウストーンの最強の戦士の姿を一瞬でも拝ませることができ、それが驚きだと知ると弟子としても鼻が高い。
老師はさほど待たせることなく現れた。手には長物を持ち、今度はゆっくり歩んで来た。
それは戟だった。
「さぁ、お嬢さん。これを持ってみな」
老師が言うとイシュタルは両手で受け止めた。途端に彼女の目が見開かれるのをコモドは見逃さなかった。
「離れて」
イシュタルが言い、一同は彼女と距離を取った。
一呼吸置き、イシュタルは戟を振るった。上下に左右に、突いた。軽々と。慣れ親しんでいたかのように。
「イシュタルさん?」
ウルフが驚愕の声を漏らした。
「……ええ」
イシュタルは短くそう答え、戟を見詰めていた。
「やっぱり、ぴったりだったね」
アメリア老師がニヤリと笑って言い、ウルフは驚いたままだった。アネーリオに至っては瞠目していた。
「イシュタルさん、戟に心得があったのか」
ウルフが言い、イシュタルは応じた。
「知らないけれど、身体が覚えているみたい」
「それはお嬢さん、お前さんに貸してあげよう」
「ありがとう」
イシュタルはそう言いながらも未だに自分自身に驚いたように戟を見下ろしていた。
「これは頼もしいことになったもんだね」
アメリア老師がまた笑みを浮かべて言った。
クレハがお茶を用意し、一同は縁側で並んで座って茶を飲んでいた。
「美味しい」
イシュタルが言った。
「へへん、それはそうよ、このアタシが淹れたんだから」
クレハが発展途上の胸を張る。
不意に、前方を見事な馬が過ぎって行った。
「馬といえばペケだな」
前を懐かしみコモドが言った時だった。
「その名前をよくご存じでしたね」
何処からか女性の声が応じたのであった。