コモドの帰還27
それを発見したのは砂浜で投網をしていたヤトの少女だった。
「母ちゃん、母ちゃん、何か網に大きいのが掛かったよ! 一人じゃ引けないから手伝ってよ」
少女は網を懸命に引っ張り、顔を真っ赤にしながら言った。
「そんなに大きいのかい?」
そう言って網を握った母親もその手応えに驚いた。岩礁に引っかかっているのではと思うほどの頑なな重さだ。
父は遠洋へ出て行ってしまった。母と娘は声を揃えて網を引っ張った。
ビチビチと跳ねるクロダイが見え、二人は励まされる様に網を引き続ける。
と、驚いたことに人の腕が見えた。
「ひっ!? こりゃ大変だ!」
母親は驚きの声を上げる。死体を引き上げてしまったのだ。
だが、動いた。両腕が濡れた砂を掴み、ゆっくり網の中で立ち上がる。再び母と娘は驚いていた。
「母ちゃん、この人、生きてるよ」
「あ、ああ! そうだ、そうだ。今すぐ網から出してやっからな!」
母親はそう言い手を貸そうとしたが、引っ込めた。その人物は網の中で起き上がり、何だか呻くように呟いている。
母親は耳を澄ませた。
「コモド……」
「こもど?」
「コモドォォォッ……」
刹那、その人物は抜身の海水で濡れた剣を縦横無尽に翳し、網を破った。
「コモド……コモドォォォッ……」
母と娘に一瞥もくれず、何かにとりつかれたかのようにそう言いながら、その人物は身体中が海草だらけなのも気付かずに歩み去って行った。
「母ちゃん、網、破れちゃったね」
「あ、ああ、そうだな……」
普段は負けん気の強い母も、あの異様な雰囲気に怒気も失せてしまっていた。男はそのままオルタの町の中へと消えて行ったのであった。
2
「ノブトヨと申します」
一方、コモドらの前に廊下で平伏したのはコウサカよりも体格がしんなりした男で声音も温厚だった。
顔を上げたノブトヨは、一同を安心させるように穏やかな笑みを浮かべていた。だが、腰には鞘に収まった細身の剣がある。こちらを完全に信用しているわけでは無い。
「我が主カツヨリが戻ったので、皆さまをご案内いたします」
するとロベルトが腰の剣を差し出した。
「我らは貴国に助力を求めし者故、逆らう意思は毛頭ござらん」
ラックフィールド町長は帯剣していなかったが、パパスが腰に差していた大ぶりの刃先を布で包んでいる斧を差し出す。コモドも続いて短剣二本と長剣一本を畳みの上に静かに置いた。
「しかと、お預かりいたします」
するとノブトヨの後ろにいたらしい少年二人がうやうやしく一礼し、それぞれの武器を手に取った。
「それでは参りましょう」
ノブトヨが立ち上がり、コモドらも続いた。
この館は広すぎる。コモドの脳は急回転し、ここまでの道のりを反芻しているが、幾つかの部屋を失念していたことに気付いた。
まぁ、城みたいなものだもんな。
そのままノブトヨの痩せた背の後ろに従うと、やがて先頭が、いや、ノブトヨが止まった。
「御館様。お客様方をお連れ致しました」
ノブトヨが言うと声が応じた。
「お目にかかろう」
お目にかかろうとは、こちらはただの落ちのびた村長と町長だ。国王ではない。それを知っているのだろうか。丁寧な言葉にコモドは少々不安に思った。もし、身分を知って軽んじられたら、自分達は大望を果たせぬばかりか、行き場所まで失う。
村長らもこれまで以上に身を正していた。
「さぁ、お入り下され」
ノブトヨが先に部屋に入り、ロベルト、ラックフィールド、パパスが続く。
中でノブトヨがこちらにお座りくださいと静かな声で促していた。コモドも中へ入った。
そこは広い部屋だった。殺風景で目立った飾りと言えば、黄金に光る兜飾りとヤトの黒光りする甲冑、そして一振りの鞘に収まった剣だけだった。それを背に少年が一人居り、その前に威風堂々とした男が胡坐をかいて座っていた。
この人物がヤトの国の主、カツヨリか。ヤトの衣装、おそらく正装だろう。赤いそれに身を纏い、どこか慈しむような視線をコモドに向けた。
既にロベルトらは平伏していた。コモドもその後ろで両膝をついて頭を下げた。
「この度は、突然の来訪で申し訳ありません」
ロベルトが言った。
「面を上げられよ」
「は、はい」
カツヨリの言葉にコモドらは頭を上げた。
ヤトの君主は五メートルほど先に座り、その間の右側に奇麗な女性が控えていた。カツヨリと同じ赤い衣服、いや、衣を身に纏っている。黒に近い藍色の長い髪は……。
「ヌイさん?」
コモドは思わず声を上げた。
「はい、ヌイでございます」
ヌイは顔を上げてぎこちなく微笑んだ。コモドはゴクリと唾を飲んだ。自分の知っているヌイではない、清楚で淑やかな彼女がそこにいる。しかもとても綺麗だ。コモドの股間が熱を帯びた。
「ははは、驚かれたか。我が妹はそちらに御厄介の間、どう過ごしていたか気になるな」
カツヨリが若い声を上げて笑った。
「それでは、さっそく本題に入ろう。ヌイからの書状で大まかな状況と望みは伺っております。貴殿らはインバルコ帝国を駆逐するという目的でこちらへ協力要請に参られたのだな」
「ええ、ですが」
「分かっております。町ヒューリーとグミ村、グロウストーン村の独立した自治権をインバルコに認めさせたい。そのために我らの兵を借りたいということですな?」
「その通りです」
ロベルトとカツヨリが向き合っていた。一方、ヌイはチラチラと末席に控えるコモドを見ているようだった。
何だヌイさん、俺っちに気でもあるのかな?
ニコリとほほ笑むとヌイは小さくかぶりを振り密やかに自分の頭を指した。
コモドはそれで自分が帽子をかぶったままだったことに気付いてゆっくり脱いだ。そしてもう一度ニコリとヌイに笑みを返すと彼女は安堵したように兄へと向き直った。
「エプシス大陸全土に戦を挑むようなものだ。我が勢は一千ほどなら出そう。しかし、それだけでは到底及ぶまい。何か策でもござるのか?」
「あ、は、はい!」
コモドは挙手した。カツヨリは咎める様子もなくこちら見た。
「エクソア大陸の教会戦士団の力を借りる予定です」
カツヨリが軽く瞠目する。
「教会戦士団と伝が御有りか?」
「私が副団長と直接の知り合いでして」
コモドは堂々と応じた。
カツヨリはだが、渋い顔をした。
「しかし、まだ教会戦士団が参陣すると決まったわけではあるまい?」
「ええ、そうです。書面は送りましたが、私自身が直接交渉に出向く予定です」
するとカツヨリは頷いた。
「うむ、まずは教会戦士団の援軍を確約することが先決。教会戦士団が首を縦に振ったのなら我らは惜しまず援兵を出そう。可愛い妹の頼みであるしな」
カツヨリはカラカラと笑うと、急に視線を鋭くした。
「だが、その前にもう一つ、条件を提示させていただこう」
カツヨリの声音は生真面目なもので、これまで感じさせた穏やかな気風が一気に吹き飛んでいた。どんな難題を押し付けられるのだろうか。コモドは心の中で身構えていたのであった。