コモドの帰還19
馬も買えない。馬車にも乗れない。少し気前が良すぎたかもしれない。コモドは風となって街道を駆けていた。
だが、鍛えこまれた心肺も健脚も徐々に音を上げ、コモドはついにヨロヨロよろめき、荒い呼吸を繰り返した。その足は止まる。
「くっそ、急ぎたいところなのに」
誰もいない街道でコモドは轍の残る地面を見てそう吐き捨てた。すると、コモドの聡い耳は微かな馬蹄の音を捉えた。進行方向から徐々に迫っている。ずいぶん速度を出しているようだ。
黒い馬はコモドとすれ違った。
「ロッシ!?」
「コモドにぃ!」
馬は嘶いて停止し、こちらを振り返った。馬上の主はクレハだった。
「クレハ、お前、何で? 手紙は?」
「少年に頼んだ。ごめんなさい、コモドにぃのことが心配で」
クレハは馬から下りると謝罪した。
「何も謝ることなんかないよ。むしろちょうど良かった」
コモドは正直にそう述べた。
「不味いことでもあったの?」
「うん、急いで報告しなきゃならないことが」
ふと、コモドは懐に入っていたルビーの首飾りの感触を思い出した。彼はそれを手に取るとクレハに差し出した。
「これ、あげる」
「綺麗。良いの?」
「うん」
「ねぇねぇ、着けて」
「分かったよ」
コモドはクレハの後ろに回った。そうして首飾りをつける。
奇麗な黒髪からは清潔なにおいと、首からは汗のにおいがした。その香りが、コモドを動かした。
失いたくない。
彼はクレハを後ろから抱きしめたのだ。
「コモドにぃ?」
「ごめんね、今まで気持ちに応えてあげられなくて、今からでも間に合うかな?」
「う、うん! うん! うん! うん! もちろんだよ!」
クレハはこちらを振り返り、コモドの股間を見た。
「テントみたいに膨らんでるね。コモドにぃの。アタシで大きくなってくれたんだ。嬉しい」
コモドはもはや恥ずかしさをかなぐり捨てた。
「そうだよ、クレハが大好きだから、失いたくないから、滅茶滅茶にしたいから。誰にも渡したくないから」
クレハはニコリと微笑んだ。そして顔を少々赤くし言った。
「……コモドにぃ」
可愛い瞳がこちらを見上げ見詰めている。その魅惑的な誘いをコモドは断るつもりは無かった。
「……クレハ」
コモドはゆっくり顔を近づけ、彼女に口づけをしたのであった。
2
二人は馬上の人となっていた。クレハは後ろに座り、コモドの身体に手を回していた。
「変なところ弄っちゃダメよん。今は狼になってる暇は無いんだから」
「はーい!」
コモドは巧みな手綱さばきで街道を疾走し、往来を行く人達を驚かせていた。それほど急いでいた。日が傾いてきたが、ロッシはまだ走れそうだ。グミ村で休もうかと考えていたが、強行軍で横切って行った。片手に松明を翳し、行く手に人がいることを懸念し自分達の存在をアピールしておく。だが、幸い歩いている人はいなかった。夜になるとロッシの息が荒くなった。ここまで無理をさせたのだ。ロッシは限界まで頑張った。
「コモドにぃ、下りて先に行って、アタシはロッシと後から行くから」
「ありがとう」
「コモドにぃ!」
馬上から下りる前にクレハが名を呼んだ。松明が彼女の可愛い顔を儚げに照らしている。
二人は口づけを交わした。クレハの舌が侵入を試みたが、コモドは歯で防いだ。本当は彼女の舌と自分の舌を絡めて濃厚なキスをしたかった。
「今は、ダメ。じゃあね、道中気を付けて来るんだよ」
「コモドにぃもね!」
コモドは頷き、再び、走り始めた。商人からの情報、盗賊から情報、クレハとの情事。それらが懸命に走るコモドの頭の中を行ったり来たりしていた。
息を切らせ村の東門に辿り着いた時は真夜中過ぎだった。
「コモドか? クレハはいないのか?」
門番のジェイクが尋ねて来た。
「開けて。クレハなら後から来るから」
とは言っても時間が時間だ。今から村長や老師を起こして話す必要はあるだろうか。コモドは逡巡した。ジェイクが怪訝そうに見守っていた。
起こして話そう。そのために馳せて来たんだ。
門が開き、コモドはジェイクに礼を言い静まり返った村に中を再び駆けたのだった。