コモドの帰還17
事情聴取は終わった。グミ村の一件から話すことになったが、ルナセーラのことは上手く伏せた。居酒屋で料理と酒を楽しみつつ、コモドは今後のことについて考えた。あの新緑色の髪をした女の子のことを思い出す。村の命運を自分に託すと。おそらくだが、あれは幻覚ではない。ならば、何か。ある種の伝承的な存在だろうか。例えば神のような。
「どうしたの、コモドにぃ?」
「うーん、いやね、こそこそしようかなぁと」
酒で少しだけ頬を赤く染めているクレハは目を瞬かせた。
「手紙を書くからさ、クレハは二人を連れて先に戻っていてくれよ。ペケもロッシも使って良いからさ」
コモドがそう言うと心配げな顔でクレハは応じた。
「こそこそって何やるの?」
「情報収集。独自にね」
「アタシ、村を捨てるつもりはないよ」
「うん、そうだね」
コモドはクレハの頭を撫でて頑なな瞳に応じた。
宿に着くと、一旦男女別の部屋に分かれたが、例によってアネーリオが見張りに立つと申し出た。
クレハは既に事情を知っているため笑わなかったが、ルナセーラが進み出て抱きしめた。
「勇ましいんだね、坊やは。でも大丈夫、おばちゃんだって強いんだから、坊やがおばちゃんを守ってくれるようにおばちゃんが坊やを守ってあげるよ。いざとなったら二人で戦おう」
アネーリオは抵抗しなかった。ルナセーラの深い愛情によって彼の強張っていた肩がガクリと落ちる。
こうして部屋割りはコモドとクレハ、アネーリオとルナセーラになった。
クレハは酔いが回ったようで早々に布団をかぶり眠ってしまった。
コモドは一本の蝋燭の灯りを頼りにイスに座り机に向かって羊皮紙に羽ペンを走らせていた。と、言っても短い内容だ。ソルド兵士長から聴いたことだけをまとめている。もし、戦争になり、兵士長が言ったように徴兵されたら、村に男手は無くなる。一見平和な国だが、やはり、無法者や貧しさから悪事に走る者も多くいた。グロウストーンの女は強い。それでも、不安はつきものだった。
「コモドにぃ」
クレハが名を呼ぶ。振り返ると、クレハは夢うつつだった。
「コモドにぃ、コモドにぃなら良いよ。アタシの全部をあげる。大人になったアタシのことよく見て。赤ちゃんだって作れるよ」
今まではこんな戯言に引き寄せられたりしなかった。しかし、コモドは途端に股間の間にあるものが熱を帯び始めるのを感じた。
「ほら、コモドにぃ、アタシをよく見て」
コモドはクレハのもとへと歩んでいた。誘惑される香を焚かれたわけでも無い。クレハの可愛い寝顔が妙に愛しく感じた。その唇に自分の唇を重ね合わせたい。そんな衝動がコモドの理性を破壊して行く。
駄目だ。
辛うじてコモドは残った理性の言葉に最大限に耳を傾けてクレハの隣から去った。
そうして卓上の蝋燭を吹き消し、自分のベッドへと戻って行った。股間の熱は収まらなかった。
2
「本当にペケとロッシを連れて行っても大丈夫なの?」
城と城下を囲う広大な城壁に空かれた門の前でクレハが尋ねて来た。
「うん、問題無いよ。手紙、村長さんや老師によろしくね」
コモドは手を振った。
「うん。じゃあね。無理しちゃダメだよ」
「分かってるよ、クレハ」
「お別れのキスは?」
「無いよ。……まだね」
コモドは昨晩の一件を思い出していた。
「ちえっ、コモドにぃの意固地屋さん!」
クレハはロッシに跨り、先に歩み始めた。アネーリオとルナセーラの二人乗りのペケも後に続いた。コモドは二頭の馬と三人の仲間を見送り、意を決した。まずは、行商からあたってみるか。
コモドは大通りを戻り、声高に客を呼ぶ旅商人達のもとへ足を運んだ。
路銀もさほどあるわけでもない。情報を持ってそうな商人を慎重に見極めないとならない。コモドは香辛料、化粧品、装飾品、反物など様々な行商を見て回った。
正直、宝石商には惹かれた。赤いルビーの首飾りがあり、どうしてもクレハに買ってやりたくなったのだ。
「店主、どこから来なさった?」
コモドが問うと宝石商の白髪交じりの男は応じた。
「いらっしゃい、そらそら、お兄さん、最愛の人に気持ちを伝えるために、エメラルドの天使なんかどうだい?」
なるほど、情報目当てだってバレてるんだな。百戦錬磨の商人ってのは恐ろしいね。
「エメラルドはいいから、そっちのルビーの首飾りを頂戴」
「毎度」
代金を支払うと店主の目の色が変わった。
「東から来たのさ」
当たりか。
「インバルコの様子はどうだい?」
「この城下が信じられないほど殺気立ってる。権力者達が国民を煽って、このクルー国を我が金鉱山を盗みし、卑しき国だと言ってるよ。教会も調子を合わせて、神々がクルー国に天罰を下すだろうと、言って、士気を上げている。そろそろ私もインバルコに戻ろうかと思ってるよ。この国の城下の様子を見たら、勝つのは火を見るよりも明らかだ。アンタも国境を潜ってインバルコの民になった方が良いよ。その首飾りをあげる娘を連れてさ」
「ありがとう」
コモドは礼を述べると次へと向かった。
路地裏へ入る。色気たっぷりの娼婦達がコモドを冷やかした。さすが商売人だけあって男の心と股間を掴むのが上手かったが、コモドはどうにかやり過ごした。そして自分でも少々おかしいと感じた。今まで、いや、正直に言おう昨日までだ。コモドは女性に心を動かされることは無かった。エクソアのゾンビ退治の際に、仲間にギュネという綺麗な女性がいたが、彼女に惚れたフリをしたことはあった。同じ仲間のフラマンタスが彼女を好いていたので、その手伝いをしたまでだ。
しかし、昨日のクレハの奇麗な横顔、自分を求める声、それらがコモドの理性と無頓着さ、女性に対する余裕を撃滅した。コモドは商売女に興味が出たのは初めてだが、懐に抱いたルビーの首飾りの感触が彼に僅かながら理性を思い出させてくれた。
それにこれから向かうところはそんな鼻の下を伸ばしたまま行けるところじゃないからね。
路地を曲がる。
物乞いと思われるボロを纏った男が座っていた。
「盗賊ギルドはどこかな?」
コモドは銅貨を三枚渡して尋ねた。
「この通りにある黒い扉さ。アンタみたいな人ならすぐ分かるだろう」
物乞いは座ったまま言った。
「ありがとう」
コモドはそのまま寂しい通りを歩き始める。
すると、前方から人影が歩んで来た。それがまさか剣を抜き、一直線に駆けて来るとは、コモドは思いもしなかった。
「コモド……コモドオォォォォッ! ウガアアアッ!」
低い声が咆哮を上げる。あっという間に距離は縮まり薙ぎ払われた剣を屈んで避けて、短剣を抜いて、距離を取る。
「俺っち、アンタに名乗ったっけ?」
コモドは襲撃者に恐々と問う。
額に真新しい傷のあるシグマがそこに立っていた。