覚醒2
収穫の終わった田んぼの中をゆっくりとうろつく二メートルの灰色の象が一体、駆け回るものの不自然に田んぼから出ない一・五メートルの鹿が二体。本来この様な開けた場所に悪意が自然発生する事は考えられませんから、誰かが意図的に生み出したと見て間違いないでしょう、戦闘の様子も見たいですが周囲の確認をしなければいけませんね。
田んぼに続く道に赤い三角コーンを置き一時封鎖の準備をする隊員の手伝いが終わると、あなたは独り畦道を伝いながら辺りを見渡す。同調を百五パーセントに上昇、隠れる場所の無い田畑の中には…畑仕事を行う老人が四名いるだけですね、どれだけ遠くを見ても怪しい人影は見つかりません。住宅地の方は騒ぎを聞きつけた一部の住民がこちらを見ていますが、挙動に不審な点はありません、顔だけ覚えて後で住民票と照らし合わせてみましょう。他にこの辺りを見る事が出来るのは、目の前にあるこの小山でしょうか。草木が生い茂っていて探し辛いですが、ハコの手に掛かれば……。
あった、木々の間から覗く、カメラのレンズの様な輝き。拡大解析すると悪意が居る場所を中心に捉えた角度で設置されている、犯人の物だと考えるのが適当でしょうね。しかし、どれだけ目を凝らしてもその周囲に人影どころか他の人工物すら無い。暫くあのカメラを見張りながら、狩人二人の様子を確認しましょう。
「周辺被害考えなくて良いのは楽だけど…広い場所得意じゃねえんだよな……」
「みんなさんの応援で力が湧いてくる……métamorphose!」
「応援じゃなくて覚醒の力な……」
サラがステッキを掲げ、ピンクの炎を身体に纏う。炎は以前よりも豪華に、はっきりと魔法少女風のドレスの形を作り上げた。彼女の大きな掛け声に反応した鹿と象が標的を定めこちらへ駆け出す。太刀洗は悪意とサラの間に入り、杖を分解、持ち手から下が鞘の様に抜け現れたレイピアを構え、鹿の足元へ向かって一瞬で距離を詰め刺突を繰り出した。
「心に灯るジョウネツの炎、魔法少女サラ! 悪い子にはオシオキです!」
「こんな時にフルで変身バンクするな!」
「ジカンカセギありがとうございます、そんなトッポさんに良いお知らせです、ワタシ今なら全部まとめて一撃で倒せる気がします!」
「早くやれ!」
「Oui! あと三分オネガイします!」
「どこが良いお知らせだよ!」
サラの背中からピンクの炎の翼が生える。羽ばたくと彼女の身体がふわりと宙に浮きあがり、悪意の攻撃の届かない高さで滞空、両手で握ったステッキを頭の上に掲げると、その先端に火が集まり、徐々に球の形を成していく。
一方でその足元の太刀洗は、悪意が散らばらない様にターゲットを自身に引き付けつつ、突進を一般人の目では追う事の出来ない瞬間速度で躱し、細かい風の刃を纏った攻撃でチクチクと足を削っていた。所謂回避楯のスタイルですが、この数を相手にしているにしては以前より余裕がある様に見えますね、攻撃の威力も上がっているみたいです、今鹿一体が前両足の機能を失い崩れ落ちました。
あちらは問題なさそうだ、とあなたは再び小山へ視線を戻す。相変わらずカメラの周囲に動くものは無いが、そうですね、もう少し近付いて捜索してみましょうか。あなたは畦道を進み、何かが作った獣道の様な藪の隙間を縫って坂を上る。
「トッポさん、ソウインタイヒです!」
サラの掛け声に、太刀洗が悪意の中央から一瞬で五メートル先へ移動する。頭上の球はサラの身長程に大きくなり、溢れる熱波が枯草を揺らす。標的を見失った悪意達がきょろきょろと辺りを見回し、真上を見上げた時、
「必殺――flamme de météorite!」
炎の球が、その名の通り隕石の様に悪意目掛けて落とされた。激しい熱と輝きに包まれる中、パリパリパリン、とガラスの割れる音が微かに響く。二メートル範囲とその外周少しを焼け野原にして、一分程で炎の渦は収まった。
それと同時に背中の羽が消え、サラが地面に向かって落下する。炎をドン引きした様子で眺めていた太刀洗が途端にぎょっとして、彼女の身体を受け止めに走った。
「おまっ、何やってんだ、危ないだろ!?」
「全ての力をこの一撃にこめる……くぅ~ソウカイでした……!」
「………」
満足気な表情でサラがそう言うと、太刀洗は無言で彼女を地面に放り投げた。
「心配して損したわ……」
「あぁー待ってくださいトッポさん、今ゼンシンダツリョクカンで、一歩も動けないです、連れてってくださいぃー」
「俺も若干筋肉痛っぽいんだよ…動けるようになるまでそこで転がってろ」
「ラーメンおごりますから!」
「豚骨以外なら考える」
「Ah…そんなお店知りませんね……」
やはり副作用はあるようですね、一般的な限界を超えた力を使う訳ですから当然と言えば当然ですが…この事は後できちんと報告をするとして、さあ、あちらは片付いたのでこちらの問題を――
ナップザックの中から警報が鳴る。足元を、小さな灰色の鼠が通り過ぎた。
鼠はカメラの方へ向かって山を登って行く。あなたは藪を掻きながら必死に後を追った。
カメラは傾斜地を少し削り平らにした地面に三脚で立てられていた。スイッチは遠隔操作の物でコード等は繋がっていなかったが、あなたが見ている最中、録画機能がオフになる。近くに操作者がいる、鼠は更に上へ獣道を登って行く。ピンバッジから隊員があなたを探す声が聞こえたが、悪意を見失うリスク、犯人に逃げられるリスクを考慮した上であなたはこのまま追い掛ける事を選んだ。藪はどんどん深くなる、獣が通る高さを越えて人の上体部分に被さる隈笹を払い除け、手に細かい擦り傷を作る。増々周りから見えない場所へと迷い込んで、鼠がぴたりと動きを止めた。すぐ傍まで近付いても逃げない、ここに何かあるのかと首を回したその瞬間だった。
背後からガサガサと草を押し退ける大きな音、目の前に伸ばされた白い手、その手に握られたタオルから香る薬剤染みたツンとくる甘い匂い。
あなたが声を上げるより早く口にタオルを詰め込まれ、背後から抱き着く様に押さえ付けられる。恐らく男性の力、だが鍛えられている感じはせず、これくらいなら振りほどける筈で
「抵抗するなら武器を壊す、大人しくしていれば悪い様にはしない」
感情の無い平坦な声が耳元でそう囁く。ナップザックの薄い化繊越しに、匣へナイフの切っ先が突き付けられていた。は、ハコが壊されたら全ての終わりです! ここここここは言う通りにするしかかか!
口元を押さえている手に掴み掛ろうとしていた腕を下ろす。その後背後の男が何も言う事はなく、只時間だけが過ぎて、五分程経った頃だろうか、あなたの意識は徐々に朦朧とし、やがて眠る様に気を失った――。