消えた罪
「殺した、と言われましても、遺体も証拠も無いのでは逮捕する訳には……」
「凶器と言われるナイフにも、貴方の衣服にも、血痕の一つも無いではないですか」
「監視カメラ、駄目です、全て破壊されています」
「協会の方でしょう? タイミングがタイミングなだけにねぇ、どちらの管轄かっていう問題もありますしねぇ、おいそれと連行する訳にはいかないんですよ。一応現場は保存して、調べますから。任意同行という形で署まで……行きますか?」
あなたは小さく頷いた。気の抜けたふらつく足取りでパトカーに乗り込む。先に病院に連れて行こうか、と提案されたが断った。
あなたの供述は全て話半分で流された。行方不明だった幼馴染みが変わらぬ少女の姿で現れて、彼女は魔女で、銀のナイフでしか殺せなくて、とオカルト染みた説明ばかりを支離滅裂な語順で並べるあなたに、刑事は憐みの目を向け今日はもう帰って休養する様に勧めた。
「うちは人間の犯罪専門なんですよ。悪意とか魔女とかいうのは、協会の方でやってください。もし証拠が出たらその時は逮捕しますけどね、今日のところはお帰り下さい」
間伽時署から追い出され、玄関先で蹲る。暫くすると署の前に狩人協会の車が停まり、慌てた様子でドアが開き宮内が出て来た。
「司令官殿! 一体何が……いえ、話は本部に戻ってからにしましょう。後ろに乗って……立ち上がれますか? 出来ませんか、では失礼します」
宮内はあなたの肩を支え無理やり車へ連れて行く。ドアが閉まり、警備員にお辞儀をして宮内も運転席に乗り込む。傷だらけになった街を、無事な道路を選びながら、随分と遠回りして協会本部へ向かった。
「テレビ埼玉さんですね、只今報道陣の方々は第三会議室へご案内しております、会見開始までそちらでお待ちいただいて……」
「押さないで! 報道陣の方はこちらへ、安否不明者の関係者はそちらに並んでください! 順番に窓口へ御案内しております! 列に並んでお待ちください!」
「協会関係者は裏口から入れます、着いて来て下さい」
「椅子六脚足りません!」
「安否不明者十一名追加です!」
「死者二名身元確認取れました!」
「御木本部長、会見用の原稿確認お願いします!」
内部も慌ただしく人が行き交う。あなた達はエレベーターには乗らず、階段で五階へ上がる。何度か訪れたあの会議室へ通されたが、中に御木本はいない。
「部長はこの後会見があるので、私が聞き取りをさせて頂きます。まずはお座り下さい、それと、ペットボトルですみませんがお茶です。
では……大発生の最中何があったのか、ご説明を願います」
あなたは呆然と天井を眺め、目線を下に落とし自分の両手を見た。手は赤く染まり、モヤが零れている様に見えた。呼吸が乱れる。絞り出す様に嗚咽しながら、あなたは椅子の上で丸くなった。宮内が背中を擦る。結局その日、あなたは何一つまともな説明が出来なかった。
「確かにあのナイフからは、あなたの分ともう一つ、別人の指紋が検出されました。誰かがそこにいた可能性は浮上しましたが、周辺のどのカメラにも『少女』の姿は記録されていませんでした。それに、現場からも、あなたの着用していた衣服からも、あなた以外のDNAは検出されませんでした。どれだけ自首を重く見たとしても、我々としては証拠不十分で不起訴とするしかありません」
「現時点での死者、行方不明者数は千五十六名。同規模の発生と比べれば比較的抑えられた被害ですが、予測できた大発生というだけあって協会への非難は止みません。我々も一人の狩人と四人の隊員を失いました。……丸米さんの事は貴方の責任ではありません、あまり気を落とさないで下さい」
あれから数日の間、あなたは支部の仮眠室に閉じ篭っていた。告げられた結果は納得のいくものではなく、只己の無力さを痛感するだけの日々だった。
「啓二さん、言われた物買ってきたけど」
「ありがとう小賀君。それは司令官殿に渡してください。私は次の仕事があるので、これで失礼させていただきます」
「おうお疲れー。……あの若造が今や支部長だもんなあ、時の流れを感じざるを得ないよ。これ、おにぎりとカップの味噌汁と野菜ジュース。まともに飲み食いもしてないんだって? 無理にでも食わないと死ぬぞ、ほれ、袋開けてやるから受け取れ……ん? 何だこれどうなってんだ、昔と違うな……あ、海苔千切れた、申し訳ない……」
海苔の端がボロボロになった鮭おにぎりを突き出される。あなたが一向に受け取らないでいると、おにぎりは仕方なく包み紙を下敷きにテーブルへ置かれた。
「水姫! 見回りに行くなら俺も一緒に!」
「見回りくらい一人で出来るし! つーかトイレにまで付いてくんな!」
「悪意がいなくても外には危険がいっぱいなんだぞ! 悪い大人とか、大きな犬とか!」
「それくらい何とでも出来るし! 普通の人より断然強いんだからね!?」
「でも民間人への手出しは禁止されてるんだぞ、水姫は可愛いんだから質の悪い男に絡まれて酷い事されるかもしれない、お兄ちゃん心配なんだ!」
「かわっ……うっさい信護のバカ! 鈍感! 死ね!」
「待つんだ水姫飲み物は持ったかー! ちゃんと帽子被って行くんだぞ今日は暑いからなー!」
「しつこい煩い変態ー!」
扉越しでも聞こえる大きな声と足音を立てて、石野兄妹が廊下を駆け抜けて行った。カップみそ汁の作り方を眺めていた小賀は廊下側を振り返り苦笑する。
「若者は賑やかで良いな、なんて、こんな姿で言うと笑われるんだけどさ。精神崩壊前の時点で俺二十歳超えてるからさー、もうあんな無邪気に走り回れないんだよなー。『ヒーローごっこはする癖にな』、だろ? タイムキーパー、違うんだな、大人になる事と童心に帰る事は、両立できるのさ」
お湯入れて来る、と小賀が部屋を出る。数分後蓋の空いたカップみそ汁と割り箸を持って戻って来た。
「混ぜて来たから、後は三分放っとくだけで出来るってさ。
……なあ、二番目の狩人の話って、知ってるか? 最初の狩人、俺の事は、有名みたいだけどさ。二番目の狩人も、埼玉出身で本部…ここにいたんだ。望月円っていう弓使いで、同い年だったのもあってよくコンビ組んで戦ってたんだ。ちょっと引っ込み思案だったけど、兎に角優しい奴で、俺のニチアサ語りにも嫌な顔一つせずに付き合ってくれて、プライベートでもあっちこっち連れ回したりしたんだけどさ、まあそこら辺の話は今は関係ないか。
うん、兎に角、最高の相棒だったんだよ。でも、今いないって事は、分かるだろ? ……俺がいなくなって、一年もしない内に殉職したって。
もうどうしようもないし、傲慢な考えだとも思うけどさ、思ったよ。俺があの時諦めなければ、俺が一緒に戦い続けていれば、円は今も生きていたんじゃないかって。大発生の後啓二さんに聞いてから、ずっと悔やんでる。
君も、何か取り返しのつかない大失敗をしたって感じの顔してるけどさ。
……まだ、諦めてないんだろ?
精神崩壊の予兆が無い。武器の能力か何かは分からないけど、失敗を取り返す算段があるって事だ。違うか?
……まあ、そうじゃなくてもさ、後悔先に立たずって言うだろ。何もせずに過ぎた時間の分だけ損するんだ、出来る事があるなら、早くやった方が良い」
それが、誰かを傷付ける事でも? 沈黙を保っていたあなたが、重く口を開く。
「……ヒーロー的には無しって言いたいところだけどな、敵は容赦なくぶん殴るからグレーゾーン見逃しって感じだな。あぁー、そうだよなあ、今回見逃しちまったけど今度敵の人間と会ったら何とかしなきゃいけないんだよな、どうしよ? 全然考えてなかったわ。あ、三分経ったぞ」
丁度いい機会ですし、ハコも気を遣うのを止めさせてもらいます。今あなたの胸中にあるのは、新月を救えなかった後悔、自分の手で止めを差した罪悪感。
そして、罪から逃れたいが為の責任転嫁、彼女を魔女にした存在への憎悪。
これ程までに強く人を憎んだ事のないあなたは、自らの内から湧き上がるどす黒い感情に戸惑っていますね。ハコも正直驚いています、ハコの契約者が他者をここまで恨んだ事はありませんでしたから。
ハコの契約者に求められる条件の一つ、「優しさ」は、時間遡行という強力な力を私利私欲の為に使わない人間である事という意味を持ちます。あなたのその感情はこの条件に抵触してない、あなたは人を強く憎んだまま、ハコの契約者でいられるという特殊な状態にあります。
そしてもう一つ不思議な事に……あなたの憎しみに合わせて、ハコの力が増幅している様な気がするのです。現在同調率は常に五十パーセント台を推移しています。下げようかとも考えましたが、この水準で不具合も無く落ち着いているのです。やはりハコも武器の端くれ、負のエネルギーに反応を示しているという事でしょう。
あなたはこの痛みを抱えて、強くなれる。
皆が口にする「復讐」という言葉を、他人行儀に聞いていたあの頃にはもう戻れません。終わらない復讐の連鎖に巻き込まれた当事者として、憎しみを糧に戦い続けるのです。
復帰のタイミングは任せますが、小賀の言う通り、早い方が良いでしょうとだけ。ハコは大人しくしておきますので、存分に悩んでください。
「お、食う気になったか、よしよし、食事は元気の源だからな、たーんと食え。じゃあ俺そろそろ行くけど、何て言うかさ、君には寝てる間に世話になったから、お返しがしたいんだ。何でも良いから頼れ若人よ、ヒーローは何時でも駆け付けるぞ!」
小賀が出て行き、仮眠室にはあなたの咀嚼音だけが響く。
ハコと出会ってから、どれだけ「出来る様になった」と思っても、直ぐに「何も出来なかった」と自分の無力さを痛感させられた。力だけ手に入れても、使う人間が無能では何の意味も無いのだと。全てを守ろうとする程に、大切なものを取り零す。結局『自分』の一番大切な人さえ失ってしまった。自分には向いていないのかもしれないと悩んだり、あと何度こういう事があるのだろうかと憂鬱になったり、落ち込んだ事は今までに何度も、何度もあったけれど、その度にハコや周りの人達が支えてくれて、自分は独りで戦っているのではないのだと勇気付けられて来た。
でも、違う。結局のところ、人は常に独りだ。
悩むのも、解決するのも、重要な判断を下す時も、最後も。大事な時こそ、孤独なのだ。
今までも、これからも、自分は独りで強くならなければならない。頼る振りをして他人を利用しながら、独りで結果を出さなければならない。
ハコが何百、何千、あるいは何万と繰り返して見つけたきっかけが。叶子が最後に残してくれた手掛かりが。今、この頼りない自分の手の中にある。
砕けたガラスはどれだけ繋ぎ直しても元には戻らない。それでも、何度だって、何度だって張り直して、醜くても、惨めでも、立ち上がって進み続ける。それが、自分に出来る精一杯の償い。たくさんの屍の上に生き残った自分の責務。
けれど今は、そんな建前をかなぐり捨ててこう言いたい。
叶子に、皆に、自分に、こんな運命を強要する存在が居るのなら、絶対に許さない、絶対に。
「ハコ。決めたよ。何があっても、這い蹲ってでも、自分の代で『全ての始まり』に辿り着いて見せる」
……覚悟が、出来た様ですね。
妖精はたった一言、満足そうに呟いた。