123。当然夫の苗字使うでしょ?
「あっち行ったぞ!」
「今日こそ捕まえてやるっ!」
スタタタッ! と少女は何かを抱えながら自分を追っている人たちから全力で逃げている。
「ハッハッハ……」
そして物陰に隠れた彼女は息を整いながら追手が通り過ぎるのを待っている。
「……」
やがて安全になったと分かった少女は安堵の溜め息を吐いて、立ち上がって歩き始めた。
「お主、また盗みしていたか……?」
「……」
と、少女が抱えている物を見て焚き火の前に座っている老婆は言った。
「まあ、やめた方がいいと言いたいじゃが、この生活じゃあ無理じゃろうな……」
ボロボロの服、煤まみれの顔、ずっと貧しくて路上生活している自分たちの状況を考えて、老婆は少女を叱りたくても出来ないのだ。
「ほどほどにのう」
「……うん」
隣まで来て座っている少女の頭を優しく撫でて、老婆は冷たい、暗い町角から青空を見上げている。
ここはスランプ。領民思いと言われているリーブリ領主の手が届かないリーブリの部分。
「うん? ワシにくれるのかい?」
「ん」
少女はさっき盗んだ果物の一つを老婆に差し出した。
「……ありがとう」
頷いて、少女は老婆の膝に頭を乗せた。
「お主は強い子じゃ。それに誇りを持って良い」
「……」
優しく頭が撫でられて、激励の言葉にかけられた少女はやがて眠りに落ちた。
「大丈夫じゃよ、もうすぐ変わるからのう……」
何かに確信したかのような言い方で、老婆は少女の耳元に呟いた。
▽
「おい、南に騒ぎが起こってるんだって!」
「またかよ? これで何回目だ?」
「見に行こうぜ!」
と、青年たちは走り去った。
「……」
話を聞いたレイアは立ち止まって、しばらく考えたあと青年たちと同じ方向へ進む。
「ーーと出せ!」
「テメェらが誘拐したんだろう!?」
「息子を放せ!」
やがて南の門に着く彼女の耳にはそんな訴えが入った。
「はっ! 誰が貴様らみたいな汚い種族を攫うんだよ!?」
「近付くな! 侵略行為と見なすぞ!」
と城壁の上から衛兵たちは言い返した。
「……あの、すみません、何かあったのですか?」
「いやね、魔族供はね、自分の子供を攫った人間がいるって言ってるの。そんなはずないのに相手は聞く耳を持てなくて衛兵たち困ってるの。それでねーー」
あ、やばい、と訊く相手はよく喋るおばさんという事に選択ミスだと思ってしまったレイアは表情を維持するのに精一杯だった。
「ーーんでね、あなたも気を付けた方がいいのよ? この人混みだとスリとかいるからね」
どういう経緯かは分からないけど、話は随分と脱線した……。
「そ、そうですか。心に留めて置きますね」
やっと解放されたぁ~、とまあレイアは安堵の溜め息を密かに吐いて、おばさんに礼を言って人混みから身を引いた。
「……」
とそこで彼女は走っている一人の子供にぶつかってしまった。
「……あたしにそんなの効かないよ?」
「ーーっ!」
おばさんの言う通り、人混みの中にスリがいて、わざとレイアにぶつけて彼女のポーチを取ろうとしているけど、一応元探検者で旅を出るために結構厳しい修行した彼女にそんなの通じるはずもなく逆に手が掴まれてしまった。
「ちょ、待ちなさい!」
驚いたスリは強くレイアの手を振り解けたあと全力で路地裏へ走って逃げた!
「逃げ足早いわね……」
置いて行かれたレイアは呆気に取られてしまった。
▽
「ハァ……ハァ……」
追手は……いないと確認した少女は息を整って自分を落ち付かせた。
そしてもう安全だと思った少女は物陰から出て、何もないかのように歩き始めた。
「……」
「……お主、またスリしたかい?」
帰ってきたその少女に老婆はそう言って、彼女の背後に視線を動かした。
「しかも相手を間違えたのう」
「……?」
と、何もない空間に向けて放たれたその言葉に少女は首を傾げる。
「よく気付いたわね」
「っ!」
すぅ、とゆっくり現れた人物に少女は驚きを隠せなかった!
「大丈夫よ、あんた達に何もしないから」
老婆を守るために身を張っている少女を見て、その人物は優しく微笑んだ。
「……」
「信用ないわね」
「大目に見てやっておくれ……」
自分を睨んでいるまま全然退く気ない少女を見てその人物は溜め息を吐いた。
「……この子と老婆に何の用だ?」
わざわざここまで少女を追って、追い付いた今にも何もしないその人物に老婆は何か別の要件があるじゃないかと推測した。
「あー、ここに探してる物はあるって言われたの」
「……ふむ、そもそもお主は?」
「レイアよ。この町に着いたばかり、ただの元探検者よ」
そう、現れたのはレイアだった。
「ふん、精霊に囲まれておるよ?」
そんなただ者と主張しているレイアに老婆はそんな訳ないだろうと暗に言っている。
「……へー、見えるんだね?」
言葉から老婆も精霊が見えると分かったレイアは真顔になって真っ直ぐ老婆を見る。
「ヴァリヌー、大丈夫じゃよ……」
「……」
ヴァリヌーと呼ばれた少女は老婆に振り返ったあと、老婆の側に座る。
「ヴァリヌーちゃんね? 食べる?」
「……っ!」
「大丈夫じゃ」
レイアが出した食物を見て一瞬驚いたヴァリヌーは老婆に振り向かって、頷かれたあとそれを取って黙々と食べ始めた。
「お婆さんもどう?」
「……ありがとう」
焚き火の前に座って、レイアは老婆に同じ物を上げた。
「お主は……一体なに者じゃ?」
「ただのーーいや、言っていいかもね」
同じ答えを出そうとしたレイアは考え直して、自分の正体を明かすことにした。
「精霊王国マナフルの王妃、レイア・マクスウェルよ」
「ーーっ!」
老婆は危うく他世してしまった……。
▽
「まさか大物が来るとはのう……」
「大物だなんて大袈裟よ」
いや、他国の王妃は十分大物だな。
「リーブリにこんなサイドがあるとはね」
とレイアは周りを見渡して、最後に少女ことヴァリヌーに視線を止めた。
「……」
「……」
しばらく見つめ合っている二人だけど、やがて視線から逃げるかのようにヴァリヌーは老婆を抱いて顔を埋めた。
「あら、ごめんね」
「ホッホッホ、照れ屋さんじゃのう」
そんなヴァリヌーを老婆は優しく撫でた。
「それでお婆さん、さっきの言い方はまるで誰かを待ってるんだけど?」
「そうじゃなぁ……数週間前に精霊から聞いたのさ」
何を? と無言で先を促すレイアを見たあと、老婆は空を見上げて続ける。
「ワシらを助けてくれる人はもうすぐ来る、と」
「……」
都合のいい事を、と皆さんは思うかもしれないけどレイアは違う。
彼女はちゃんと分かっている。
「精霊たちの導きって事か……」
精霊の言葉は導きであり、耳を傾けなければならない、と。
実際に彼女もフェルに出会う前にそうしたのだ。
「あんた達なに勝手な事言ったの?」
「?」
「これはこれは……」
側から見れば何もない空間にこらっ! と言っている変人でしかないけど、精霊が見える老婆の眼にレイアに叱られた精霊たちは騒がしく飛んでいる事はちゃんと映っている。
「精霊が叱られるのを初めて見たわい」
「え? あー、そうね」
ドライアードもたまにちび達を叱るからレイアにとって当たり前の事だけど、普通は見られない光景だから老婆の反応は当然だ。
まあ精霊が見えないヴァリヌーにとって訳がわからないけどな。
「……どうやら精霊王の妻である事は嘘ではないようだね」
「はぁ……言っておくけどあたし精霊の女王じゃないからね」
「む? じゃあマクスウェル様の名を使っているのはなぜじゃ?」
妥当な質問だな。
精霊たちを君臨する者ではないならなぜフェルみたいにマクス爺の名を自分の苗字にする?
しかしその理由は単純だ。
「精霊王の妻だか」
そういうことだ。
「当然夫の苗字使うでしょ?」
と言ったレイアは証拠として左手の薬指にある指輪を見せた。
「なるほどのう」
これは驚いたわい、と老婆は笑った。
「まあ、あんた達をどう助けるか分からないけどね」
いくら自分は精霊王の妻であっても、精霊たちはこの老婆と少女を助けろと言っても、具体的にどうすればいいかレイアには分からない。
「フェルがいればなぁ……」
と空を見上げて彼女は寂しい気に呟いた。
レイア「帰ったらドライアード様に叱ってもらうわよ、あんた達」
精霊達「ーーーー」
老婆「怖がっておる!」
ヴァリヌー「……?」
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