大宮廷魔術師の断罪
「汝、大宮廷魔術師ソシト・マルフェシタを斬首刑に処する」
玉座の間にて、王の言葉が木霊した。
その言葉に、この場に集まった人々から、どよめきが起こった。
それもそのはず、ここに集まった者たちは先の大戦での活躍が認められ、この場で論功行賞を祝われることになっていた。
仮に功績を告げられなくとも、決して刑罰を告知される場所ではなかった。
特に、名指しされた宮廷魔術師ソシトは、『大』と冠詞が付くほどの偉大な魔法使いであり、先の大戦でも大いに活躍した功労者だった。
どうして王は、大戦で活躍した魔法使いに対して、斬首刑を言い渡したのか。
理解が及ばず、人々は周囲に疑問を投げかけるが、返答する方も理由がわからない。
罪状を言い渡された宮廷魔術師ソシトも、老齢のために皺が深く刻まれた顔に不思議そうな表情を浮かべていた。
そして、玉座の間に入る前に預けた魔法の杖の代わり――隣で支えてくれているフードを目深にかぶった介添えと共に、玉座に座る王へと一歩前へ出た。
「王よ。スルタ王よ。儂はどうして、死罪を言い渡されるのか、その罪状をお聞きしたい」
年齢を重ねてひび割れた声で、魔術師ソシトは王に尋ねる。
しかし質問への返答は、王からではなく、隣に立つ宰相から出てきた。
「大宮廷魔術師ソシト――いや、魔法使いソシト。貴様はやり過ぎたのだ」
役職を外して言い直した意味は、宰相と彼に代弁させている王は、ソシトのことを宮廷魔術師から罷免したという意思表示だ。
偉大なる魔法使いをどうして罷免するのかと、周囲の人たちから再びどよめきが起こる。
しかしよくよく観察してみると、狼狽えているのは立場が低い者たちばかり。
貴族位や職位が高い者の中には、動揺している様子がない者も見受けられた。
そういった者たちを目ざとく見つけた人たちは、この場でソシトが断罪されることは決まっていたのだと理解した。
もちろん偉大なる魔法使いであるソシトも、そんな裏事情を見抜いていた。そして見抜きながら、あえて質問を重ねる。
「やり過ぎた、とは? 儂が先の戦争で勝つためのあらゆる手を尽くしたことは、そうせよと王が命じたことですぞ?」
その言葉に偽りはない。
スルタ王が治めるサルディノ国は、弱小国である。
先の大戦での敵国との戦力差は十対一。もちろん一の方が、サルディノ国の戦力だった。
本来なら勝てるはずのない戦力差にも関わらず、サルディノ国が勝利出来た理由は、ソシトが開発した魔法が大部分を占めていた。
だからこそ、スルタ王はソシトを褒めこそすれど、決して死罪を言い渡すことはあり得ない。
しかし現実に、スルタ王はソシトに『斬首刑』を言い渡している。
褒められて当然という常識と、死罪を言い渡された現実との間で、聴衆は混乱している。
その混乱を見ながらも、宰相は落ち着いた物言いで、ソシトの疑問に答える。
「やり過ぎた、という意味を教えましょう。まず貴方は、戦争の際に非人道的な兵器を使用しましたね?」
「非人道的とは?」
「人を魔法で爆弾に変え、敵陣に突っ込ませたことを言っています」
宰相の言葉に、聴衆の中で戦争に参加していた人が、なるほどと頷く。
確かにあの戦法は、非人道的だったと理解して。
宰相が指摘したことは本当のこと。
大宮廷魔術師ソシトは長年培った技術を用いて、人の魔力と生命力を一気に使用することで大爆発を起こす魔法術式を発明していた。
先の大戦で彼我の戦力差が大きく離れている事実を受け、ソシトはこの大爆発魔法の実戦使用を決断した。
しかし、大威力と引き換えに魔力だけでなく生命力まで使用する大魔法であるため、人命を使い潰すより他に方法がなかった。
そのためソシトは、洗脳した特攻兵を用意し、彼ら彼女らに身体強化と大爆発の術式を刻んで敵陣へと突っ込ませた。
この戦法は、効果が絶大だった。
特攻兵は次々に敵の指揮官を狙って抱き着き、大爆発。周囲の敵兵もろとも、灰燼に帰した。
中でも数名の特攻兵は、全身に切り傷を負いながらも敵の本陣にまで辿り着き、敵の総大将と一緒に自爆して果てた。
その後も戦争は続いたが、このときの戦果がなければ、サルディノ国は敵国に打ち負かされていたことは、誰が考えても間違いないと判断することだった。
人命と引き換えに手にいれた戦果は、戦争に勝つために必要不可欠だった。
その自負があるため、ソシトは真っ直ぐに宰相を見据える。
「戦争とは人命を支払って勝利するもの。特攻兵が命を散らすことと、槍で兵が死ぬことに、なんの違いがあるでしょう。むしろ特攻兵一人の命で、敵指揮官と敵兵数十名が道連れとなったのです。撃墜対被撃墜比率を考えるのであれば、儂が使った戦法が有用でありましょう」
「費用対効果を問題にしているのではない! 人の命を物として扱ったこと自体を問題にしているのだ!」
「戦争をする時点で、国の重役を担う者たちは全て、兵の命を物として扱っているのではありませんかな?」
ソシトの切り返しに、宰相は顔を真っ赤にして怒鳴り返そうとする。
それより先に、ソシトの言葉が続いた。
「そも、特攻兵に『仕立て直した』者たちは、死罪判決を受けた犯罪者や死ぬ労働を課された重罪奴隷ばかり。彼の者の命は、儂が手を加える以前から、この国の法の下で物として扱われていましたぞ」
この国の法では、死罪の罪人は名剣名槍の試し切りや薬物毒物の検体に用いられ、重罪奴隷は鉱山で事実上事故死するまで働くことが決まっている。
それらの法に照らせば、ソシトが魔法によって死刑囚や重罪奴隷を特攻兵に作り変えたことは、違法行為とはならない。
この部分を指摘されると弱いのだろう、宰相は議論の攻め口を変えてきた。
「特攻兵以外にも、貴方は効果的に敵に被害を出す作戦のためとはいえ、少数の兵士を囮に出して殺した。そんな真似をせずとも、あの戦況では勝てたはずです」
「儂の特攻兵が敵に多大な被害を出した、その後の戦況の話かね?」
揶揄する言葉に、宰相の顔色がさらに怒りで赤くなる。
ソシトは、軽い当てつけで怒るな、と身振りを送った。
「あの兵士たちには、敵の行動選択を狭めるためだけに、命を散らすよう命令した。その点だけを考えれば、なるほど確実に必要なことだったかと問われれば、返答が難しいやもしれん」
戦争の戦況は流動的なもの。敵味方の動き一つで、状況がガラッと変わり得る。
そんな状況の流れを、ある程度の方向へまとめるために、少数の兵士たちは囮――というよりかは生贄に近い形で、敵軍へと進ませた。
だからこそ、その兵士たちの献身のお陰で、先の大戦の勝利が決定づけられたことは間違いない。
しかし兵士たちにその行動を取らせなくても戦争に勝利できたかと問われたら、大宮廷魔術師であるソシトの頭脳をもってすれば、可能だった算段が高い。
宰相は、ソシトの魔法の才と頭脳の出来を買っているからこそ、ソシトが『兵士の犠牲が勝つために必要だった』とは決して言わないと確信していた。そしてその通りになった。
「あの兵士たちが死ななくても戦争に勝てた。そうですね?」
「そうじゃな。彼の兵士たちが死ななかった分、他の兵士たちがより多く死んだであろうが、戦争には勝てたであろうな」
「多く死んだとは、兵士に死を命じた貴方の、贖罪の心からの妄想では?」
宰相の詰め寄りに、ソシトは笑い声を上げる。
「ははっ、戦争は終わっておるのだ。過去にああしていたらこうしていたらなど、仮定でしか語れんだろうに。そもだ。彼の兵士たちは志願して決死隊となった。その死を『無駄では?』と疑問をもつこと自体、彼らに対する侮辱であると、儂は思う」
「その兵士たちの家族にしてみれば、死なずに帰って来てくれた方が良かったと思っているはずです」
お互いの死生観に対する感覚が平行線であると感じ取り、ソシトは会話の流れを変えることにした。
「儂が作戦を懸案し、その結果兵士が死したことは正しい。しかし作戦を採択するかは、儂の権限にはなかった。その権限を持っていたのは、大戦の総大将たる将軍か、国の最高責任者足る王であろう」
「作戦を作った貴方ではなく、作戦をやると決めた将軍ないしは将軍を任命した王に責任があると? それは責任転嫁では?」
「何を言う。それが、この国の法であろうに」
戦争の責任者が誰なのか。
それは総大将の将軍であり、それを任命する王であることが、戦時法に書かれてある。
兵士が敵兵を殺すことは殺人という罪ではあり、兵士が敵国の民家に押し入ることは強盗罪である。
しかし、その罪を背負うべきは戦争を命じた将軍と王になるため、戦時法上は兵士に罪はないわけだった。
その法に照らせば、作戦を立案したソシトではなく、作戦を結構すると決めた将軍や王に、件の兵士を生贄にした罪がある。
そもソシトの作戦が不服ならば、それを跳ね除ける権利を将軍や王は持っていた。それを行使しなかったことで、彼らもまた兵士たちを生贄に差し出すことを受け入れていたという証拠であった。
告発のことごとくを言い返され、聴衆の心情もソシトに傾いたままの状況となり、宰相はとうとう切り札を出すことにした。
「そもそも、魔法使いソシトは『大宮廷魔術師』と崇められるに足る人物だったのか。ここにある証拠を見れば、とてもそうは思えない!」
宰相が掲げ持つは、十数枚の紙束。
その紙束が、どうしてソシトが大宮廷魔術師に相応しくないのだろうと、聴衆たちは疑問に思う。
宰相は聴衆たちに聞かせるように、朗々と語り始める。
「変だとは思いませんでしたか。どうして魔法使いソシトは、犯罪者を自爆させる魔法が使えたのか。もっとかみ砕いて言えば、犯罪者を特攻兵にするための洗脳魔法、命と魔力を燃料にする大爆発魔法を、どうして使うことができたのか」
大宮廷魔術師ソシトは魔法の天才だからと聴衆が思考停止する前に、宰相は『否』と叫んだ。
「違う! 魔法使いソシトは、常日頃から奴隷を買い漁って人体実験を行うことで、それらの魔法を身に着けたのだ! それも重犯罪奴隷ではなく、傷病奴隷を相手に!」
今回の宰相の言葉には、聴衆はソシトへ疑いの目を向ける。
死を定められた重犯罪奴隷ならいざしらず、怪我や病気になっただけの奴隷を実験に使っていた。
それが事実であれば、ソシトが持ち出す『国の法』に照らして考えれば、ソシトが大宮廷魔術師に相応しい人物ではないという立派な理由になる。
周りから疑いの目で見られる中、ソシトは余裕の顔を崩さない。
「儂は、なんら恥じることをしていない」
「それは本当でしょうか。私が掴めた限りでも、貴方は十数人の傷病奴隷を買っている。そしてそれと同じぐらいの数、それらの奴隷が死亡したという届け出が出されている!」
宰相が告げた衝撃的な事実に、聴衆から今までとは違う感情のざわめきが起きた。
聴衆は、ふと思ってしまったのだ。
常日頃から人の命を何とも考えない異常者だから、戦争の時に平気で人命を消費するような作戦を思いつけたのではないかと。
勝手な意見の表出に、ソシトの介添えをしていた者が動こうとする。
しかしその動きを、当のソシトが制止した。
「宰相よ。儂の認識が正しいか、問いかけたい」
「いいでしょう。質問してみるといい」
「では――買い取った傷病奴隷の体を治療するにあたり、その治療行為中に奴隷が死亡しても、所有者は罪に問われない。これは奴隷法に書かれてあったと思うが、いかに?」
傷病奴隷とは、その文字の通り、怪我を負ったり病に伏した者が治療に掛かった費用が払えず、その代金と同じ金額の奴隷に落ちた者のこと。
本来なら体が治った状態で奴隷となるのだが、大怪我や重病の者に関しては治療が完了しない状態で奴隷となる者もいる。
そして大怪我や重病の奴隷は、奴隷の身体を健全に保つことが購入者の義務ではあるとはいえ、治療しても治しきれずに死亡することがあり得てしまう。
ここで奴隷を死亡させたからと購入者を罰してしまえば、傷病奴隷を買う者や奴隷商が居なくなってしまう。ひいては、傷病奴隷という制度が成り立たなくなる。
そこで傷病奴隷の制度が崩壊しないよう、傷病奴隷が怪我や病気が原因で死んでも罪に問わないという条文が、サルディノ国の奴隷法の中に書き加えられていた。
ソシトが引き合いに出したのは、その条項の部分。
つまりソシトは、傷病奴隷が死んでしまった理由は、人体実験に使ったのではなく、治療行為の結果であると弁明したのだ。
立派な答弁に思えたが、宰相の表情は望む言葉を引き出せたと勝ち誇っていた。
「貴方は魔法使いです。傷病奴隷の治療には、魔法を用いますね?」
「それは当然のこと」
「では、傷病奴隷を治療した際に得た経験は、貴方の魔法構築の役に立ったのではありませんか?」
「確かに、彼ら彼女らの治療を通して、儂の力量が魔法の深淵に近づいたことは間違いない」
「ということは、貴方が宮廷魔術師に至った魔法の腕前は、傷病奴隷の屍を積み上げた結果と言えるのではありませんか?」
宰相の問いかけは、意地悪なものだ。
傷病奴隷への治療行為と、その治療によってどれだけソシトの腕前が上がったのかを比較しない状態で、『傷病奴隷を死亡させたことで、ソシトの魔法の腕が上がった』と印象付けようとしている。
事実、すでにソシトのことを良く知らない聴衆の中には、ソシトのことを犯罪者のように思い始めている者が現れている。
ソシトはここで『自分の腕前の向上と傷病奴隷の治療行為は関係ない』と言い返すことが出来た。
しかし宮廷魔術師に上り詰めるほど、ソシトは魔法に対して真摯である。
魔法の上達に役に立った事柄を、嘘でも、なかったとは言えなかった。
「屍の上とは、過剰表現が過ぎる。多数の怪我と病を元に、とするべきであろうな」
「ほう! 認めましたね! 傷病奴隷の怪我と病のお陰で、貴方の魔法の腕前が上がったことを!」
「ああ、認めようとも。それで、儂の行いは法に触れ得るものかな?」
ソシトの問いかけは一貫して、自分の行いは違法かどうかだ。
違法でないのなら、王から死罪を言い渡されることは間違いである。そう主張していた。
しかし聴衆の感情は、ソシトが王に死罪を言い渡されても仕方がないと思い始めていた。人の命を弄ぶような異常者が、国の宮廷魔術師であって欲しくないからと。
そうした周囲の感情の流れを悟って、ソシトは王へと問いを投げかける。
「王よ。お答えを。儂の行いが罪であるか否かなど、意味はないのではありますまいか。儂の命を取ることが、彼の敵国と終戦条約を結ぶための絶対条件なのではありますまいか?」
ソシトの命を奪うことで、敵国と戦争の手打ちにする約束ではないか。
そういう問いかけに、宰相は図星を突かれたように一瞬だけ顔を歪め、すぐに余裕の表情に戻った。
「なにを、土壇場の世迷言を」
ソシトの言い分を切って捨てようとする宰相だったが、玉座に座るスルタ王が手を上げて止めさせた。
「よい。今まで国によく仕えてくれた事に対する、最後の温情だ」
スルタ王が手を振ると、ソシトの周りに、剣を抜いた騎士が五人集まった。
王命が下れば何時でもソシトを殺せる配置になったところで、スルタ王は続きを喋る。
「ソシトよ。先の大戦での功績は見事であったと、手放しに褒めよう。しかし、お主はやり過ぎたのだ。お主の奇天烈な戦法はな、彼の敵国の心胆を凍らせたのだ。お主がこの世にあっては安心できぬ。多大な犠牲と引き換えにしようと、お主の命を奪う。そう決心させるほどに」
「その犠牲に国が巻き込まれぬよう、王は儂に斬首刑を言い渡したのですな。なんの違法も犯していない、この儂に」
「国の平和と民の安寧のためだ。死んでくれるな?」
王の問いかけにソシトが答える前に、宰相が口を開いた。
「魔法使いソシト。貴方は死刑囚や犯罪奴隷、そして決死隊の兵士の命を使って、戦争に勝った。今度は我々が、貴方の命で国の平和を勝ち取るだけのこと。何を迷う必要があるのです」
宰相の主張に対し、ソシトは声を出す。その声は、この窮地にあっても凛とした芯を感じさせるもの。
「儂の行いは、人理に照らせば、確かに褒められるものではなかったであろう。しかし、法に背くことは一切しておらん。翻って王と宰相よ、お前たちの行動はどうか。戦勝の立役者に、功を贈るかわりに死罪を命じる。これは人理にも法にも背く鬼畜の行い。このような真似は、一時は眼前の利を得られようと、将来には破滅が待ち構えているぞ!」
ソシトの心からの主張は、聴衆の心を打った。
しかし肝心の王と宰相の心変わりを促すほどではなかった。
「よい。殺せ」
王が静かに命じると、ソシトの周囲にいる騎士たちが剣を振り上げた。
その光景を見て、ソシトはそっと呟く。
「もはや、これまでか」
ソシトは肩を落とすと、介添えしてくれていた従者をそっと押した。
その光景を見ていた誰もが、ソシトが従者を逃がそうとしているのだと思った。それはスルタ王と宰相も同じだった。
しかし、現実は違った。
従者はフードを頭から払いのけるや否や、周囲の騎士たちに飛びかかったのだ。
「うりゃああああああああああああ!」
取り払ったフードから現れた顔つきは、十代の少女のもの。
そんな少女の徒手空拳など、普通なら鍛えに鍛えた騎士たちに通じるものではない。
しかし、この場において、少女が殴り蹴るたびに、鎧を着た大の大人が吹っ飛ばされて地面に転がった。
「なん、だと……」
絶句する宰相は、ソシトを囲んでいた全ての騎士が打ち倒されたとき、見た。
振るった騎士の件によって、少女のローブが切り裂かれ、体の肌が見えたのだ。
「トカゲのような鱗の肌――『奇鱗病』の患者か!?」
少女について、宰相は心当たりがあった。
ソシトが治療中に殺したとされる、傷病奴隷の一覧。
その中に、皮膚を突き破って硬い鱗が生えてくるという奇病――奇鱗病に罹患した少女の記載があったのだ。
「その奴隷は、死んだはずじゃ!?」
宰相の疑問に、ソシトは人の悪い笑みを浮かべる。
「言ったであろう。儂の腕前の上達は『傷病奴隷の屍の上』にあるとは、過剰表現であると」
「もしや、単なる言葉の問題ではなく――」
「そう。儂は、買い取った傷病奴隷たちを、誰も死なせてはおらんよ」
「し、しかし、現実にこうして死亡届が」
狼狽える宰相に対して、ソシトは騎士たちを打倒した少女の頭を撫でる。少女は褒められて、とてもうれしそうにしている。
「それはそうであろうよ。この者を含め、魔法で治療の結果、人とは異なる存在となってしまった者がいる。人ではなくなったからには、奴隷のままではいさせられない。なにせこの国の奴隷法は、人間にだけ適応されるものだから」
ソシトの言葉の通り、彼に撫でられている少女の肌は全面に渡って鱗で覆われている。
その見た目は、そして楽々と騎士を殴り倒すその力は、人間ではあり得なかった。
この事実に、宰相は悲鳴を上げる。
「い、異形の生物を作り出したというのか!? そんな真似、禁忌の所業だ!」
「あくまで、命を助けるための治療の結果である。人理にもとる行いかもしれぬが、この国の法を破っているわけではあるまい」
「化け物を作ってはいけないなどいう法を、作っているはずがないだろう!」
「なら、あたいたちは、この姿になる選択をせずに、病気で死ねば良かったってことかよ!」
鱗肌の少女が怒声を上げ、宰相の方へと歩いていこうとする。
騎士を殴り倒した腕力だ。文官肌の宰相が一発でも食らえば、悶絶は必至だろう。
しかし少女が殴りかかるよりも前に、ソシトが少女の行動を止めた。
「止しなさい。貴方の強い力は、気ままに振るうためにあるわけじゃないと、教えたでしょう」
「むぅ……。はい、先生。あたいの力は、仲間を助けるためにあるものです。人を傷つけて喜ぶためのものじゃありません」
「うむ。よく出来ました」
ソシトは鱗肌の少女の頭を撫でて労いつつ、顔をスルタ王へ向ける。
「儂がこの国に邪魔というのならば、国から立ち去るとしましょう。そして彼の敵国にも渡らぬと約束しましょう。故に、後は放って置いてもらいますかな?」
「……それでもお主の命を貰うと言ったならば?」
スルタ王の言葉に返答したのは、ソシトではなく鱗肌の少女だった。
「先生を殺させるはずがないだろ! あたい『たち』が返り討ちにしてやるよ!」
「これこれ。まあ儂も大人しく殺されてやる気はないですな。この国から出ると言い切った手前、この国の法や王の言葉に従う必要がなくまりましたからな」
先ほどまで『法』に異様な執着をみせていたソシトが、この国の法を守る気がないと言う。
それはすなわち、違法行為も辞さないという宣言である。
スルタ王は、ソシトの決意を重く受け止めた。
「よい。どこぞなりと行くといい」
「王よ! それでは終戦協定に支障が!」
「宰相。もうソシトを殺す機会は失われた。そも、あやつが戦う気であれば、すでに我らの命の方がなかったのだと気付かされた。あの鱗の少女もそうだが、あの者は『大宮廷魔術師』なのだ」
玉座の間に入る前に、魔法を使うために必要な杖は取り上げてある。
杖一本を取り上げればソシトの魔法を完璧に防げる。そう驕ることは間違いだったことを、遅まきながらにスルタ王は悟っていた。
事実、スルタ王が見るソシトの目には、なんらかの方法で魔法を使ってくることを伺わせる、剣呑な光があったのだから。
こうして、論功行賞の場で起きた騒動は、王の宣言や大宮廷魔術師の反論を経て、大宮廷魔術師が国を出るという結末に終わった。
ソシトは一介の魔法使いに戻り、自身の家で匿っていた治療中の傷病奴隷たちを連れて、どこかへと去っていった。
その後に流れてきた噂では、とある森の奥深くに、不治の病や怪我を治す凄腕の魔法使いがいるとか。その魔法使いの傍らには、肌が鱗に覆われていたり、石の体躯を持つなど、普通とは違った人間が共に暮らしているのだとか。
一方、大戦の功労者たる大宮廷魔術師を欠いたサルディノ国は、戦争を勝利に導いてくれた存在を追放した無能の国として、周辺国から侮られるようになった。
ちくちくと小競り合いを仕掛けられ、そのたびに戦いに負けて領土を失い、徐々に徐々に国が小さくなっていっている。
こうして連敗する理由も、兵士たちや魔法使いたちの間に「戦争で活躍しても追い出されるだけだ。彼の大宮廷魔術師のように」という諦めが蔓延していて、国のために戦うという気構えの者が皆無になっているからである。
そんな国情であるため、サルディノ国に小競り合いを仕掛ける国の酒場では、あと何年持つかで賭け事のネタに使われる、そんな情けない国になっていた。
久しぶりの短編でしたが、お楽しみいただけましたでしょうか。
一時でも面白く思ってくださいましたら、よかったです。