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 翌朝、エクスは鳥のさえずりで目が醒めた。異変がないことを確認すると体を起こし、背伸びをする。不自然な体勢で寝たから体の節々が痛む。


 昨日の客には穏やかに(・・・・)ご退場いただいたからいいようなものの、これが暗殺となれば自分一人で防ぎきれるかどうか。たった(・・・)四人相手でもこのザマだ。


 やはり護衛の人数を増やすように進言した方がいいかも知れない。夜這いを仕掛けるようなのは論外としてもだ。


 ふと昨日の様子を確認しようと階段の方に向かうと、木製の手すりに大きな傷が刻まれているのが見えた。相手の剣をかわした時に当たったものだ。唾を付けて撫でてみたがやはり傷は消えなかった。建物の作りからして年季の入ったもののようだが、不可抗力というものだろう。


 マッキンレイ辺境伯も息子の不始末に文句は言うまい。階段の染みもお目こぼし願おう。少々目立ってしまうが、目線が下に行くから天井に突き刺さった剣に気づかれずに済む。


 気を取り直して、ドロシーの部屋へと向かった。


 馬車はビリーゲイルの町を出て、隣町へと向かっている。予定を変更し、マッキンレイ領を素通りして南の辺境伯であるグッドオール領へと向かっている。


 辺境伯は途中まで同行すると申し出たが、ドロシー自ら断った。拒絶、といっていい。


「息子の不始末に素知らぬ顔をする辺り、あの方も卑怯者ですね」


 詳しい説明をするより前に、階段に残った戦闘の痕跡でドロシーは何が起こったかを悟った。

 エクスに必要のない『治癒』の呪文をかけると、辺境伯に詰め寄った。


「此度は愚息が聖女様へしでかしましたこと、誠に慚愧の至り。お詫びにあれの首を差し出します故、何卒ご容赦を」


 平身低頭、という有様だったが、目は保身に窮する男のそれではなかった。サミュエルの無法は辺境伯の差し金であろう。そうと察したドロシーは用意された朝食すら摂らずに、ろくすっぽ挨拶もせずに立ち去った。


 今は馬車にゆられながらクリスティーナ婆さんが急いで用意した卵焼きのパン挟みを頬張っている。


「うまくいけば、という腹があったのでしょう」


 辺境伯とてドロシーの力は喉から手が出るほど欲しかったはずだ。息子の暴走をいさめながらも期待は捨てきれなかった、というところだろう。


「何を他人事みたいに」

 抗議するようにエクスを揺さぶる。


「私がサミュエルに手込めにされてもいいというのですか」

「良くはありません」


 だから腕をへし折ってやった上に、喉を絞め落としてやったのだ。失禁したのは不可抗力だが、同情はしない。


 せっかくの美形を倍近くに腫らし、折れた腕を包帯で巻きながら地べたにひざまずいたのも天罰と思って諦めてもらおう。さすがの辺境伯も簡単に息子の首は飛ばすまい。


 七日七晩、穴という穴から血を吐き、体中に緑色の斑点を浮かび上がらせながら死に至るよりマシだろう。辺境伯も命は助かったのだから領地の始末くらいはご自分でやっていただこう。聖女様は暇ではないのだ。ふと、懐の中にある手紙に視線が移る。


 多少早まったが、グッドオール領へ向かうこと自体は予定どおりである。昨夜の宴の前に王都からの使いが来て、エクスに手紙を渡した。差出人はメレディス第三王子である。


「マッキンレイ領を訪れた後は、王都に戻らずそのまま王国の辺境をぐるりと一周して回れ。帰る必要はない。あと、お前の妻の再婚相手が決まったぞ。俺が推薦しておいた。出自の確かな者だから何の不安もない。そのうち子供もできるだろうから婿養子を取る必要もない。感謝して敬え。そして貴様はドサ回りをしながら無能の聖女共々野垂れ死ね」


 そのような意味のことを粘着質かつ不快な文体で認めている。その場で破り捨てなかったのは、長年鍛えられた忍耐のたまものだ。


「それは手紙ですか」

 ドロシーが興味深そうにのぞき込んでくる。


「ええ、まあ」

「私にも見せていただいてよろしいですか」

「いえ、ご覧いただくほどのものではありませんので」


 あわてて懐の奥にしまいこむ。内容自体は伝達済みだが、見せる訳にはいかない。手紙にはドロシーへの悪口雑言が随所に書かれている。無論、そこはすっぱり省略して、辺境周りをすることのみ伝えている。


「いいじゃないですか。見せて下さい」

 と何故か、手紙を取り上げようとする。見たところで不愉快極まりないだけだというのに。


「ピークマン家の内情についても書いてありますので、これ以上はご容赦下さい」

「……申し訳ありません」


 そこでドロシーはふと気づいたように手を止め、謝罪する。わかってくれたか、とほっとしながら懐の奥に突っ込む。あとで焼いておこうと心に決める。何かの拍子に目に入ったらドロシーが気分を害する。


「……あの、怒っていますか」

「いえ、別に」


 エクスは首を振った。妙に人なつっこいのも子供っぽいのも、今まで抑圧されてきた反動だろう。散々苦労してきたのだから、これからいくらでも幸せになればいいのだ。


「むしろ問題はこちらの方なのですが」


 と、振り返れば幌馬車の中で横たわっている老婆が一人。案の定、悪酔いしたらしい。青い顔で唸りながら時折、馬車の後ろから小間物をぶちまけている。


「今からでも別の者を雇いましょうか? もっとその……まともなのを」


 辺境伯から路銀と兵士たちの治療費、それに不始末の慰謝料を含めて金貨をたんまりふんだくっている。口も態度も性格も悪い老婆にこだわる理由はない。


 ドロシーは首を振った。


「私はおばあさん好きですよ。素直であけすけで、落ち着けるじゃないですか」


 エクスに言わせれば、悪口ばかりでこらえ性がなくそのくせ中身がない、と家来としては最低の部類なのだが。


 ドロシーからすれば、見た目が変わっても態度に変わりのないクリスティーナ婆さんは信用出来ると踏んでいるのだろう。


「へっへっへ。残念だったなあ。おら、聖女様にお供するって決めたでな。地の果てでもついて……」


 最後まで喋れず、気味の悪い声とともにまた小間物を街道にまき散らす音がした。

 本当にいいのだろうか、とエクスは自問したが、答えは出なかった。


「それより、護衛の件なのですが……」

「いりません」

 ドロシーは最後まで聞かずに言い切った。


「ですが、私一人では……何かと手が回りませんので」


 エクスとて休憩も食事も睡眠も必要だ。あのようなことがあったばかりで信頼できないのはわかるが、次の領地にいる間だけでも、誰かしら借り受けた方がいいのではないだろうか。


「私が守ります」

 一瞬何を言っているのか分からなかった。


「エクスが窮地の時は、私が守ります」


 鼻息も荒く、顔を寄せてくる。妙な迫力と人並み外れた美貌、身のうちから溢れ出る色香に押されて、それ以上反論できなかった。


 ドロシーからすれば気心の知れない人間が増えるより、多少不自由でも今の方がいいのだろう。思えば、十年以上もやれのろまだ無能だと馬鹿にされてきたのだ。貴族だけでなく民からも。人間不信になっても致し方ない。いずれにせよ、護衛の増員は退けられてしまった。


 クリスティーナ婆さんが頼りにならない以上、自分だけが頼りだ。


「あ、グッドオール領まで一本道ですよね。とりあえず街道の魔物は魔法で片付けておきましたので。ゆっくり楽しみましょう」


 本当に護衛が必要なのかどうかはさておくとしても。


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