マルウェア
「お怪我はありませんか?」
会場を出るとドロシーが頭に『治癒』の奇跡をかける。大げさだと断ったのだが、聞かなかった。
「お強いのですね」
「弱くては護衛は務まりませんので」
そもそも平民出身のエクスが第三王子の近衛騎士を任せられたのは実力を買われたからだ。メレディスは不服そうだったが、仕方があるまい。家柄も腕前も兼ね備えた騎士は、まず国王陛下や王太子の護衛に回される。
第三王子となればどちらかが欠けている人間しかいないのだ。家柄や立ち居振る舞いは立派だが、腕の立つ騎士はエクスの見たところ、エクスだけだ。
「ですが、稽古の時はいつも、その……」
ああ、と思い当たる。確かにほかの近衛騎士やメレディスにはよく負けていた。婚約者時代のドロシーもたまに稽古を見に来ていた。
「強さを自慢する護衛など害悪ですよ」
自分の強さを絶対視するほど若くもうぬぼれてもいない。自分より強い者など世界中、いくらでもいる。いかに強さを誇ろうと、より強い刺客を差し向けられたり、不在の時を狙われたらそれで終わりだ。
第三王子に刺客を差し向けられる機会など、一生に一度か二度だろう。ならばその機会に備えて、腕前も隠しておくべきだ、とエクスは考えたのだ。だから普段はめったに人前では実力を出さないし、メレディスとの立ち会いでも花を持たせている。
「かといって、弱すぎればかえって相手を警戒させますから。さじ加減の難しいところです」
弱すぎれば「なぜそんな者が護衛に付いているのか」と不審に思われてしまう。強すぎず弱すぎず、周囲の実力も考えながら真ん中辺りを目指した。
同時に、相手を殺さない術も心得ている。刺客を殺してしまえば、首謀者がわからなくなる。命を奪うことなく、相手を動けなくする方法も必要だと考え、剣術以外にも格闘術を習い、相手を制する術をみがいてきた。今となってはバカバカしい限りだが。
「まあ、あちらは若いですからね。十年後にはどうなることやら」
「辺境伯様はいかがですか? あの方もたいそうお強いとか」
「十年前なら手も足も出なかったでしょうね」
ただ、マッキンレイ辺境伯の強さは個人の武勇ではなく、用兵にある。王国でも五本の指に入る武将だ。こと指揮能力となれば、平民上がりの騎士などお呼びではなかろう。
「上に立つ者は武勇よりも指揮や戦略が求められますから。そちらは私程度ではとてもとても。まあ、一国一城の主など夢のまた夢、ですよ」
あら、とドロシーが目をみはった。
「エクスも出世がしたいのですか」
「どうやらこの辺りがあがりになりましたが」
若い頃は野心も持っていた。前の妻と結婚したのもそれが理由の一つである。ただ、今となっては叶わぬ夢でしかない。出世には実力だけではなく金や人脈、気配りに運など様々な要素が必要となる。
大半の人間がそうであるように、エクスもほとんど持ち合わせていなかった。それだけだ。
人には分相応というものがある。エクスにはここらが精一杯だったのだろう。後悔はしていない。農民の五男坊がよくぞここまで這い上がったものだと褒めたいくらいだ。
「まだお若いじゃないですか」
「あなたの護衛が、おそらく最後の任務になるでしょう」
この任務が終われば騎士爵を返上するつもりでいる。ほとほと愛想が尽きた。国や国王陛下への忠誠心は、馬鹿王子の尻拭いで使い果たしている。傭兵には戻れないだろうから、よその国に仕えるかすっぱり騎士を辞めるかになるが、おそらく後者だろう。
さしたる功績のない、三十五歳になる騎士を雇う物好きな貴族がいるとは思えない。腕に覚えのある若者はいくらでもいる。
「小商いでもするか、どこかの農村に畑でも買うのもいいかも知れませんね」
「……」
ドロシーの目が不安そうに揺らめく。しまった、とエクスは自分の愚かさに舌打ちする。辞めた後の人生設計を語る護衛など、守られる身からすれば懸念そのものではないか。
「もちろん、あなたの護衛は身命を賭して成し遂げますので。どうかご安心を」
何とか言葉を添えて取りつくろったが、ドロシーの顔は晴れない。
「ご安心下さい。私は、あなたをお助けするためにここにいるのです。絶対に守ります。誰を敵に回そうとも。メレディス殿下だろうと国王陛下だろうと、指一本触れさせません。絶対に助けます」
返事はなかった。もしかして、怒っているのだろうか。心なしか、耳まで赤くなっているように見える。
「聖女様助けるのはいいけど、何も頭突きってこたあねえだろうが。どうせならあっちに蹴りの一つでも入れてやりゃあよかったのによ」
振り返ると、いつの間にか付いてきたクリスティーナ婆さんが赤ら顔で愚痴をこぼしていた。ワインのビンを小脇に抱え、片手にシャンパン、もう片手にエールを交互に飲んでいる。
エクスは顔をしかめた。
「悪酔いしても知らないぞ」
「代わる代わる飲むのがうめえんだよ。こんな上等な酒、おら初めてだで」
上機嫌な様子で酒瓶に頬ずりする。
「だいたい、聖女様ならあんな小僧っこ、敵じゃねえだよ。昼間の魔物みてえに溶けちまうだで。だから、手を出すでねえとおらも言ってやったで。なあんも心配するこたあねえだぞ」
そうでもない、と反論しかけたがクリスティーナ婆さんの目は据わっていて、既に酩酊しているようだ。
処置なしだな、と呆れ返る。せいぜい酔い潰れないようにと言いながら用意された部屋にたどり着く。辺境伯邸の別館にある、客間である。別館の周囲は辺境伯の騎士が厳重に守っている。
三階の奥にあるそれは家具も調度品も古いが高級なものである。侍女用の控え室まであって、クリスティーナ婆さんの部屋はそちらになる。
「では、私はこれで」
「泊まっていくのでは?」
ドロシーがさも当然のように言う。
「お戯れを」
「ですが、部屋は遠いでしょう」
エクスに用意された部屋は一つ下の階にある。せめて護衛の都合上、同じ階をと主張したが主人に断られた。
「ここなら魔物に出くわす心配もありませんので。ゆっくり休ませていただきます」
「どうせ、女子でも引き込むつもりだろ。若い娘があちこちいたでな」
「寝ぼけるな」
祝勝会にいたのは全員、マッキンレイ家の侍女か近隣貴族の子女である。おいそれと手を出せるものか。
「まあ、本当ですか?」
ドロシーまで乗っかってくる。勘弁して欲しい。
「今更、女子に手を出すつもりはありません」
この際だからきっぱりと言っておく。任務の途中だし、何より妻と別れてさびしくもあるが、正直ほっとしている。
家付きの妻との結婚生活はお世辞にも上手くいっていたとは言いがたい。新婚の頃はまだ優しかったが、次第に平民出身の夫を軽んじる態度が鼻につくようになった。
義母もそれに乗っかり、エクスの実力を見込んだはずの義父ですら、五年も過ぎると周囲に軽んじられてばかりの婿を見限り、愚痴や後悔めいた発言を繰り返すようになった。その場限りの商売女ならいざ知らず、当分は恋愛も結婚もこりごりだった。
「そうです、か」
度の過ぎた態度を反省したのか、しゅんと落ち込む。反面、クリスティーナ婆さんは悪びれもせず空になったビンの底を叩いている。一滴たりとも残すまいとビンの口に指を突っ込んではなめ取るのだからたまらない。ドロシーの悪乗りもこの婆様の影響だろう。困ったものだ。
「では、私はこれで。お休みなさいませ」
言い過ぎたかと思ったが、自分に非はないと強引に会話を打ち切る。
背後で扉が静かに閉まる音を聞いてからエクスは一度用意された部屋に戻り、鍵を閉める。簡素な作りだが窓には鉄格子が入っている。まるで罪人だ、と苦笑しながら予備の剣を隙間に差し込む。
てこの原理で鉄格子を強引に曲げ、外へ出る。壁をつたって猿のように隣の部屋のベランダに飛び込む。鉄格子はなかった。そこから再び屋敷の中に戻り、気づかれぬように三階に戻る。ドロシーの部屋に続く廊下の途中で座り込み、壁にもたれかかる。
今夜、最上階である三階にいるのは、ドロシーたちだけだ。
辺境伯は護衛を付けると言ったが、息子のあの様子では断って正解だったようだ。どこかの婆様が口を滑らせてくれたようだが、奥にいるのは、魔物をあっという間に一掃し、数百人の傷を癒やす聖女様だ。手放すのはどこかの第三王子くらいだろう。
魔術を使えば無敵であろうと、戦闘経験はないに等しいのだ。寝込みを襲われれば不覚を取ることもある。
あの程度で諦めてくれるなら有り難いのだが、用心はしておくべきだ。誰であろうと今夜は通さない。
無論、どこかの口の悪い老婆をご所望ならば喜んで差し出す所存である。
目を閉じ、剣を横に立てかけて仮眠を取っていると、音を殺しながら誰かが階段を登ってくる気配がした。足音から察するに四人か。二人でエクスへの牽制、もう一人がクリスティーナ婆さんを人質にしている間に、サミュエルが聖女様としっぽり、という算段のようだ。
嫌な予感が当たってしまった。クソガキどもめ。
うんざりしながらゆっくりと剣を手元に引き寄せた。




