カーネルパニック(ドロシー視点)
「好都合じゃないですか」
浴びせかけられる殺意を受け流しながらドロシーは距離を測る。
「合わせる顔がないのなら、お墓参りもしなくていいですし」
「いい気になるな、奴隷の娘が!」
吠えるなり黒い鎧が突っ込んできた。巨体と重量に似合わぬ速度だった。まるで灰色熊だと思ったが、ドロシーの魔法は完成していた。これなら防げる。
「『神光盾』」
人並み外れた魔力で光の盾を構築する。持続時間はわずかだか、防御力は『新結界』の比ではない。何千何万の魔物が押しかけてきても耐えられる。
「バカめ!」
カーネルが大剣を振り下ろす。その一振りで光の盾は砕け散り、ドロシーは吹き飛ばされる。何故、と思った時には瓦礫だらけの床を転がり、壁に背中を打ち付ける。
目の前が暗く閉ざされる。めまいを感じながら目を開けると、再びカーネルが向かってくるのが見えた。どうして『神光盾』が破られたのかわからないが、のんびり寝ている時間はなさそうだ。手をかざし急いで魔術を構築する。
「『聖王槍』」
ドロシーの前に生み出された光の槍が自動的に狙いを定めて飛んでいく。
「愚かしい!」
カーネルが大剣を振り払うと光の槍は音もなく消滅した。
「そんな」
「何故、魔法が通用しないのかわからない、という顔だな」
嘲りの声にも冗談を返す余裕はなかった。
「簡単だよ。この剣と鎧には対魔法用に作られている。なれば貴様の半端な魔法など通用しないというわけだ」
「なら、半端じゃない魔法なら通用するというわけですね」
魔法に抵抗力があるのはわかったが、無限というわけでもあるまい。力ずくでごり押しすれば、多少の不利など打ち崩せる。
「そうだな」
カーネルはあっさりと認めた。
「どこで身につけたかは知らぬが、そのバケモノじみた力を全力で受けたならこの鎧とて耐え切れまい。だが、そうはならんぞ。貴様の弱点もわかったことだしな」
「あら、なんでしょうか?」
「簡単だ」
またも地を蹴って突進してくる。大風のような威圧感に焦ったドロシーは『聖王槍』を雨あられと放つ。とにかく数で勝負だ。並みの魔術師ならば一発出すのも精一杯だろうが、ドロシーの魔力ならば問題ない。連発で食らえば、動きも止まるはずだ。そこを強い威力の魔法で鎧をぶち破る。
けれど、ドロシーの目論見は外れた。カーネルは猿のように身軽な動きでかわし、最低限のものだけ剣で払い落としている。
動きが読まれている。そう気づいた時、カーネルは眼前に迫っていた。
「辺境での活躍は聞いている」
困惑するドロシーに向かって黒鉄の腕が伸びる。
「ぐっ……」
体が宙吊りにされる。喉を締め上げられて、息が出来ない。
「貴様、人と戦ったことがないのだろう。間合い、駆け引き、呼吸……どれも素人そのものだ」
カーネルの指摘は当たっている。遠くから魔法で眠らせたり気絶させたりするばかりだ。一対一で真正面からとなると、ゼロに等しい。少なくとも、何度も戦場を経験しているカーネルとでは経験値は比べものにならない。そういうのは全てエクスが肩代わりしていた。
「遠くから広範囲かつ桁外れの魔法で一掃するだけだ。なるほど、魔物の大群を相手にするには理にかなっている。だが、魔物相手には通用しても、近距離で人と戦うには魔法の出し方も大味すぎる。目線に顔の向きに手の動き、どこに来るかなど放つ前からわかる。伝説の竜が如き魔力も使い手がこれでは、無用の長物よ」
そこでドロシーをつかんだまま、床に叩き付ける。目が眩む。続いて二度、三度と壁や柱にも叩き付けられるけれど、まるで抵抗が出来ない。悔しい。魔法さえ通用したらこんな奴、一発なのに。
抵抗も出来ない女を一方的に痛めつけているのに、カーネルの顔はむしろ誇らしげだった。まるで自身こそが栄光の竜殺しだと言わんばかりに。
「どうした? 反撃してみるがいい。魔物の大群を殲滅せしめた魔法は使わぬのか?」
そもそも聖女として育てられたドロシーは攻撃魔法も魔物用がほとんどだ。人と戦うための魔法なんて習わなかった。ならば逃げる間もないほど広範囲の魔法を放てばいい。理屈は簡単だ。
けれど今ドロシーたちがいるのは王宮のど真ん中だ。魔物相手ならば光魔法で人を傷つけずに浄化するのも可能だ。けれど、この状況で高火力の魔法を放てば大勢の死人が出る。その中にはドロシーの大切な人も含まれている。
叙勲式会場の広間は静まりかえっていた。いつの間にか国王も貴族もみんな逃げ出したようだ。ドロシーを見捨てて。
「助けは期待しないことだ。先程、外から扉に鍵をかけおった。あんなもので閉じ込めたつもりのようだぞ」
ああ、やっぱり。ドロシーは怒りともあきらめともつかない感情に胸がうずいた。この国の連中はどいつもこいつもロクデナシだ。
時折、遠くから悲鳴や剣戟の音がする。どこかで騎士や兵士が、カーネルの家来と戦っているのだろう。もしかしたらここにも助けに来るかも知れないが、間に合うかどうかは望み薄だ。
「さて、この状況では魔法も出せまい。貴様の首をへし折るのも簡単だが、その前に聞きたいことがある」
首に掛かった手がわずかにゆるむ。
「その力、どこで手に入れた? その姿といい、魔力といい、あまりにも昔と違いすぎる。言え、何をした」
「ふふふ……」
笑いが込み上げる。そんなことが聞きたかったのか。バッカみたい。
「聞いたところで、マネなんかできませんよ」
したところで途中で澱の毒で死ぬだけだ。何より『アプデの泉』に近づけるのは特別な魔力波長を持つ人間だけ。今となってはドロシーですら入れない。
「話す気はないということか」
カーネルはバカにされたと受け取ったようだ。反対の手がドロシーの顔をつかむ。硬い親指が左目にかかる。
「目玉の一つもつぶせばその気になるか?」
まぶたの上から親指が押しつけられる。このままでは目が潰されるだろう。
「目の再生は回復魔法でも困難だ。それとも、聖女様ならば可能なのかな。できれば是非、後学のためにも見せていただきたいですな」
更に力がこもる。抵抗も出来ずやがて来る激痛に備えて歯を食いしばる。
その時。
天井から何か重い物が降ってくる気配がした。反射的に金色の目を開ける。信じられない光景が飛び込んできた。
陽光を背に、黒い人影が両手で持ち上げた瓦礫を掲げながら落ちてきて、カーネルの頭へ目がけてそれを振り下ろしたのだ。
重い音と同時に瓦礫の破片が舞い散る。
衝撃に耐えきれずカーネルが前のめりに倒れかかる。捕まえていた手がゆるんだのでドロシーは地に足を付け、横へ逃れる。もつれる足でなんとか距離を取ろうとすると、後ろからぐい、と引き寄せられた。
「遅れて申し訳ございません、ドロシー様」
温かい声がした。
「お怪我はございませんか」
背中越しに抱き寄せているのは間違いなく、ドロシーの騎士様だった。