ゴミ箱
本日二回目の更新です。
「聖女様を足蹴にするなど、もってのほか。どうかお控えください」
「お前か」
メレディスはつまらなそうに顔をしかめる。いつもそうだ。護衛役で常に側にいなくてはならないというのに毛嫌いされている。理由はいくつもある。ほかの騎士と違って、年齢が十歳以上も離れていること。日頃、阿諛追従をせずに口うるさく説教していること。そして、エクスが平民上がりだからだ。
短く刈った茶色い髪に、茶褐色の瞳。太い眉も鼻の低さも骨張った顔つきもおおよそ貴族のそれとはほど遠い。背丈もメレディスより頭半分以上は高い。背が低いように見られるのも近くにいるのを嫌がる理由だろう。
「構うものか。どうせこの女は最早、聖女ではない」
聖女にしたり辞めさせたりと婚約者の身分一つ覚えられないのか、と手前勝手な発言にエクスは鼻白む。
「私は存じ上げません」
そもそも正式に解任されたわけではない。ならば身分はまだ聖女であろう。
「仮にそうだとしても、十年もこの国の平和に貢献してこられた方への礼儀とは思えません」
「もういい」
話は終わりとばかりに顔を背ける。都合が悪くなると逃げるのは昔からの悪癖だ。
「さっさとこの女を連れて行け。不愉快だ」
「……承知しました」
ここで議論しても始まらない。助け起こそうとして、ドロシーの足首が赤く腫れているのに気がついた。倒れた拍子にひねったのだろう。立ち上がれなかったのはこのせいか。早く気がつくべきだった、と申し訳なさが込み上げてきた。
「失礼します」
ドロシーの背中と足に手を回すと、横抱きにして一気に起き上がる。いわゆるお姫様抱っこだ。
「……」
日頃、肉に閉ざされた目が見開かれている。おそらくびっくりしているのだろう。
「申し訳ございません。しばらくご辛抱を」
王宮まで運べば医師もいる。治癒の奇跡など使わなくても安静にしていれば直に治るだろう。
「ははは、よくそのような怪物を抱えられるものだ。腕が折れても知らぬぞ」
メレディスが指差しながら嘲弄する。エクスは呆れ果てた。まるでガキそのものだ。
「このくらいでどうにかなるほど、ヤワな鍛え方はしておりませんので」
わざとそっけなく返す。ひ弱な貴様とは違うんだ、という意味に気づいたらしく、メレディスの顔が赤く染まる。平均的な体型の女……妻より重いのは確かだが、女子一人抱えたくらいで折れるほどなまっちょろくはない。
それにしても変わったな、と腕の中の聖女を抱えながら哀れみが込み上げてくる。初めて出会ったのはエクスが二十歳の頃だ。あの頃は十歳の子供で、まだ聖女見習いだったが、幼気で可愛らしかった少女の面影はどこにもない。
大食漢どころか、むしろ肉や魚をほとんど摂らずに粗食ばかりを口にしていると聞いている。このような姿になったのも、聖女という役目の重圧で心身の平衡を崩したせいだろう。
「では失礼します」
「待て、エクス」
抱えながら王宮の方へ向かおうとすると背後から声をかけられた。
「行き先はそちらではない。あっちだ」
メレディスに指さされたのは、門の方角だ。
「ただ今を以て私の警護の任を解く。同時に、貴様には別の任務に就いてもらう。聖女の護衛だ」
今度こそ一本取ってやったと、勝利を確信した笑みを浮かべた。
「辺境で愛しの聖女を守ってやるんだな。ヤワな鍛え方はしていないんだろう?」
貧乏くじを引いてしまったな、とエクスは幌馬車の揺れを感じながらため息をついた。
メレディスの言葉は間違いではなかった。ドロシーは辺境への慰問を命じられ、エクスはその護衛をたった一人でする羽目になった。
仮にも王族の近衛騎士に就いていたというのに。ほかに護衛も身の回りを世話する人間もいないのだ。実質は辺境への追放である。出世コースもこれでおじゃんだ。
エクスは王都近くの農村で、貧しい農民の五男として生まれた。食うや食わずの生活の中、食い扶持を減らすために、たった七歳で山の中に捨てられた。
帰り道も分からず、小川で魚を取ったり、木の実を拾って飢えをしのいでいたが、冬になってそれもかなわなくなり、餓死寸前のところを偶然通りかかったとある傭兵団に拾われた。それから戦いの方法を仕込まれ、少年時代を戦に明け暮れて過ごした。
二十歳の時に戦場で命を助けたのをきっかけに、永代騎士の家系であるピークマン家に養子に迎えられた。それから二十五歳で第三王子の護衛役に任命されてはや十年。もしかしたら男爵位をもらって貴族の仲間入りもできるかと期待したのだが、所詮は甘い夢だったようだ。
おまけにピークマン家からは養子縁組を切られた。養父からは辺境へ飛ばされるような男などピークマン家の恥、と罵倒された。十年以上も連れ添った妻にもあっさりと見捨てられた。子供はいなかったので、新たに婿か養子を迎えるのだろう。
騎士爵はエクス個人にも与えられていたので、まだ身分は騎士のままだが領地はなく、わずかながらの俸給だけである。喪失感は免れなかった。
このまま辺境に向かったところで、先は知れている。かといって任務を放棄すれば、反逆である。いっそ騎士身分を捨てて傭兵に戻ろうにも三十五歳となれば、いささか厳しい。傭兵時代の知り合いを頼ろうにも、ほとんどが引退したか冥界行きだ。
ごとり、と石に乗り上げて馬車が大きく揺れる。自腹で購入した幌馬車は商人が使っていたものの払い下げで、あちこち傷んでいる。馬車を引く馬も人間で言えば老人という年である。
「おめ、へったくそな腕前だなあ、おい。聖女様ぁ腰抜かすぞ、おい」
後ろから罵声を浴びせたのはドロシーを二回りほど小柄にしたような老婆だ。ドロシーの体格では身の回りにも色々手間がかかる。かといって男のエクスがするわけにもいかないので、自腹で雇い入れたのだ。真っ白な髪にしわだらけの顔の真ん中に大きな鼻がまるで岩礁のようにそびえている。腰も曲がっており、時折足が痛むからと杖を突いて歩く。
「馬車引くときゃもっと腰入れて脇締めてやるもんだ。気ぃ抜くでねえぞ、ぼけが」
本当ならもっと若くて気立てのいい娘が良かったのだが、薄給で辺境への旅路に付き合う物好きはこの婆様しかいなかったのだ。
若い頃から聖女様信者だったらしく、ドロシーの世話もかいがいしい。反面、雇い主であるはずのエクスにはとにかく口が悪い。鼻をほじりながら返答した時には殴ってやろうかと思ったくらいだ。魔女のような面構えのくせに、クリスティーナという名前にも理不尽とは知りつつ腹が立つ。
とはいえ、話し相手がいるのはありがたい。聖女様ときたら鷹揚な気質であらせられるため、会話が成り立たないのだ。気の短いメレディス王子なら尚更だろう。
お読みいただき有り難うございました。
次回は20時頃に更新の予定です。




