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だろうな、とエクスはほっとする。あれだけ理不尽な真似をして置いて、承諾するはずがない。当然の結果だ。
「な、何故だ?」
なのに、この馬鹿王子は全く分かっていない。いや、まだ気づいていないのだ。目の前の女性が何者なのか。
「恐れながら殿下」
この茶番を終わらせるべく、エクスは前に進み出る。
「この方は我が国の聖女にして、あなた様の元・婚約者であらせられたドロシー・エーメス様です」
「ほは?」
間の抜けた王子が、間の抜けた声を出す。
「たわけ、そんなはずがなかろう」
メレディスは一笑に付した。
「あの能無しで、みにくい女がこの女神と同じ筈がない」
国王陛下も気づいていなかったのか、皺に埋もれた目を丸くする。
「そ、そうだ。ドロシーといえば、その……」
「旅をする間に今のお姿になられたのです」
嘘は言っていない。『アプデの泉』について話すと長くなるので、ここでは伏せておく。
「お久しぶりです、陛下」
まだ半信半疑な様子の国王陛下に向かってドロシーが淑女の礼をする。
「それから殿下」
続いてメレディスの方に向き直る。
「半年前、王宮を去る折りには『新聖女も決まりそなたも不要。辺境の蛮族相手が似つかわしい。せいぜい魔物のエサにならぬようにな。いっそ腹の肉を幾分かでも食われれば少しはマシな姿に見られるのではないか』とのお言葉をいただきましたこと、今もこの胸に刻んでおります」
そんなふざけたことを言っていたのか。つい視線も鋭くなる。
「そうであったかな」
そっぽを向きながら言う。とぼけるというずるい手に出たようだ。
「幼少の頃より、ことあるごとにやれ『無能』だの『みにくい』とのお言葉をいただきましたこと、決して忘れようにも忘れられません。特に私が十五歳の頃、先程のヴィストリア姫ととともに石を投げつけましたこと、昨日のことのように覚えております。あの時額に当たった石は大変痛うございました」
「はは、何を言っているのだ」
メレディスはとぼけた振りをして笑っているが、額からは汗が次から次へとにじみ出ている。
「殿下より戴いたもので一番嬉しかったのは、婚約破棄のお言葉でした。あなたのような方と添い遂げるなど、到底私には勤まりません。ですので、謹んで辞退いたします」
「……本当に、あのドロシーなのか」
「はい」
「そうか。私が悪かった」
素直に頭を下げる。
「確かにあの頃の私は、無知で浅はかだった。お前を見た目だけで罵り、お前のことなど何も知ろうとはしなかった。ここに詫びよう」
おや、とエクスは首をひねる。高慢なメレディスが謝罪するなど珍しい。少しは反省したのだろうか。
「だがもういいのだ」
と、再びドロシーの手を握る。
「お前が私の為に苦労して今の姿と力を手に入れたこと、嬉しく思うぞ。その気持ち、確かに受け取った。改めてここにお前と婚約を……」
「ご冗談を」
ドロシーは鼻で笑って手を振り解いた。エクスも同感だ。やはりこの男、何もわかっていなかった。現実を自分に都合よく解釈しただけだ。
「まず第一に、私はあなたのために今の姿になったわけではございません。どうか誤解なさらないように。それに、先程も申し上げた通り、あなたともう一度、婚約を結ぶなど金輪際断じてこれっぽっちもあり得ません」
「貴様、せっかく私がお前の苦労に報いてやろうと」
メレディスが激昂しながら剣を抜き放つ。本性を現したか、とエクスは背後から剣を奪い取り、腕の関節を極めて取り押さえる。まだ水気を含んだ地面に押しつけられ、メレディスの顔が泥だらけになる。
「は、離せ! 貴様、私の騎士であろう!」
「半年前まではそうでした」
今は聖女の……いや、ドロシーの騎士だ。
「最後にもう一つだけ、お伝えしたいことがございます」
ドロシーはそう言いながら組み伏せられたメレディスに顔を近づける。
「あなたが子供の頃から『無能』と呼ばれたのは、私のせいではございません。元々あなたが『無能』だっただけです」
メレディスの顔から表情が消える。目を見開き、口を開け、意味が理解出来ないというより、理解を拒否しているように見えた。
「違う、そんなはずはない!」
やがてだだっこのように首を振る。顔を押しつけられたまま動いたせいで余計に泥が顔にへばりつくのだが気にした風ではなかった。
「私は無能なんかじゃない。やれば出来ると母上は言っていた! 私は無能でものろまでもない! 違う! 違うんだ! ちがっ……」
メレディスは号泣した。恥も外聞もなく喚き、泣きすぎてしゃくり上げている。
エクスはため息をついて解放した。入れ替わりに、国王直属の近衛騎士がメレディスを拘束し、連れて行った。『新結界』絡みの反乱に直接関わったわけではないから死罪ではないだろう。辺境警備など遠方への派遣か、王家からの追放か。いずれにせよ、もう王太子の目はないだろう。
「聖女ドロシー」
国王陛下がせき払いをして強引に会話を切り替えようとする。一応、本人だと認めたようだ。
「此度の活躍、見事であった。そなたには是非褒美を取らせたいのだが、何か希望はあるかな」
「その件でしたら……」
と、一呼吸置いてから言った。
「領地をいただけませんか」
予想外の申し出に、エクスは違和感を拭えなかった。貴族であれば恩賞に領地を求めるのは当然であろう。だがドロシーがその手の支配欲を見せたことなど、エクスの知る限りなかった。
何か心境の変化でもあったのだろうか。仮にもらったとしてもドロシーに領地経営の知識も経験もないはずだ。どうやって治めるつもりなのか。
「おお、そうか」
国王陛下がほっとした顔を見せた。これだけの功績、領地で済めば安いものだろう。
「ちょうど東のアイヴェム地方が空いているのでな。それをそなたに与えよう。それだけではないぞ。これを機にそなたを爵位を与えようと思う。伯爵……いや、侯爵ではどうかな」
アイヴェムといえばロングホーン侯爵家の領地である。麦とブドウが主な生産品だが、王都へ続く交通の要所もあり、人口も多い。欲しがる貴族は山ほどいるはずだが、それを丸々褒美にするつもりのようだ。爵位まで与えるあたり、なりふり構わずドロシーを取り込もうという腹なのだろう。あれだけの魔術が使える人材を他国に流出させるバカなど、陛下の息子くらいだ。
「ありがとうございます、陛下。謹んでお受けいたします」
自分の希望が叶ったというのに、ドロシーの表情は晴れるどころか、憂いすら感じられる。
「この際だ。ほかに希望があれば申してみよ。たとえば……そうだな。誰ぞ好いた男はおらぬのか。そなたさえ良ければ、その者と娶せよう。どうだ、遠慮なく申すがいい。多少の障害など、どうとでもな……」
最後まで言い終わる前に国王陛下は言葉を詰まらせた。顔が死人のように青ざめている。
国王陛下にしてみれば、結婚話を持ち出したのはメレディスという失点を取り返すつもりだったのだろう。身分はもちろん、仮にその男に恋人や妻がいても、王命で別れさせればいい。決して悪意はない、はずだった。
「いいえ、陛下」
ドロシーは顔色一つ変えずに言った。ほんの一瞬、呼吸すら困難なほどの魔力を全身から放った事もなかったかのように。
「私にそのような方はおりません。どうか、お気遣いなきよう」
「そ、そうであったか。うむ、余が悪かった」
国王陛下はまたもほっとした顔を見せた。先程とは違い、命拾いしたという意味で。
「では、私はこれで失礼いたします。詳しい話はいずれまた」
ドロシーはふわりと舞い上がると、矢のように空へと飛び去っていった。
その姿を見ながらエクスはあっと気づいた。
「置いていかれた……」




