特権管理者アカウント
城壁を降りると、そこに陛下が供を連れ、急いた様子でやって来た。
「騎士エクス・ピークマン。その娘は一体何者なのだ?」
もうピークマンではないのだが、と心の中で苦笑する。国王陛下が一騎士の事情など知らないのもムリはない。むしろ名前を覚えてくれているだけでも光栄と言うべきだろう。訂正することも出来ず、臣下の礼を取る。
「この方は……」
「そこの娘!」
エクスが説明しようとした時、偉ぶった声が会話に割り込んできた。国王との会話に割り込む無礼者など、この国では一人しかない。
「魔物を倒したのはそなただそうだな。見事であった。ほめてつかわす」
案の定、しゃしゃり出てきたのはメレディス第三王子だ。
「おお、なんと美しい! まるで女神のようではないか」
ぎゅっとドロシーの手を握る。その目は愛欲と劣情に燃えさかり、かつての婚約者だと気づいた風ではなかった。
「そなたを私の妻にしてやろう」
あのような事があった以上、ヴィストリアとの婚約も破棄だろう。とはいえ、あれほど仲睦まじかった女を捨ててあっさりと乗り換えるものだ、とエクスの中でまた評価が下がる。
「身分なら心配はいらぬ。私は寛大な男だ。そなたが平民であろうと全く気にはせぬ」
自分から言い出すあたり、器の小ささがよく出ている。やはり最低の男だ。こんな男がドロシーの慕う人であるわけがない。
「離しなさい、私を誰だと思っているの!」
振り返ると、両腕を鉄の輪で拘束されたヴィストリア姫が騎士たちに連行されているところだった。その後ろにはやはり拘束された魔術師や賢者が続いている。
エクスは隠れて聞いていたが、彼女は反乱を自白したようなものだ。既にロングホーン侯爵のところにも捕縛の兵が向かっているはずだ。おそらくロングホーン侯爵家ともども身分を剥奪された上に死罪となるだろう。哀れとは思わない。欠陥だらけの『新結界』を推し進め、大勢の民を危険にさらしたのだ。
近隣では評判の美姫も今は慎みもたしなみも忘れ、狂犬のように喚き散らしている。
「後悔するわよ。不完全とはいえ『新結界』はまだ機能している。このまま放置すれば完全に消滅するわ。そうなったらまた魔物どもが王都に攻め入ってくるわ。それでもいいのかしら? 私なら『新結界』をより完全なものにできるのよ」
『新結界』を盾に脅迫している。懲りない女だ、とエクスはその図太さに呆れ果てる。
「それとも、そこの聖女様が何とかして下さるのかしら?」
ドロシーを睨め付けながらにやりと笑ってみせる。彼女の正体に気づいたのではなく、皮肉のつもりのようだ。
「それなら問題ありませんよ」
ドロシーはにっこりと笑うと、ヴィストリアに近付き、額をつん、とつついた。
「な、何のつもり? 無礼な」
うろたえながらも抗議する。ドロシーは返事をしなかった。首を傾げながら腕を組んでいたが、やがて納得したようにうなずくと指を鳴らす。すると、ヴィストリアの体が発光する。放たれた光は、柱となって天に届いたかと思うと、薄桃色の障壁となって空を覆い尽くしていく。
ヴィストリア自身、光る我が身が信じられないのか、目を白黒している。
「『新結界』の管理権限を私に移しました」
ドロシーはさらりと言った。
「『新結界』の欠陥も修正しておきましたので、当面の間は大丈夫だと思いますよ」
「まさか……『新結界』を乗っ取ったというの?」
ヴィストリアの顔が驚愕に染まる。
「魔力補充に関しては濾過機能を付けましたので、外から澱が入り込むこともありません。不足分を魔力の多い方が定期的に補充してあげれば何人かいれば維持出来るでしょう。補給時に波長の調整機能も付けましたので、前の『結界』のように、特別な魔力波長も不要です。あとは澱に関してですが……」
そこでちらりとヴィストリアを見る。
「新しい聖女様が全てその身に受け止めて下さるそうです」
「……どういうこと?」
「おそれながら申し上げます」
エクスは残酷な事実を告げる役を横から引き取った。無礼とは承知の上だが、本人の口から言わせたくはない。
「聖女ドロシー様を覚えておいででしょう。あの方があのようなお姿になられたのは、その御身に澱……魔物を退けた際に発生する毒を貯め込んでおられたからです。その役割を今後は新聖女であらせられるヴィストリア姫が担うと。……まあ、そういうことです」
何を言いたいのか、飲み込めたらしい。ヴィストリアは野良猫のような甲高い悲鳴を上げて身悶えする。
「イヤ、イヤよ! あんな姿になるなんて、死んだ方がマシよ!」
「ちなみに自害はできません。『新結界』の修復機能はあなたにも働きますので。良かったですね、大好きな『新結界』の一部になれたんですから」
ドロシーはあっけらかんと恐ろしい事実を付け加える。
「ねえ、助けて! メレディス様!」
絶望的な表情で今度はメレディスに命乞いをする。
「愛しているわ。私が馬鹿だった。もう一度やり直しましょう。ねえ、だから……」
「消えろ!」
メレディスは嫌悪感をあらわにして言い放つ。
「貴様のような反逆者などただ首を刎ねるだけでは生温い。一族もろとも、民の前で鞭打ちにしてくれる。私の目が黒いうちは反逆の可能性などないと知れ!」
まるで以前から侯爵家の反乱に気づいていたかのような口振りだ。
「助けて、助けて、メレディス様!」
ヴィストリアは泣き喚きながら連行されていった。
哀れとはエクスには思えなかった。国家反逆を企てたのだ。自業自得である。
「それで、先程の話は本当ですか? その、自害も出来ないと……」
「ちょっと大げさに言い過ぎましたね」
ドロシーは首を傾げながら考え込む仕草をする。
「修復機能が働くのは本当ですが、さすがに五体がバラバラになれば助からないと思いますよ。あと、澱が溜まれば、体が変わるより命が尽きる方が先でしょうね」
「その場合、澱はどうなるのですか?」
「『新結界』には内部の浄化機能も付いていますから、定期的に消してあげれば問題はないかと」
城の陰からヴィストリアの悲痛な叫び声が木霊する。
そんな声など聞こえないかのように、メレディスはドロシーに向き直る。
「そなたと私がいれば、この国は安泰だ。いや、いずれはミレニアム皇国すら併呑できるだろう」
誇大妄想もここまで来ると、狂気であり凶器だろう。いくらドロシーでも一国相手に戦い続けるのは困難だ。戦争となればそれこそ多くの民が死ぬ。
「私には妻も婚約者もいない。私の妻となって支えてはくれないか。いや、私とともに生きて欲しい」
おんぶに抱っこの間違いだろう。身勝手なプロポーズだが、顔だけはいいので、端から見れば情熱的な求愛とも取れる、はずだ。
どうするのか、と胸の鼓動を早めながらドロシーを見ると、彼女はにっこりと笑った。
「お断りです」