第9話 新米捜査官は、領主を助ける!
「確か、……あった!!」
僕は、部屋に飛び込んで荷物を放り出す。
そして、奥にしまってあったカバンを取り出した。
「これで、……。よし、ガスを軽く吸っただけなら、これで助けられる!」
僕は、足が縺れながらも全速力で食堂へ帰った。
「タ、タケや。お父様がぁ」
リーヤが泣きそうな顔で僕を見た。
「大丈夫、まだ間に合う」
僕はカバンから、小さな真っ黒に着色されたボンベを取り出した。
「リーヤさん。お父様の顔の周りに風の壁を作って!」
「う、うん!」
僕は薄い風の壁が作られたザハールの顔に黒いボンベの口を近づけた。
そしてゆっくりとバルブを開放する。
「酸素」と漢字で書かれたボンベから、ゆっくりと純粋酸素が放出されて、それはザハールへと吸い込まれてゆく。
……溶接用アセチレンバーナー用に使う酸素のミニボンベがあって助かったぁ。
「タケや、これは一体?」
泣きそうになって不安でいっぱいのリーヤ。
僕は安心させる為にさっきまでの荒い言葉ではなく、優しく話す。
「もう大丈夫ですよ、リーヤさん。間一髪だったとは思いますが、ザハール様はもう大丈夫。このまま酸素を吸っていたら助かりますよ」
さっきまで激しく荒れていたザハールの呼吸が安定してくる。
酷く赤かった顔も徐々に色が引いてきている。
処置が間に合った証拠だ。
「ふぅぅ、良かったぁ。なんとかなったよぉぉ!」
僕は、安心で腰が抜けそうになる。
「タケや、一体これは何があったのじゃ? 此方やお母様は、何がなにやら分からんのじゃ!」
心配そうに、床に倒れ伏すザハールの様子を眺める母子に、僕は共通語で説明をする。
「まだ確定ではありませんが、これはザハール様、もしくはここにいる全員を狙った毒です」
「なんじゃとぉぉ!」
◆ ◇ ◆ ◇
「もうお父様は大丈夫かや?」
「はい、今回の毒は即効性が高いのですが、その分最初を乗り切れば助かります。酸素欠乏症を起こす前に無事酸素吸入が間に合いましたから、後は時間がたてばザハール様の意識も戻るかと思いますよ」
泣き腫らしていた顔のリーヤ。
せっかく親子が仲直りできた直後に起こった悲劇。
おそらく僕が居なければ、死は免れていなかったはず。
今、ザハールにはお母様と数人が付き添い、顔に僕の手持ちの器具で作った酸素マスクを当てている。
おそらく、もうすぐ酸素吸入の必要もなくなるだろう。
……ホント、僕が気が付いて良かったよ。リーヤさんには僕と同じ目、父親を目の前で亡くすのにはあって欲しくないものね。
「そうか、そうなのか。タケ、どうもありがとうなのじゃ。どうタケに感謝したら良いのか、此方には分からぬ。お父様に何かあったらかと思うと、此方の心は千切れてしまいそうなのじゃ。それをタケは救ってくれたのじゃ。感謝しても仕切れぬのじゃぁ!」
リーヤは僕に飛びつき、全力で僕を抱きしめてくれる。
「ありがとう、ありがとうなのじゃぁぁぁ!」
そして泣き出すリーヤ。
……すいません、ザハール様。早速リーヤさんを泣かせてしまいました。でも良いですよね、貴方様のお命を救った感謝の涙なのですから。
「すまぬ。淑女としては見せられぬ姿を晒したのじゃ」
しばらくして、恥ずかしそうな顔をして僕から離れたリーヤ。
「いえいえです。僕としても目の前で誰かに、それもリーヤさんのお父様に死なれては一生後悔しますから。どうして助けられなかったのかって。出来る力がありながらもそれを使えなければ、力がないのと同じですからね」
僕は、照れ隠しに苦笑いで答える。
「何にしても、タケのおかげじゃ。で、あれは一体何の毒なのじゃ。タケには分かっていたのじゃろ。さもなければ、ああも早く行動は出来ないのじゃ!」
もういつもの調子に戻ったリーヤ、眼元が腫れぼったくなっているが、刑事の顔をしだした。
「まだ、確定検査はしていないので、僕の仮説で良ければ説明します。あ、カップは全部そのままにしていますよね」
「うむ、片付けるどころでは無かったので、そのまま放置しておるのじゃ!」
「なら、そのままにして置いてください。カップの内容物とカップに触れた人の指紋を取ります。後で、この屋敷内全員の指紋とDNA採取をしますね」
「了解なのじゃ!」
リーヤは使用人達へ僕の指示を伝えた。
「で、何なのじゃ?」
「毒物ですがおそらく青酸、シアン化合物です」
シアン。
それは猛毒、犯罪ドラマとかでお馴染みの毒物だ。
急性毒性が高く、致死量を摂取していたら余程対処が早くない限り解毒が間に合わない。
「それは一体どういう毒じゃ? 此方が知る毒は銀食器を曇らせるモノが多いのじゃが、今回は綺麗なままじゃぞ」
「シアンは銀を腐らせるのでは無く、溶かしてしまうんです。多分、ザハール様の使った銀スプーンはピカピカになっていると思いますよ。シアンは体の中で酸素を運ぶ作用をジャマ、つまり息を出来なくさせて酸素不足にさせて殺す毒です」
シアンは金属を溶かす。
古代より金や銀のメッキには、金属を溶かす水銀やシアンを用いる。
金が溶けた溶液を別の金属に掛け、水銀やシアンを取り除けば溶けていた金が残る。
因みに銀が黒く曇るのは硫化物と反応するから。
毒としてよく使われるヒ素と銀は本来反応しない。
不純物として含まれがちな硫黄分と反応するのだ。
「じゃが、なんで其方はそのシアンが毒じゃと気が付いたのかや?」
「それは匂いなんです。リーヤさんは気が付きませんでしたか? 茶からいつもとは違う甘い匂いがしたのを」
リーヤはしばらく考えて、ふと気が付いた。
「そういえば、どこかで嗅いだ甘い匂いだったのじゃ。あれはどこじゃったのか?」
「そうですね。では、賢いリーリヤ様にヒントです。ここに帰るちょっと前に僕が買ってあげましたスイーツです」
「なに、スイーツとな。うみゅみゅ……、あ! 杏仁豆腐の匂いじゃぁぁ!」
「はい、正解です」
杏仁、それは杏の種の中にある仁を取り出したもの。
バラ科植物の仁は古くから食用・薬用に用いられており、アーモンドもそうだ。
この仁、未熟なものには果実にも、とある成分が多く含まれる。
それはアミグダリンという青酸化合物だ。
酸などで加水分解をすればシアン化水素を発生させ、それは即死性の猛毒となる。
通常、未熟な青梅にもアミグダリンが含まれるが、致死量となるには数百個分を食べなくてはならない。
「杏仁には微量のシアン化合物が含まれていますが、普通に食べる分には致死量には遠いです。しかし、それを人為的に濃縮して集めていたら話は変わります」
「つまり、賊はお父様か、この家の者全員を狙って毒を混入したという訳なのじゃな?」
「ええ、そういう事です。ただのシアン化合物ですと強アルカリ、つまり渋いので飲めたものではありませんが、アミグダリンは糖とシアンがくっついているので味はほんのりと甘いと聞きます」
よく、推理ドラマでドアノブにシアン化カリウム溶液を塗りつけて毒殺と言っているけど、それは無理な話だ。
空気中の二酸化炭素と反応する事で、シアンはどんどん分解されて無毒化される。
また強アルカリだから酷い味をしているので、無意識にシアンを舐めた瞬間に気が付いて致死量の摂取は難しい。
「そこまでは分かったのじゃ。では、何故飲みもせぬで、お父様は倒れたのじゃ?」
「それはザハール様が柑橘の汁を茶に入れる習慣があったからです。でも、そのおかげで助かったとも言えますね」




