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私の世界  作者: 光太朗
8/9

たったひとつの 2

 だいじょうぶ。

 心配しないで。

 私はいる、ここにいる。

 だからだいじょうぶ。

 ね、泣かないで。

 泣かないで。


 何かあたたかいものが、リィナを満たしていた。どんなときでも、リィナを癒してくれる優しい光。生きていく糧をくれる、大切な光。

 立ち止まるわけにはいかない。

 気づいてはいけない。

 歩き続けなければ。

「あら、気づいたわね」

 見下ろしていたのは、赤い髪の少女だった。莉啓の主だという、悠良という名の高貴な少女。何が起こったのか、どういう状況なのか判断がつかず、リィナは眉根を寄せる。まだはっきりとしない視界に入る景色に、安堵した。自分の部屋だ。いつの間に寝てしまったのか、どうして悠良が見守っているのか。

 手を持ち上げようとして、気づく。悠良がリィナの手を握っていた。

「……なに?」

 不快そうに目を細める。悠良は特に表情を変えず、手を離した。

「そうね、そろそろ安定してきたみたいだから、離してもいいわ。あなた、どうして自分がこうして寝ているのか、わかる? 思い出してみなさい、順番に、ひとつずつ」

「…………」

 リィナは答えられなかった。それでも、悠良が回答を口にする様子はなかったので、そのまま考える。彼女はさっさと手を離し、リィナからはもう興味をなくしたとでもいうように、視線をはずしてしまっていた。

 順番に、ひとつずつ……──自室の天井を眺めながら、いわれたとおりに、リィナは記憶をさかのぼった。

 外に、出たはずだった。濃い闇の中、仕事のために。それともあれは夢だったのだろうか。だれかに会ったような気がする。けれど、気のせいかもしれない。

 空はもう明るい。窓の外が白いという事実に、漠然とした不安を覚えた。どっちが現実?

「失礼」

 ノックの音に、びくりとした。数秒の間の後、扉が開かれる。

 莉啓が銀のトレイを手に、部屋に入ってくる。目覚めたリィナをちらりと見るものの、そこに感情は生まれなかった。淡々と、ベッド脇のテーブルにカップを並べる。二つ。両方にホットミルクを注いだ。

 リィナは、あたりまえのように無言でカップを手にする悠良と、無表情で隣に控える莉啓に、小さな違和感を覚えた。もう一人、足りない気がする。そうだ、最初に会ったときには、三人だったはずだ。

「呪われていると」

 莉啓が口を開いた。リィナは現実に引き戻されたような思いで、数度まばたきをした。聞こえた声に、身体を起こす。もう眠くはないのだ。身体が重いが、そんな状況ではない。

「……いっていましたね、リィナさん。それは、なぜ?」

 莉啓はまっすぐに、リィナを見ていた。

 リィナは全身の細胞が萎縮するのを感じた。まるで、すべてを見透かされているようだ。

 いつのまにか、悠良もリィナを見ている。

 とっさに、リィナは答えた。

「冗談よ。呪われてなんて、いないわ」

 すべるように、言葉が出る。莉啓も悠良も、表情を変える気配はない。

「あなたと親密だった男性が、ひとりは亡くなり、もうひとりは襲われた……彼が死ななかったのは、翠華が動いたからだけど、そうでなかったら死んでいたわ。あなたの愛した人が、他にもたくさん、大変な目に遭ってるわね。いったい何人の方が亡くなったのかしら」

「愛した人?」

 その一言がひどく癪に障り、リィナは鼻を鳴らした。愛した人、などと、笑いを通り越して、ただただ不快だ。

「バカいわないでよ。あたしが誰を愛したっていうの。愛してなんていないわ、仕事の相手でしょう」

「そう、だからこそ、彼らは襲われた」

 淡々と、莉啓が告げる。

 リィナは目を見開いた。

 彼女自身、何かに気づこうとしていた。けれどそれは、決して気づいてはいけないことだ。思い当たってはいけないことだ。

「……襲った犯人に、心当たりは?」

「あたしがやったのよ、せんぶ!」

 とっさに答えた。

 考えるよりも早く、言葉が出ていた。

 もし、知らないなどといったら。自分はやっていないといったら。

 思考が追いつかない。それでも、避けなければならない。危険からはできるだけ遠ざからなければ。やったのは自分だ、自分がやった、あいつを襲った、あの男を殺した、あいつらの命を奪った──

 それでいい。

 それでいいはずだ。

 間違ってなどいない。

「そう、ならあなたは犯罪者ね。いまからでも出頭なさい」

 世間話のようにさらりと、悠良がいう。

 リィナは目眩がした。

 それではいけない。自分は選択を誤ったのだろうか。

 自分が罪人として裁かれたのでは、本末転倒だ。

 せめて、せめて、あと少し。

 ──身体の内部に、熱いものが生まれた。

 それは、憎しみに似た感情だった。

 じゃまだ。

 こいつらは、じゃまだ。

 いじめるんだ。

 こいつらは、イラナイ……!

「で、都合が悪くなったら、僕らみんな排除するって? それはどうかなあ。この四人相手じゃ、君が返り討ちだよ。ま、それでも僕はかまわないんだけどね」

「────っ?」

 いつの間にか、翡翠色の衣服に身を包んだ青年が、部屋の壁によりかかって、リィナを見ていた。手には、小さな笛。笛の音が蘇った。その笛の音を、リィナは知っていた。

「やってみる? いいけど、俺もがんばっちゃうよ」

 その隣には、長い棒を持った、怜という名の少年もいた。

 リィナの鼓動が、煩いほどに早くなっていく。このままではいけないと、危険を知らせる。

 けれど動けない。

 どうすればいいのか、わからない。

「ついでに、ロキアさん──ああ、警護団のおじさんね──から、伝言。この屋敷の所有権はある人物に移って、新しい持ち主があなたの滞在を許可しているので、出て行く必要はないですよ、とかなんとか、そういう趣旨」

 軽い口調で、怜が言葉を投げてくる。

 リィナは頭を抱え、彼の言葉を脳内で繰り返した。何度も何度も。意味を理解するには、気が遠くなるほどの反芻を要した。脳がうまく働かない。考えられない。

 屋敷の所有権が移った、ということは、だれかがこの屋敷を買ったということだ。

 いったい誰が。リィナにはまったく覚えがない。だれもリィナの元に交渉に来ていないし、第一、それに見合う金銭だって受け取った覚えがない。

「私が買ったのよ、リィナ=エヴァンスさん。エヴァンスの正式な後継からね」

 悠良の言葉。心が震えた。正式な後継……それが誰なのか、リィナは知っている。自分ではない。けれど、自分だ。だからここにいる。泥棒などではない。あの人の意志に従ったまでだ。間違ってなどいない。

「どうしてよ。ここはあたしの家よ。あたしとあの人の家よ。だれから買うっていうの、どうしてあたしの許可もなく、あんたがこの家を買ったなんて……!」

「あなたの家じゃないわ。まだわからないの」

 悠良の目が、まっすぐにリィナを射抜いた。彼女は怒っているようだった。

「エヴァンスさんの遺言は、こうよね──『エヴァンスの財産は、生まれゆく我が子に与える』……そうでしょう、リィナさん。でもそれは実現しなかった。宙に浮いたエヴァンスの財産は、とっくに親戚の皆さんの手に渡っていたわよ。あなた、不法滞在だったの。正真正銘のね」

 体内で、何かが揺れた。

 でもそれは実現しなかった──悠良の言葉が、脳裏で繰り返される。

 宙に浮いたエヴァンスの財産。

 実現しなかった遺言。

 生まれゆく我が子に。

 我が子に。

 我が子に。

「返して……」

 リィナは悠良の両肩をつかんだ。静かな怒りをたたえる悠良の瞳に、懇願した。

「返して、この家を返して。住むところがなかったら、この子はどうやって生きていくの。お金だって、もっともっと、たくさん必要なのに。生きていくには、お金がいるのに。家までなかったら、どうしようもないじゃない! 返して! この子の生きていく場所を、奪わないでよ!」

 しかし、悠良は答えなかった。

 その場にいる全員が、黙っていた。まるで静かに、リィナを促すかのように。

 リィナは首を振った。

 それは、気づいてはいけない。

 たったひとつの、大切な大切な願い。 

 どうか、元気に生まれて、幸せになって欲しいと。

 それだけだ。

 たった、それだけのことだ。


 それは、そんなに大それた願いだったのだろうか。


 






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