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彼女の日常


 あの驚愕な返答から、少しの間静寂に包まれた。外の世界なら何かしら鳥のさえずりなどの音があったのだが、ここは何もないから本当に静かだった。


「それで、この世界はどういう物なの?教えてくれる?」


口火を切ったのは、やはり彼女だった。


「それよりも、君のことについて教えてよ」

「嫌だよ。なんで言わなきゃいけないの?」

彼女は守備が固くて、あまり自分のことを話そうとしなかった。


「君のことを教えてくれたら、この世界についてもっと詳しく説明できると思うんだけど」

俺はそう言いながら、彼女の前まで移動した。コツ、コツ、と一歩ごとに床が響く。ゆっくりと視線を合わせながらあぐらをかいた。


「.......ん。それなら、言ってあげるわ」

彼女は少し俺の行動に引いたか、更に身を縮めた。でも、こんなちんけな言葉で釣られるあたり、幼い女の子らしいと感じてしまった。


「私は、生まれた頃からここにいるの」


想定はしていたから、無表情を貫けるはずだった。結果は胸の鼓動が速くなったのだけど。淡々と、平坦に喋るのがまるでこの世の人じゃないようだ。


「じゃあ、親とかはどこに行ったの?」

「親?親なんてものはないよ。『親』って何?」

サラリと、簡単に言うところに後ずさりしそうになった。


 しかも、予想の出来ない範囲からの攻撃で。

「じ、じゃあ、君はなんで産まれたの?」

「しらないよ。私はここに突然現れた、そう学んだの。逆に『親』って何?親ってものは私にはないわ」


『私にはない』なんて、当たり前に言う。そんなあたり、彼女の存在は唯一無二なのかもしれない。そして、彼女を命がけで産んだ親は今どうしているのだろう。彼女は辛い目にあっていることすら、気がついていないのに。


「速く。『親』って何」


 天井を見ながらじっと考えた後、包むような笑顔を見せて俺は言い切った。


「親っていうのは、産まれたときからずっと両想いな人のことだよ」


今の俺の全力を、彼女に注いだ。このフレーズが、彼女の心に響いてくれたら嬉しかった。

「......あら、そう。受け取っておくわ」

期待とは裏腹に、この子は右から左へと丁寧に、そして綺麗さっぱりと流していた。

 挙句には馬鹿を見るような目でこちらを見てきた。まぁ、年頃でもあるし仕方がない、と逃げ道を作って自分を慰める。


 少し静かになった後、俺の右側を指差しながら、あの子は教えてくれた。


「食事はいつもこの壁のそこ辺りが勝手に開いて食べ物と箸が出てくるわ。食べ終わって少し経ったらまたそこの壁が開いて、食器を返すことになってる......と思う」

俺はそれを聞いて、その壁を触ってみた。熱を持っていないのか、氷のように冷たい。触っていると疲れが飛んでいくような、そんな感じだった。

「少しくぼんでるでしょ?そういうことなの」

それを聞いて手を上下左右に動かしてみる。確かに少しだけだがくぼんでいた。


 心が俺に知らせるようにして躍る。『ここなら出れる』と。


「無理だよ。そこから出ようとするのは」

俺の下らない心境を見透かしていた彼女の提言で、俺の希望はただの希望で終わった。


「そして、今あなたのもう一つの疑問を当ててみるわ。なんで私がこの言葉を喋れるか、でしょう?」

「ま、まぁそうだね。なんで喋れるの?」

「そこの机を見たら、本が沢山積んであるでしょ?それはこの言葉についてしっかりと書かれてあったわ。私向けでよく助けてもらったわ。それと、机の中にあるよく分からない物で学んだわ」


 俺は机の中を探す。だが、引き出しを全て開けてもそれらしき物は無かった。あるのは散髪用のハサミくらいで、コレが勉強道具だなんてとてもありえなかった。

「なぁ、この引き出しにはハサミしかないよ?どこにあるの?」

「そこの長細い引き出しをもっかいよく見てよ」

「あぁ、分かったよ」


パシリにされてるな、なんて薄々思いつつ俺は勉強道具を探す。

 引き出しを勢いよく開けて、その中を覗く。


「あ、あった! これ?」


俺は実際にあったその音楽プレーヤーを目の前に持ってきた。

「うん。そうだよ。にしても、なんでこんなに時間がかかるのかな」

彼女はそうやって愚痴を吐いたけど、目はしっかりと笑っていた。初めて微笑んだその彼女は、学校生活を謳歌してそうな女の子そのもののようだった。

「う、うるさいなぁ」

普段モテない俺でも、ここは笑い返す場面だというのは分かった。


 幼い女の子に笑われるのは屈辱だったが、これで心が開いてくれるのならオールオッケーだ。


「こんなものよく使ってるね。凄いよ」


俺がそう言うと、彼女は顔を完全に出して、どうだ、と言いたげな自慢そうな表情をした。意外にもあっけなく打ち解けるんだな、なんて思うことができて嬉しい。

「こんな物の使い方も分からないの?なら、教えてあげるよ」

使い方は分かっていたけど、ここはあえて言わない方が良いんだろうな。うん。


 彼女はすくりと立ち上がって俺の方に向かって歩いてきた。話し方の通りなのか、顔は六歳にしては子供らしさがあまりなくて、大人っぽさがあった。


 俺は膝を折り曲げて、あえて機械音痴の真似をしてみた。これくらいなら子供は騙せるはずだと思って。

「なんか丸の中に丸があるね。どう使うんだろう?」

そう言いながら機械の裏を見る俺が少し馬鹿馬鹿しくも思えた。


 そんなことを考えているとは露知らず、彼女は俺を見下ろす形で機械を触る。

 演劇部ってこういう時に役立つんだな、とようやく気がつくことができた。


 ......帰ったら無所属の後輩に勧めよう。

「貸して。こう使うんだよ」

彼女は初めて教えることを体験しただろう。笑顔で、でも頑張って不満げな表情を作っていた。慣れた手つきで電源を付けて、再生する。

 画面上に一文字『あ』が表示され、そのすぐあとに音楽プレーヤーからあ、と音声が流れた。


「これでこの言葉を学んだの?」

「うん」

「こんなんでよく言葉を学べるね」

「ま、まぁあの本たちで意味とかは分かったからね」

「これは俺よりも勉強してるかもね」

少しボケてみると、彼女は俺の思惑通りに笑ってくれた。


 彼女は笑っていることに気がついたのか、すぐに表情を引き締めた。惜しかったなぁ。


「私よりも勉強してないなんて、相当だよ」

なんとか作ったその舐めた目つきで俺を見る。ツンデレっぽい感じがして、変に俺は活力が出た。


 あと少しでロリコンになりそうなほどに。

「それはダメだな。俺の馬鹿さがバレてしまう」

今度は意識したのか、彼女は少し口角が上がるだけだった。俺の心の内は、勝負で負けた時に似た感触だった。

「ま、まぁこんな感じで生活してたの」

彼女は早口でまとめ上げた。

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