摩天楼の中の輝き
重く冷たい巨人の掌のような門を超えた先に見えた景色は見たことの無い摩天楼だった。
都会、という概念を誰かから聞いたことは何度もあったけれども実際にこの目で見たのは初めてでシャングリラを宇宙ギリギリから見た時の感覚を思い出した。
僕にはまだ知らない世界が多すぎる。
「ひぇあすっげえ!ラ・パルテの市場たぁ比べ物にならねぇ!ひぇゃぁ!」
いつからデッキに居たんだろうウィル。彼は明星号に乗ってから専ら掃除やら荷物運びやら雑用係となっていて、最初こそはスパイじゃないかとか盗みでもするんじゃないかと警戒されていたがあまりの潔白さにもはや艦内の空気と化していた。掃除ばっかりしてるからなんか久々に見かけたぞ。
「そりゃそうさ。東部の経済発展は凄まじい。NCよりもPDの方が通貨としての価値が高くなるだなんて言う奴も居るくらいだ。」
「もうすぐ港に入ります。七番港…でしたっけ?」
「ああそうだ。俺は降りたらまずビームスに会わないといけないからみんなは手続きが住んだら街を歩くやら買い物やらしてていいぞ。ここなら指名手配もされてないし自由に動けるからな!」
久々に羽根を伸ばせる艦長命令に各々は喜ぶ。思えばラ・パルテで買い出しに行って以来、あまりまともに艦の外に出ていない。買い出しで外に出ていた僕がそうなのだからレイ、ウィル、テネシー兄弟以外のみんなは余計にそうだろう。テラ教本部にいた時もどうもヒリついていて落ち着けなかったし、ここらで休憩といきたいところだ。
入国審査は案外スムーズに終わり、何日ぶりか数え忘れた大地に足を踏み入れる。東部の玄関にして経済では最大の都市『ヴァーミリオン』。綺麗に舗装された道路に等間隔で電磁車が走り抜けていく光景は圧巻だ。荒野のような風景が広がる西や、森に囲まれた北と異なって、"人が住み、人が統治する場所"という趣を感じる。東部に入った時点で衝撃を受けたが降りるとその衝撃は更に強まった。
「ねえ、シエル。」
「ん?イヴも降りるの?」
「うん。シエル、前に服選んでくれるって。」
「えっ?ああ!そうだね!それならリゼットさんかヘンリー姉さんでも…」
「リゼ姉ぇとヘン姉ぇはもうどっかに出掛けたよ〜!」
双子が駆け寄り残酷な事実を告げる。僕だけで女の子をコーディネート?無理無理無理。絶対に無理。スラム暮らしにコーディネートもクソも無いって。確実に二人のどちらかのセンスは必要だった。だからってここで「やっぱりまた今度で…」なんて言うのは漢シエルのプライドが許さない。なにより無表情ながらもキラキラした目で服を選ぶことを期待してくれている彼女を裏切れない。
「それじゃあ二人…アリシアとペンテアも来る?」
「行くー!」
「来るー!」
やっぱり二人っきりはちょっと心がしんどくて、藁をもすがる思いで幼女二人にすがることになった。
街は市場の街ともまた違った活気に溢れている。ガラス張りのお店が並び、上を見れば液晶の広告。スピーカーからはモハメッドさんが好きそうな音楽がかかる街。どこを見ても飽きない街並みは子どもの好奇心に火をつけるにはもってこいだったようで、幼女二人ははしゃぎ倒す。
「ねえ!すごい!なんでも売ってる!新しい銃売ってないかな!?」
「東部は銃刀法が厳しいから店頭じゃ売れないらしいよ。」
「ねえねえ!あそこってアダンが言ってた『かんらんしゃ』?じゃない!?行きたい!」
「今日はイヴお姉ちゃんの服買う日なんだぞ。」
「…ごめんね。なんか騒がしくなっちゃって。服買わないとね。」
「ううん。大丈夫。今すっごく楽しいから。」
そう言うイヴの顔は優しく、ほのかに微笑んでいた。ちょっとうるさくなっちゃったかなと気にしていたけれど本人にとってはこれくらいが楽しそうで僕は何より。案外イヴは子ども好きなのかもしれない。
激しく照らす太陽が暑くて、少し喉が乾いてきたので流行りらしい露店で色鮮やかなジュースを買う。アリシアとペンテアは大はしゃぎだ。僕も正直見たことないものにテンションが上がっている。子どもがいるからあんまりはしゃげないけど。
僕らが買ったジュースよりも少し落ち着いた色をしたジュースをイヴの為に買い、渡す時に気になった質問をぶつけた。
「イヴってさ。子ども好き?」
「…分からない。」
「昔、軍にいた頃子ども沢山殺してきたから。今は少しでも、優しくしたい。」
「…そっか。」
本人にとってはそれが贖罪のつもりなのだろう。だから子どもに優しいのかもしれない。でも僕はそうやって子どもに優しくできるってことはきっと子どもが好きだから出来ることなんじゃないかって思う。そう考えると、流れ石の面々はみんな結構、子ども好きだ。
「シエルは子どもが欲しいの?」
僕は飲みかけていた極彩色のジュースを道路に高速で噴射する。それを見た二人の幼女が指を差して爆笑する。
「なんて?」
「子どもが欲しいの?」
「もうやめて?」
「なんで?」
「なんでって、なんで?」
周りの視線が痛い。断じて不純なことはしてないっていうか手を繋いだ事すらありませんよ!?って大衆に熱く演説したい気分。イヴさん多分何も分かっていない。そこ、アリシア。「子どもってどうやって作るの?」とか聞かない。
「まあでも子どもは好きだからね!だけど、ナマイキなガキは嫌いだからなぁ〜?」
よーくアリシアとペンテアに言いつける。こればっかりは二人のせいってより不可抗力だが。
「あっ!服のお店!イヴにちょうど良さそう!入ってみよう!」
場がとても辛くなってきたので無理やりなテンションで三人をお店へと連れ出す。完全に勢いで入ったが僕も女の人の服屋に入るのなんて初めてなのでとても緊張する。入ってからなんというか事の重大さに気づく。
「イヴに似合いそうな服…ダメだ、センスが全く分からない…」
「シエル兄ちゃん〜!これこれ!これとかは〜?」
「ん?どれ?」
ペンテアが勢いよく駆け寄る。その手に握られていた桃色の物体は何ともちょっと恥ずかしくて自らの口からは名状しがたい、女性が福の下に下着として胸を抑える用途で使用する布であった。初めて見た。
「戻してきなさい!いや戻せ!」
「シエル兄ちゃん、イヴお姉ちゃんはブラジャー必要ないは流石に酷いと思うよ。そりゃヘン姉ぇとサイズは全然違うけどさぁ。」
「言ってないよアリシア!ああもうお店の人に迷惑だから反対のおもちゃ屋見てな!」
本当にこの二人は…
二人っきりが苦手だから連れて行ってしまったのが運の尽きだった。これなら僕が多少キョドっても二人で出掛けたほうが良かった気もする。
「ごめんねイヴ…なんか服探さないと。」
「あっ!この服なんかどうかな!」
とりあえず目に付いた可愛らしい服を手に取る。流行り物なのだろうか、マネキンが着ていて色違いがたくさんある。
「シエルがいいと思うなら…私は良いと思う。」
「うーん、でも本人が好きとかそういうやつの方がいいかなって…」
「人にあげるものは自分の気持ちが大事。だから、シエルが決めていいの。」
「って言われても…」
そう言ってくれることは凄く嬉しい。けれど、僕は腑に落ちない。イヴが好きになってもらえる物を買ってあげたいし、ただ僕の満足で買うのは本当の善意や好意だと思えないからだ。
「お洋服お探しですか?」
綺麗に化粧をした店員のお姉さんがこちらに話しかけてくる。街のおしゃれな人と会話したことなんてほとんどないからちょっと挙動不審になってしまう。
「あっ、はい。何か買ってあげたくて…」
「彼女さんですか?」
「へ?」
「多分、違う。」
「えと、同級生です!同級生!」
そう否定されるとちょっと凹みますよ。
こう、容赦なく突っ込んでくるからとても怖い。都会の人怖いな。スラムとド田舎で育った僕はノックアウト寸前だ。
「こちらなんてお似合いでは?」
お店の人がイヴに似合いそうな色合いの服を選ぶ。やっぱりプロの人が選ぶ方が似合う。それはそう。僕が適当に選ぶより遥かにいい選択だ。
「うん!いいんじゃないかな!イヴはどう思う?」
「いいと思う。」
イヴも肯定的で喜んでくれそうだった。ならこれで決まりだろう。さて、値段はいくらだろうか。値札を探し、服を裏返す。僕はその価格を見て再びノックアウトされた。
「21000PD…!?」
出てから気付いたのだが、咄嗟に入ったお店はちょっとお高いお店だったらしい。アダンから貰っていた小遣いは15000PDだったから到底買えそうにない。イヴにはぬか喜びさせてしまってとても申し訳ない気持ちになった。
「ごめんイヴ…いいのだったけど買えなくて…」
「ううん。シエルは悪くない。」
なんだかこのままでは胸がモヤモヤしてどうも自分の中で納得がいかなかった。こうなったなら何か買ってあげたい。そういう気持ちで僕の心はいっぱいだ。
「ねえ、シエル。」
「ん?」
イヴが指差すのはキラキラと輝く小さな石の付いたネックレス。少し先にある露店のハンドメイドアクセサリーショップのようだ。手作りだからか、どれも他と異なる輝きを持ち、同じように作りながらもそれぞれが独自性を持っている。一つ一つの僅かな違いが何とも面白かった。
「これ、すごく綺麗。見たことない。」
「おっ!嬢ちゃん見る目がいいね!コイツぁ人類の母星の鉱石で出来た宝石がついたネックレスさ!まあ、宝石たってもこれは元より大した価値が無かった上にそこまで珍しくもなければ、シャングリラで取れる宝石の輝きにゃ勝てねえから値段は安いが…この星には無え輝きさあ!みんなコイツの良さが分からねえ!嬢ちゃん良い目してるねえ!」
母星の鉱石。少し胡散臭いが、確かにその輝きは鈍くありながらも眩いばかりの輝きを放つ他の宝石の輝きとは異なる落ち着きがあって、なんだかとても見ていていい気分になる。自分たちのルーツの場所に由来するアイテムだからだろうか。
「凄く懐かしい気持ち。なんだかそんな気持ちになる。」
「…」
その時僕の判断に迷いは必要無かった。考えるより先に、思うより先に、言葉が出た。目を輝かせ、遥か彼方の母なる星の輝きを見つめる彼女を見ていてその決断は一瞬で頭の中に起きた。
「これ!いくらですか!」
「ん?12000PDだな。これだけ良さを語って言うが…あんまり自慢出来る奴じゃないぞ?方舟の城下町ならいくらでもあるって言うしなぁ…」
「ください!」
「お、おう…毎度あり…兄ちゃん威勢良いねえ。」
ネックレスを受け取り、イヴへと渡す。あまりにも勢いよく僕が買うもんだから彼女を少し驚かせてしまった。
「服は…また今度買うからさ!今君が欲しがったこれを僕はあげたかったんだ!これなら僕もあげたい気持ちがあって、そっちも欲しかった気持ちがあって、どっちの意見も成り立ってる。」
「ありがとう…ありがとう。とても綺麗。大事にする。貰ったものだから。」
イヴは貰ったネックレスをかける。彼女の年頃には少し背伸びしているように見えるかもしれないけれども、その輝きは彼女の綺麗な容姿にあっていてしばらく見惚れてしまった。彼女も薄い表情ながら少し喜んでいて、彼女の心の女の子らしさを初めてこんなところで見出す。
思えば僕は彼女が気になってこの居場所を選んだ。別に戦いの世界に入りたかった訳ではない。志高く、革命を願った訳でもない。誰よりも不純に誰よりもちっぽけな理由でこの世界を選んだ。
それでも僕は彼女の為にこの世界を生きる。彼女の嬉しそうな姿を見るとその選択の正しさをひしひしと感じる。
「あ!イヴお姉ちゃん!シエル兄ちゃん!」
「アリシア、ペンテア。どこ行ってたんだ?おもちゃ屋探したけど居なくてちょっと焦ったぞ。」
心配する僕らの言葉なんて聞かずに手元からカラフルなチラシをペンテアが取り出す。
「これこれ!面白そう!流れ石のみんなでやろうよ!」
「なに?」
「またなんか取ってきて…これは?」
『年に一度の祭り!イージスでヴァーミリオンの街を駆け抜けろ!優勝景品豪華!ダウンタウン・イージスレース in ヴァーミリオン!』
「レースだよレース!みんなでやろうよ!」
それは東の摩天楼で繰り広げられる熱い熱いバトルの始まりであった。
・劇中通貨
ノア発行の通貨はノア・クレジット
東部都市国家発行の通貨はポリス・ドル
地域にもよりますがだいたい為替レートは1NC=110PDです