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 夕方になって多少暑さは和らいだとはいえ、そこは夏。ペダルを一つ踏み込むごとに全身の毛穴から汗がじくりと滲んでくるような、そんなじめっとした不快さは変わらない。

 どうして日本の夏はこんなにも不快指数が高いんだろう。もう夕方だってのに、湿度は高いわ蝉はうるさいわ。情緒だ風情だなんざそんなんいいからさ。もうちょっと住みやすくしてほしいわ。

 ……おばさん、もっとガーっと怒るかと思ったんだけどなぁ。話が終わるまでなんにも口挟まないし、表情一つ変えないし。

 怒るどころか、静香から中絶の意思を確認したらササっと今後の対応とか決めちゃうし。あんまりあっさりしてたから、静香もあっけに取られてたな。

 まあとにもかくにも、こっから先は大人の領分。中絶費用にその他諸々、難しいことは全部親同士で話し合って決めりゃいい。 静香もノリもお互いに特別な感情はないだろうし、そんな話がこじれることもないと思うし。

 ただ、お互いご近所同士でなにかと顔を合わせる機会も多いわけだから、その辺りは今まで通りとは行かなくなるだろうけどね。ぶっちゃけそこはあたしの知ったことじゃない。

 で、話も終わって静香んちを出たあたしは、まず速攻で家に帰った。

 なにしろもうシャツは汗吸いーの冷房当たりーので冷たくなっちゃってるし、なんか変な臭いもしてるしさ。麗しき今時の女子高生がこんなの着てウロウロしちゃ駄目でしょ。着替えついでにシャワーも浴びよ、ってことで。

 なのにね。すっきりすることが目的のシャワーだったはずが、頭から冷水かぶりながら目ぇ閉じてたら余計にヒロや静香のことばっか考えちゃって。すっきりするどころかなおさらもやもやしちゃって。

 なんだかもう、ため息しか出ないよ。今日何度目だ。はぁ。

 多分、この先ヒロと静香が顔を合わせることはないと思う。元々友達でもなんでもなかった二人だ。あたしが間に入ったから知り合って、あたしが間に入ってたから付き合うことになっただけ。そんな二人がこんな形で別れちゃあ、そりゃもうヨリどころか友達にすら戻りゃしないよ。

 そうなるとあたしとヒロの関係も、あたしと静香の関係も、やっぱり変わってしまうんだろうか。

 そんなことを考えながら髪を乾かしてスキンケアして。化粧はどうしようか悩んだけど、どうせヒロんとこ行ってことの報告とコーヒー代払うってだけだし、というわけで軽く日焼け止め塗るだけにして出発。で、今に至る。 

 つか、店に着いたらヒロにはどう切り出そう。静香が産むなんて言い出したならともかく、中絶の方向で話は進むわけだから別に話しづらいことでもないんだけど。ただ、今アイツの前で静香の話題を口にするのは、やっぱりちと気が重い。

 シャーっと二人乗りの自転車が追い抜いていった。

 前に座る男の子と、後ろに座る女の子の無駄に大きな話し声がドップラー効果とともに遠ざかっていく。ドップラー効果がどういうものかはよく知りませんけど。

 そういえば、考えごとに没頭するあまり意識してなかったけど、さっきから同年代っぽい若い子達とよくすれ違ったりしてる。みんな友達同士で、あるいはカップルで、心の底から楽しそうに笑ってる。

 夏休みだもんね。そりゃ理由はなくとも楽しいよね。

 この時期、こんな憂鬱な気分で一人自転車こいでる女子高生なんて、もしやこの町にあたしだけなんじゃなかろうか。あー、ヘコむ。

 そのような、この時間までも多くのヒトビトでごった返す大三條通りを細道に入り、相変わらず薄暗くて胡散臭い裏通りを進み、そんで到着。

 ドアにはすでに「CLOSED」の札。自転車置くついでに窓から覗くと、一人でテーブルを拭くヒロの姿が見えた。店長はまたどっか行ってんのか。片付けぐらいしろよやる気ねーなあのオッサン。

 あ、なんか変に緊張してきた。いかんいかん、親友に会うだけだぜ? しっかりしろよあたし。 生ぬるい空気を鼻から吸い込んで、ふひぃっ、とわざと音を立てて口から吐く。

 よし、行こう。

 コロンと小気味良い音を鳴らしつつドアを開け、中に入る。

 少しだけ驚いたような表情でヒロは振り返り、あたしの姿を認めて「おかえり」と、抑揚のない声で言った。

「ただいま」

 あたしも応えて、カウンター席に向かう。合わせてくれたのか、ちょうど片づけが終わったのか、ヒロも対面にやってきた。

「ごめん。コーヒー代」

「いいよ。あんま飲んでなかったろ。奢っとくよ」

「あー、あぁ……んじゃ、ごちそうさん」

 冷房がほどよく効いた店内。ヒロが付けてくれたテレビでローカル番組を見る。

 街で何度か見かけたことがある、県内では一番可愛いと評判の女子アナがわーきゃー言いながら地元のあれこれを紹介するのをなんの気なしに眺めていると、コト、とこもった音がした。見ると、冷たそうなアイスココアがそこにあった。

「……おいくら万円?」

「三百万円――と言いたいところだが、今回はタダにしておいてやろう。ありがたく思うがよい」

「へへーっ」

 早速ストローで一口チューっと吸うと、しっとりした甘さが喉にしみこんだ。

 あぁ、やっぱ疲れてんだなぁ、あたし。ココアの冷たさと甘さがね、すっごい心地良くて。今目を閉じたら一瞬で寝てしまえそうな気がしたさ。

 そういうとこ分かってて出してくれたのかな、ヒロは。まったく気が利くね。ありがたやありがたや。

 ココアをちびちびやりつつ、言葉を交わすこともなくテレビを見る。ヒロは確かにそこにいるはずだし、気配だってちゃんと感じてる。なのに今、この場にあたし一人しかいないような感覚。

 ヒロと二人でいる時の、この空気感があたしは好きだ。最近はコイツと二人きりなんてこともあんまりなかったから随分と久しぶりに感じるけど、やっぱりいいな。すごく安心する。

 中一の時に同じクラスになって、妙に馬が合ってあっという間に仲良くなって、それから今日までずうっとあたし達の関係は変わってない。

 周りからは勝手にカップル扱いされたり、なんで付き合わないのか分からないと首を傾げられたりもするけど。そんなことを言われてもね。そうならなかったんだからしょうがないし、どうしてそうならなかったのかなんて分からない。

 ヒロは彼氏にするにはいい相手だとは思う。性格的な相性の良さを見ても、きっとこの上ない男だ。というか旦那にするにも最適な奴さ。でも、ヒロと付き合っている自分というものが、まったくちっとも想像できない。想像ができないということはつまり、あたしはヒロをそういう目で見られないということだ。

 私見だけど、あたし達がこんな関係になれたのは、お互いに異性を意識し合うよりも先に、友達としての距離が縮まりすぎたからじゃないだろうか。

 なんとなくそんな気がする。

 ココアを飲もうとグラスを手に取ると、もう空っぽだったことに気付いてコースターに戻す。もう飲み干してたのか。

「おかわりは?」

「ん、んー……や、これ以上はさすがに悪いから」

「これ店用じゃねえから気にすんな」

 なんだ、そっか。ならいただこう。

 正直、ヒロとの関係はずっと変わらないと思ってた。今までもそうだったし、これからもそうだと思ってた。根拠はないけど、確信と言ってもいい。静香ともそうだと思ってたし、静香とヒロもそうあってほしかった。

 でもそうはいかなかった。今回の件でいろいろとメチャクチャになってしまった。

 時間を掛ければある程度の修復は出来るだろうけど、それでもきっと元通りには戻せない。

 ずっと続いてきたものが、ある日突然ぷっつりと途切れてしまう。当たり前のようにそこにあったものが、ある日突然ぽっかりと無くなってしまう。そんなことが自分の身に降りかかるなんて今まで考えたこともなかったけど、でもきっと、この世の中いつもどこかで普通に起きていることなんだよね。

 そうか。ヒロはそんな経験をもう二度もしてきてるのか。じゃあ今回の件で三度目? や、喪失と失恋を同じ次元で語るのもどうかと思うけど、いくつも大事なものを失くして、それでもこうやって前向きに生きていられるコイツはもしや、あたしが思ってる以上に凄い奴なのではないだろうか。

「ねぇヒロ」

 訊いても意味がないと分かってても、訊かずにはいられない。

「アンタとあたし。これからもずーっと友達でいられっかな」

 なに言ってんだ、とヒロは苦笑。

「そうな。なんなら恋人でもいいぞ」

「はっは。死ね」

 語尾にハートマークを添えて。

「ま、大丈夫だろ。俺とお前だし」

 こともなげに言ったね。

 ヒロならそう言ってくれると分かってたのに、あまりにも平然と言うもんだから、どう返していいものかとっさに言葉が浮かばなくて。頷くことしか出来なかった。

「あの子、堕ろすって」

「……そうか」

「ごめん。なんか、色々」 

「こっちこそ。面倒かけて悪かった」

 ホントは誰が悪いとか悪くないとかそういうことじゃない。多分あたし達は間が悪かっただけで、運が悪かっただけだ。

 もし。もしあたし達がもっと違う形で出会ってたら。ヒロと静香を引き合わせてなかったら。そもそも、あたし達が出会ってなければ。

 誰もこんなしんどい思いはしなくて済んだんだろうか。

 でもそれは、なんだろ。なんだかな。

「マーコには感謝してるよ。うん、お前と友達になれて良かった」

 うん? と顔を向けると、ヒロがあたしをじっと見つめて、ニヤリと笑った。

「おかげであんないい女と付き合えたしな」

「……もう紹介はしてやんないよ」

「なんだと? しろよてめえ」

「んべ、ぷっぷくぷーだ」

 このやろ、とヒロが顔を歪めながら腕を振り上げる。

 「きゃーボーリキはんたーい」と棒読みで訴えながらココアを飲んで、今のヒロの顔を思い出して噴き出す。

 くだらないことを言って笑う。冗談に冗談を返して笑う。楽しいから笑って、面白いから笑う。いつも通りにヒロと笑い合う。

 頭ん中に、部屋で一人膝を抱える静香の姿が浮かんだ。

 自分でもよく分からないものが、お腹の底からぐっとこみ上げてきた。

 あぁ、やばい。これはやばい。

「ごめんヒロ……あたし、泣くかも」

 言いながら、もうすでに声が震えてて。俯いて、唇をしばって嗚咽をこらえる。

「……見なかったことにしとくよ」

 まるで引き金。

 その言葉をきっかけに、一気に喉の奥から溢れてきた。

 我慢なんてする気にもなれず、自分でびっくりしちゃうくらい大きな声で、泣いた。

 拭っても拭っても涙はちっとも止まらなくて。 

 あー、メイクしてこなくて正解だった、とか。

 人前で泣くのってどれぐらいぶりだろ、とか。

 随分情けない声で泣くんだなーあたし、とか。

 ていうかあたしなんで泣いてんだっけ、とか。

 間の抜けたこと考えながら、声も涙もやっぱり止まらなくて。ヒロはなんにも言わないで、なんにもしないで、ただそこにいてくれて。いつの間にかいた店長に「青春だねぇ」ってしみじみ言われて。こんなのが青春だってんならもう二度とごめんだくそったれ、なんて思ったりして。

 結局、目が腫れるまで泣いたあたしは、そのままヒロの手料理をごちそうになって、店長に家まで送ってもらって、ぶっくりまなこを見た両親(特に父親)に盛大に心配されて、寝る前に静香になにかメールを送ろうと思って、でも止めて。

 ベッドの中で一時間ぐらい寝返りを打って、それからようやく一日が終わった。


          ◇


 暑い暑い、と心の中で愚痴りながら、すっかり慣れた道を一人行く。

 なんかあたし、冒頭でいつも自転車こいでねーかと思わなくもないけど、きっとそういう星の元に生まれてきたんだろう。

 うん、いや。こっちの話。

 手を繋いで歩くカップルや、部活帰りなのか制服を着た少年少女達と何度もすれ違う。やー青春だねぇ。いいねぇ。あたしゃ中学も高校も部活もやってないし、彼氏出来たこともないし。 特にこの一年はそれどころじゃなかったし。

 去年の一件。静香んとことノリんとこで親同士が話し合って、一応は解決を見たけれどそれはあくまで金銭的な話。

 静香にとってはそこが終わりじゃない。

 静香のしたこと――その結果は自業自得としか言いようがない。あの子がどれだけ後悔して、どれだけ傷ついたとしても、その事実は消えたりはしない。

 だからこそ、それをしっかり受け入れて前を向いてほしい。

 少しでもいい。その助けになりたくて、出来るだけあの子のとこに顔を出すようにして。たわいない話をしたり、ショッピングに連れ出したり。時々、思い出し泣きされたりもして。

 その甲斐もあってか、静香も少しずつ元気を取り戻していった。そりゃ無理してる部分もあるだろうけど、たとえ表面的であっても、笑顔を見せるようになっただけマシというもんで。

 あたしだって自分のことがあるから、あの子にだけ構ってるわけにはいかない。だけど苦しんでる友達をほったらかして、恋だ青春だにかまけてられるほど、あたしは人間出来てない。

 つまり、あたしが未だに青春を謳歌出来てないのはそういうわけだ。うん。

 今年は今年で受験と卒業を控えて大忙しで、やっぱりそれどころじゃないしね。いやホント、青春ってどこに行けば買えんのさ。

 そんなこんなで今日は受験勉強をサボタージュ……もとい息抜きということで、親友の元に向かっている次第。

 ダバダカフェ。ヒロを通じてすっかり馴染みになったあの店も、この一年でずいぶん変わってしまった。

 厳密に言えば、この一年じゃなくて今年に入ってからなんだけど。

 きっかけは春。地元のタウン情報誌「KOOL!」に隠れスポットとして店が紹介されたことだった。「KOOL!」は若者――特に女性の読者が多い雑誌。

 文字通り「知る人ぞ知る」お店だったダバダカフェは、あっという間に席が埋まるようになった。

 最初はね。そんなのはしょせんちょっとしたブームに過ぎなくて、ほっとけばすぐに収まると思ってたもんだけどね。居心地のいい店だし。ヒロや店長も親しみやすいキャラだし。結局なんだかんだで未だに一見さん含めて客は多い。

 夏休みは学生の客が増えるかもってことでバイトまで雇っちゃったりして。しかもそれがピッチピチの女子高生だったりね。

 あの子雇ったの、ぶっちゃけ自分がサボりたいからでしょって店長に言ったら「てへ」だって。殴ってやろうかと思ったよあのオッサン。

 でもなんだかんだであの人にも結構お世話になってるし。バイトも可愛いし、許してやろう。

 あたしも大人になったもんだ、ふふ。

 といったところで店に到着。

 バイトのナッつんの進言で店前に置くようになったブラックボードに、可愛い文字でメニューなんかが書いてある…………店長、丸文字はともかくハートマークは止めようよ。つかこれ全部店長が書いてるって知った時ゃぞっとしたよ。なんなんだよあのオッサン。

 やれやれ、とドアを開けようと手を伸ばすと、先に中から開けられた。

「おっと」

 慌てて手を引っ込める。出てきた女の子が、あたしに気付いて会釈した。

「あ、ごめんなさい」

「や、こちらこそ」

 会釈を返すと、女の子はもう一度頭を下げて、それから歩いていった。ぽっかーん。

 はー……すんげえ美少女。

 なんだありゃ、神懸かってんな。あんなのマンガの中だけのファンタジーだと思ってたけど、いるとこにゃいるもんなのね。眼福眼福。いやマジすげー。

 離れていくその背中にしばらく見惚れてから、あらためてドアを開ける。待ってましたとばかりにほわっと溢れ出てきたコーヒーの香りを肺いっぱいに吸い込んで。

「ちょりっス」

「らっしゃい」

 それでは今日も、親友の淹れたいつものコーヒーを楽しむとしよう。


          了


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