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 しばらくぶりに会った静香は、少し痩せたみたいだ。

 伏せがちな目はなにかに怯えてるようで、落ち着きなく動いてて、それでいて決してあたしを見ようとはしない。

 ベッドに腰を掛けて、あたしと大して変わらない体格を小さく小さく縮ませて。汗で濡れた体がエアコンで冷やされてんだぜ。縮こまりたいのはあたしの方だっつの。

 さっきおばさんから、最近元気がないみたいだから適当にケツでも叩いてやって――なんて言われたけど。こりゃどうも、思った以上に「こと」みたいだ。

「つーかアンタ、電話もメールも無視ってんじゃねぇわ」

「あ……あ、ごめん」

 静香の体がさっきよりも、きゅっと縮んだ気がした。 

 ダメだねこれは。軽口叩けそうな状態じゃないや。さっさと本題に入った方が良さそうだ。

「アンタ、ヒロと別れたんだって?」

 静香の目があたしを見る。 怒らないでと訴えるような、許しを請うような、弱々しい目。

 大抵の人はこの目を見ただけで、どんな怒りも収めてしまう。収める、というよりは怒る気も失せるという方が適当だと思うけど。静香なりの処世術とでも言うのかね。意識してんのか無意識なのかは知んないけどさ。なんにしたってあたしには通用しないよ。何年の付き合いだと思ってんだ。

「さっきまでさ。ヒロんとこにいたんだよね。したらアンタと別れたって。参ったよ。アイツさらっと言うんだもん」

 そのくせ別れた理由は言わないっていうね。おかげでシャツも無駄にべっしょりだよ。汗も滴るイイ女ってかちくしょう。

「そ、ん、で? なんで別れたの?」

 目を逸らされた。黙秘だまる気満々かよ。

「そりゃさ。この件はアンタとヒロの問題かもしんないけどさ。一応あたしだって共通の友達なわけだし? アンタらを引き合わせたのもあたしなわけでさ。事情を聞く権利くらいはあると思うんだよね」

 畳みかけるよあたしは。今こっちが引いたら、この子は間違いなく図に乗る。

「でも……話したらマーコ怒るから」

 おそるおそる、とばかりの目であたしを見る。それが幼なじみに向ける目かバカたれ。

「だから話さないって? んなもん、それこそ怒るよあたしは」

 軽く睨む。

 一瞬だけ泣きそうな顔をして静香は、視線を右に動かして、それから俯く。

 それから、観念したように静香は口を開いた。

「ヒロ君、なにも言わないんだ」

「……ぅん?」

「服装とか髪型とか、クセとか趣味のこととか。あーしろこーしろって、全然言わないの。男の人ってみんな、自分の彼女とかにそういう要求するものだと思ってたから……ヒロ君はちゃんと私のことを見てくれてるんだって思って、嬉しかった」

 あぁ、そりゃまあ、ねぇ。ヒロが他人に対してあれやこれやと押しつけるような人間だったら、そもそも静香に紹介なんかしてないわけで。

「でも、もう三年も付き合ってるのに、それでもヒロ君なんにも言わなくて。ヒロ君、ホントに私のこと好きなのかなって。ホントは、マーコに頼まれたから仕方なく私と付き合ってるだけなんじゃないかって……不安になってきちゃって」

 いやいやいやいやいや。

「アンタね。アイツを紹介したの誰だと思ってんのよ。友達の頼みだからって好きでもない女にほいほい手ぇ出すような奴をあたしがさぁ――」

「分かってるよ。でも、どうしてだか分かんないけど、一回そんな風に考えちゃったら、どうしても不安になっちゃって。ヒロ君と会うのも……怖くなって」

「だから、別れたの?」

 少しの沈黙の後、静香は首を小さく横に振った。

 だよね。そんなんでアイツが納得するとも思えないしね。

 じゃあその理由を、と続きを待っても、静香は口をまっすぐに結んだまま開こうとはしなかった。

 待つか促すか。はてどっちの手がいいかしら、などと考えていると、どこからともなくメロディが流れてきた。一昔前に流行った曲、静香の携帯だ。

 静香は緩慢な動作でベッド横の机から携帯を取って、画面を確認してからそのままベッドに置いた。

 スピーカーを下にしたせいでくぐもった音が、部屋に漂う気まずい空気を強調する。

「電話っしょ。出ないの?」

「……後でかけ直すから」

 ふん? なんか引っかかるな。あたしがいるから遠慮してるってんでもなさそうだし。もしかして、今回の件と関係ある相手だったりして。

 静香が、大きく肩で息を吐いた。

「三ヶ月くらい前、ノリ君とばったり会ったの」

「ん? うん。そういや最近アイツとも会ってないな……んで?」 

「ノリ君も男の子だし、ヒロ君の気持ちとかも分かるかなって。相談、してみたの」

 あぁ、そう。そういう流れか。なんでいきなりノリの話が出てくんのかと思った。

「つか、ヒロとノリは面識ないでしょが。相談してどうなるとも思えないけど」

 そうだけど、と静香。そりゃまあ、今さらそんなん言ってもしょうがないけどね。

 ヒロは境遇のせいかそこらの男とはちょっと勝手が違うわけで。少なくとも、付き合いのない人間がちょろっと話聞いただけで理解出来るような易い奴じゃない。

 静香だってそんくらい分かってるだろうに。

「それから、ちょくちょく話聞いてもらうようになって。そしたらノリ君が、久しぶりに私の部屋を見たいって言ってきたの」

 そこまで言って、静香の表情が少し強ばった。

「私はやっぱりまずいかなって思ったんだけど、ノリ君には話も聞いてもらってたし、小さい頃は何度か部屋に来てたし。大丈夫かなって思って……」

 辛そうな表情で押し黙る静香。それがなにを意味してるのかは、恋愛経験ゼロのあたしでもさすがに分かる。

 ノリが最初からそのつもりだったのかどうかは知らないけど。静香の方から誘うなんてのはいくらなんでも想像出来ない。ノリから言い寄って、静香がそれを断りきれなかったって考えるのが自然だと思う。

「……ノリとは、そん時だけ?」

 たった一回の浮気くらい、とは思わない。でも、それが破局の決定打というのもなんだか考えづらい。

「その後も会ったりしてて、だんだん、その……会うたびにそういうことするのが当たり前になってきて……でも、わ、私が好きなのはヒロ君だし、もうやめなきゃって何度も思ったんだけど」

 流される性格。断れない性格。

 あたしは浮気どころか、男と付き合ったことさえないけど、静香がノリとの関係を断てなかった気持ちは分からなくもない。

 好きな人を裏切りたくない。好きな人を傷つけたくない。好きな人に嫌われたくない。

 でも一回だけなら。後一回だけなら。もう一回だけ、バレる前に止めれば大丈夫。

 気付いた時にはもう抵抗も躊躇もなくなってて。静香が自分で言ったとおり、そうすることが「当たり前」になってる。

「まさかとは思うけど、ノリのこと好きんなった、とかじゃないよね?」

 浮気が本気に、なんてのが本当にあるのかどうかまではあたしには分かんない。だけど、悩んでる時とか落ち込んでる時に誰かに優しくされると、コロっといっちゃうこともあるんじゃないだろうか。

 特に、静香みたいな子は。

「生理が来なくなったの」

 ぽつりと、唐突に、でもはっきりと、静香は言った。

「…………なに?」

「最初はただの生理不順かなって、思ったんだけど……でも、こ、心当たりもあったし、怖くなって。病院で……検査、してもらったの」

 や、待って。急に、なにその展開。心当たりって、なんだよ。

「……二ヶ月だって言われた」

「ち、ちょっと待ってよ。二ヶ月って、それじゃ期末前に会った時にはもう、ってこと?」

 全然そんな素振りなかったじゃん。楽しそうに買い物してさ。人気のケーキを美味しそうに食べながら、ヒロとも上手くいってるって、幸せそうにそう言っといてさ。アンタ、お腹ん中に違う男の子供連れてたってのかよ。

「あの、さ。一応訊くけど、それはノリの子なの? ヒロの子ってことはないの?」

 聞きながら、そんなわけないって思った。アイツが、ヒロが避妊もせずなんて、そんな軽率で無責任なことをするわけがない。

 でも、妊娠が確定してるっていうなら、せめてヒロの子であってほしいと、そう思った。

「ヒロ君、コンドームは絶対付けてたから」

 一瞬でなけなしの希望が奪われた。

「一回だけ、私もノリ君もコンドーム持ってなかった時があって。たまたま私も安全日だったし、大丈夫かなって。多分……タイミング的にもその時だと思う」

 盛大にため息が漏れて、体から一気に力が抜けた。自分では気付かなかったけど、どうも相当緊張してたみたいだ。

 肩が重い。それ以上に、気持ちが重い。

 もう一度ため息を吐く。

「…………ごめん」

 消え入りそうな静香の声。

「あたしに謝んないでよ」

「ごめん」

「――――ッ、謝んなっつってんでしょうが!」

 あたしの声にびくんと体を跳ねさせて、多分「ごめん」と言おうとしたんだろう。口を「お」の形にして、でもすぐにきゅっと横に結んで俯いた。

 あたしは逆に天井を仰いで深く嘆息。

 駄目だ。今のは違う。今のは怒ったんじゃなくてただ感情をぶちまけただけだ。今あたしがやんなきゃいけないことじゃなかった。

 もう一度息を吐いて、切り替える。

「で、アンタはどうしたいの? その子、産みたいの? 産みたくないの?」

 きょとん、という顔の静香。

 まるで言ってる意味が分からないとばかりの表情。

 妊娠とヒロのことで頭がいっぱいで、産む産まないまで考えは回ってなかったってか。マジかよ。

「おっきいお腹で学校とか行ける? 周りの目に耐えられる? 好きでもない男の子供産んで、好きでもない男と結婚して、上手くやっていく自信ある? まさか、お腹の子に罪はないから、なんて寝ぼけたこと言わないよね」

 あたしもそうだけど、静香はまだ高二なんだ。まだ産まれてもいない子供のことよりも、まず自分のことを大事にしてほしい。

「答えて静香。産みたい? 産みたくない?」

 人生の選択に間違いなんてないかもしれない。でも、今子供を産むなんて選択は、誰の目から見ても絶対に間違いだと思う。

 静香を見つめながらあたしは、ただ祈るように答えを待つ。

「……産み、たくない」

 小さな声で、だけど確かに静香はそう言った。

 よく言った――と全力で抱きしめたくなる衝動をこらえ、「んじゃ、行くよ」とあたしは立ち上がった。またしても静香はきょとんとあたしを見上げてくるけど、ここまで来ればもう話は簡単だ。

「おばさんとこ。ちゃんと全部話して、助けてもらいな」

「で、でも…………」

「でもじゃない。この期に及んでまだ怒られるのが怖い? あのね。なんだかんだ言ったってね。あたしもアンタもまだ子供なんだよ。多少のことは自分で出来るようになっても、大人から見れば出来ないことの方がよっぽど多いんだ。この話はもうあたしらだけじゃどうにもなんないとこまで来てんの。だったら、一番身近にいる親になんとかしてもらうしかないでしょうが」

「でも、こんな時だけ頼るのも……」

「アホ、こんな時だからだよ。じゃあなに。親にも頼らずにここでじっとしてりゃ親切な誰かが助けてくれたりすんの? んなわけないでしょ。結局おっきくなったお腹を親に見られて、余計に問題がこじれてくだけじゃん」

 最悪、親子の関係だってぐちゃぐちゃになっちゃうかもしれない。家族ぐるみの付き合いをしてきた幼なじみとして、そんなものは絶対に見たくない。

「あたしも一緒にいてやっから」

 臆病な静香はなにをするにもまず二の足を踏む。そんな時あたしがこう言うと、この子は躊躇いがちながらもちゃんと付いてくる。

 それが静香の甘えだということは分かってるし、いつまでもそうやって甘やかしてちゃいけないことも承知してる。

 けど今はそんな悠長なこと言ってる場合でもない。

 静香は少し考えた後、うん、と頷いた。

 まずあたしが部屋を出て、振り返る。ちゃんと静香も立ち上がって付いてきてるのを確認して階段を下りる。

 リビングを覗くと、おばさんが退屈そうな顔でソファに寝転がって、煎餅をかじりながらテレビを見ていた。さすが静香の母親なだけあって美人なのに、どうしてこうも中身が違うんだろう。本当に不思議で仕方ない。

「ちゃんと話せるね?」

 後ろに立つ静香に確認すると、静香はしっかりとあたしの目を見て、しっかりと頷いた。

 あたしも頷きを返して、先にリビングに入る。 

「おばさん。ちょっと大事な話があんだけど」


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