08
正門を出て坂道を下っていると、ジンが途中の横道を覗きこんで「あそこ俺ん家」とアパートを指した。それはアキナリがイメージする学生の一人暮らし用の建物では無かった。もっとこう二階建ての古アパートとかを想像していたのだが、エントランスがある。
「この前ゴミ捨てるときに鍵忘れてさ、締め出されてまじで焦った。知り合いもいねぇし」
えー。と乾いた声が漏れる。何事もそつなくこなすジンがごみ出しの適当な服装で立ちつくす姿など想像できない。
「そんでどうしたの?」
「とりあえずめっちゃ待って帰って来てもらった人にいれてもらった」
「怪しまれんの、それ?」
「怪しまれてたかもしれないな」
そんなことはまるで気にならないというようにジンが言う。そういう飄々としたところが羨ましい。もしも閉めだされたのがアキナリなら、エントランスを通る人に助けを求めたくても怪しまれるのではないかと心配してきっといつまででもそこでおろおろとしているだけだっただろう。それが却って人の目には怪しく映ると言うのに。
坂を下りて左に曲がってローソンの前を通り過ぎて信号を渡って、比較的緩やかな別の坂を再び上るとファミレスの黄色の看板が見えた。
そういえば確かにここにファミレスがあった。毎日通る道からすぐの場所なのに、案外周りを見ていないものだ。
店内に入るとここにもA食と同じように勉強をしている学生の姿がちらほらあった。窓際の禁煙席に座る。
「何にする?」
ジンがメニューを手渡してくれる。そういうことが自然にできるところが。
適当にページを捲って目に付いたものを注文する。しばらくしてアキナリのもとにはチーズインハンバーグのセットが、ジンには海鮮丼が運ばれてきた。
「なんで海鮮丼?」
「家じゃ食べないし」
「海鮮食べるなら回転ずしとか行けば良くない?」
「鮨屋このへんねぇし」
「まー確かに」
真っ直ぐ帰りたくないがためにファミレスに寄ったから、正直お腹は減っていないはずだった。それでもハンバーグとチーズの香りを嗅いでいると不思議と食欲が湧いてくる。
皿の上が半分ぐらい空になったところで、そういえばさ、と切り出してみた。
「ジンって彼女いる?」
一瞬の沈黙があった。ジンは箸で米粒とねぎとろを救って口に放り込んで咀嚼して呑みこんでから口を開いた。
「一応いる」
「やっぱり」
予想通りだった。こんなにも見た目が良くて人当たりも良くてやることなすことスマートで、女子が放っておくわけない。
「てか一応ってなに?」
「んー、なんて言うんかねー」
箸の先を開いたり閉じたりパチパチとやる。
「タメ? 高校んときから付き合ってんの?」
「そうそう」
「じゃあ結構長いんじゃん」
「長いね。うん。無駄に長いわ」
「無駄にってなんだそれ」
「アキナリくんもいつかわかるよ」
ジンが目を瞑って大袈裟に頷きながら言う。
「なんだそれ」
「で、アキナリくんは?」
「え」
まさかこんなに早いタイミングで自分の話になるとは思わなくて、一瞬虚を突かれた。もう少しジンとその彼女についていろいろと知りたいと思っていたのだが、茶化されただけで終わってしまった。
「俺にそんなことを聞くってことは、アキナリくんは恋愛の話がしたかったんじゃないかな? ん?」
まだふざけた口調のまま、ジンが目を覗きこんでくる。図星を突かれているし、新しい友人との関係を強固にするためには自分の秘密を打ち明けることが効果的であると言うこともこれまでの学校生活で学んでいる。
「まあ、そんなとこかな……」
ナイフとフォークで細かく切り分けたハンバーグの中から蕩け過ぎたチーズが鉄板の上に広がっている。それを改めてかき集めて肉の上に載せてから口へ運ぶ。