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適当に誤魔化したい気持ちもあるけれど、そんなことは結局ジンには見透かされてしまうだろう。
「でもさ正直」
アサコが口を開くより早く、ジンがぼそりと呟いた。
「アサコのアキへの気持ちは恋っていうより、依存みたいに見えるけど」
「え?」
すぐ耳元でお寺にある大きな鐘を打ち鳴らされたような衝撃があった。緊張が走る。本能が傷つけられると警告してきて、心も身体もそれに備えて堅くなった。
「アキが唯一英語が話せなかったからじゃないの?」
「……どういうこと」
「アキがいたから自分はクラスのなかで最下位になることがなかったから、だから劣等感を覚える必要も無かった……みたいな」
心臓がどきどきと大きな音を立てている。なんとなく額に手をやると、薄っすらと汗ばんでいた。
「だからアキがいたから安心してたんだよ」
アサコがことばを失っているのと反対にジンは止まらない。
「だけどアキがマリアに惚れて、勉強頑張るようになって、英語がだんだん喋れるようになったりハーフとか帰国子女と仲良くなってくから、アサコは一人だけ置いてかれるみたいで焦ってるんだって」
「なんでそんなこと言うの」
「だってアキがマリアを思うのと、アサコがアキを思う気持ちが全然違うから」
「そんなことわかるわけ?」
「わかる」
「なんで?」
「アサコはアキの成功を喜べる?」
「……喜べるよ」
心臓の音が相変わらず煩くて、ジンの声をかき消してしまいそうなほどだ。
「アサコ、お前さ。……もう充分すごいよ」
「……なにが」
「安心するために下を見る必要なんてないぐらい、すげぇよ」
「…………なに、それ」
喉の奥が震える。だってこんな自分のどこを、ジンみたいな人が凄いと思えるのだろう。なにも無いのに。
それなのに何故か妙にそのことばが染み込んで、身体の中で渦を巻いてそこからあふれ出していた感情に凪を齎した。
「充分頑張ってるって。アサコのこと本心でダサいって思ってるやついないって。そんなんいたら、それは絶対妬みとか焦りだから。自分に厳しすぎなんだって」
「なんで、……」
それ以上ことばが続かなかった。
ジンがくれたその一言は、アサコが長い間ずっと探し求めてきたものでもあった。酒を飲むと涙腺が弱くなるのは、どうやら本当らしい。両目から涙がほろりと落ちていった。そして妙におかしくなって、笑い声が零れた。
「依存してるとか、ジンくんって酷いこと言う」
長い前髪がはらりと落ちて、黒い瞳を隠した。
「よく言われる」
「……でもそうなのかもなー。私、アキくんのこと下に見てたのかな。そう思うと酷いのは私だよね」
だけど思い返すとジンのことばがぴたりと当て嵌まる部分もあった。アキナリがホームワークで良いスコアを取るたびに、それをクラスメイトたちに嬉しそうに報告している姿を見るたびに、アサコは不安でいっぱいになっていた。
最初こそアキナリはたった一人のアサコと同レベルの仲間だと思っていたけれど、アキナリは努力でそこから這い上がっていった。アサコを持ち上げようと手を差し伸べてくれていたかもしれないのに、上を見てしまうことが怖かった。
アサコはずっと安心するために、アキナリを自分と同じ場所に引き留めていたいだけだった。
「ジンくんって鋭すぎ」
「それもよく言われる」
薄い唇の端が僅かに持ち上げられる。ジンがアイフォンのスタートボタンを押すと画面に時間が表示される。もう二十三時前だった。きっと両親からはたくさん連絡が入っているだろう。それが分かっていたから、あえて自分のスマートフォンを確認していなかった。
「……そろそろ帰らなくちゃ。ありがとう、今日は。ごちそうさま」
「駅まで送ってくよ」
「いいよ、すぐだし。それに一人でいろいろ考えたい気分」
「いろいろ?」
「うん、いろいろと。それじゃ、また明日」
ジンの部屋を出て、駅まで歩く。外の風が少しずつ酔いを冷ましていく。
せっかく初恋だと思っていたんだけれどな。まだ少しだけ涙が出そうだった。
だけど恋愛の経験がある人にはただの依存に見えるかもしれない感情も、アサコにとっては紛れもなく恋だった。アキナリのことが好きだった。
妙に心も肩も軽かった。今度、ジンにお勧めのバンドを教えてもらおう。
そしてアキナリに好きだって言おう。
そうしたら本当にすっきりするような気がする。
地下鉄に乗り込むまで、スマートフォンには触らなかった。




