♯3 さすらい錬金生物、と奇妙な病【1】
谷底でノアとエルタランが出会ってから三日、一行は大陸を縦断する大河の傍までやってきていた。ヴァイスランドに向かうためには必ずこの大河を超える必要があり、渡し場のある村を目指していたのである。
大河の流れは緩やかだが、ところどころ深みがあり、そしてなによりも幅が広すぎる。此岸から彼岸はうっすらとしか見えないほどの距離だ。熟練の船頭の手を借りず、素人だけで渡ろうとするのは自殺行為だった。
「見えてきたぞ。あれが渡船場のあるスクライ村だ」
エルタランが指差す先には、背の低い家屋がのっぺりと連なっていた。
「あんなところに村なんて、大河の増水があったらどうするんでしょうか」
ノアが素朴な疑問を口にした。
スクライ村は本当に大河の傍にあった。というか、村の一部は大河にせり出している。河が荒れでもすれば跡形もなく流されてしまいそうだった。
「あそこの村人は誰よりも大河のことに詳しい。氾濫の予兆があればすぐに避難するのさ」
「なるほど~」
しばらく歩いて、一行は村の中へと入る。民家の軒先には魚などが吊られていて、漁村らしい感じだった。しかし人の姿は少ない。まばらな人影も、ノアたちの姿を認めると慌てたように去って行ってしまうのだった。
「なんダ? どいつもこいつも愛想が悪いナ」
「この村は旅人には寛容なはずなんだが……とりあえず渡船場に行ってみるか」
村の様子に、エルタランも首を傾げた。
渡船業はこの村の大きな収入源だ。それを利用する旅人は、村人たちに歓迎される存在だったはずだ。少なくとも、エルタランの知る限りでは。
がらんとした村を進み、渡船場へと向かった。受付では、恰幅の良い女性が退屈そうにしていた。
「船を出してもらいたいんだが」
エルタランがそう声をかけると、女性は申し訳なさそうな顔をして手を振った。
「あー、悪いねえ。今は船は出せないんだ。急ぎなら、もう一つ北の村に行ったほうがいいよ」
「何かあったんですか?」
大河が荒れている様子もないし、桟橋には無人の船がぷかぷか並んで浮いている。素人目ではあるが、船を出せない状況のようには見えなかった。
「船頭がみーんな流行り病で倒れちゃったのよ。半人前に船を出させるわけにもいかないし、村としても痛いけど、事故を起こしちゃ元も子もないからね」
女性は溜息を吐きながら頬杖をついた。その視線の先で、船が申し訳なさそうに揺れた。
しかし、そんな村の経済状況よりもノアが気になったのは、
「流行り病、ですか」
村人たちが外に出ていなかったのも、それが原因なのだろうか。
「ええ、狙ったように船頭たちだけが倒れちまってねえ。本国から治療師の方が来てくださったんだけど、なかなか治りの悪い病みたいなのさ」
「なるほど……私がお役に立てるかもしれません!」
ノアが胸の前で手を握る。女性はそんなノアの様子に困惑を表情を浮かべた。
正式な治療師がお手上げだというのに、小娘ひとりに何ができるのかと考えているのだろう。しかしノアには自信があった。治療師がお手上げだからこその自信である。
「あー、この子、錬金術師なんだ」
エルタランが加えた。
そう、錬金術による治療だ。
正教の治療師たちは、祈祷による治療を得意としている。彼らの治療が振るわないのであれば、それはその病が祈祷術の領分ではないということだ。であれば、錬金術の領分である可能性が高い。
「よければ罹患者の方と合わせていただけませんか?」
「は、はあ……まあそういうことなら。私たちも困ってるしねえ。教会にある治療所を訪ねるといいよ、みんなあそこに集められてるからね」
女性は紙切れに簡単な地図を書いて渡した。礼を言って、ノア達は地図に示された教会を目指し始める。地図によると、小高い丘の上に建っているらしい。
意気揚々と進むノアに、エルタランが後ろから声をかけた。
「人助けはいいが、俺たちも病に罹ったりしないか?」
いくら大河の先に進むための人助けとはいえ、自分たちが動けなくなってしまっては本末転倒だ。治療師が治せないような病気なんて、できれば関わり合いになりたくはない。
「うーん、たぶん大丈夫じゃないでしょうか」
ノアが振り返りながら言った。さらに、帽子の上のナヴィがその言葉を続ける。
「罹ったのは船頭だけらしいからナ。治療師が到着しテ、病人を隔離するまでの間に他の感染者が現れなかったってことハ、他人にうつる病じゃないんだロ」
「そして治療師さんで治せない病なら、私たちが活躍できる可能性は高いです」
「それって、具体的にどういうことなんだ?」
エルタランにとっては、治療師たちの治療がもっとも馴染み深い。治療師たちに治せず、錬金術師には治せる病というものが想像できなかった。
ノアはピンと指を立てて、
「えーっとですね。まず治療師さんの医療は、祈祷術を利用したものなんです。だから祈祷術の性質を受け継いでいて……つまり天書に記載されていない病への対抗策がありません」
「錬金術にはそんなしがらみはないからナ。祈祷術よりもはるかに手間がかかるガ、新しい病にも対応することができル」
二人の説明を受けて、エルタランが顎を掻いた。元より肉体派で、魔法に疎い国の出の中年には難しい話だった。ともかく、なんとかできる自信はあるということは伝わってきた。
三人は緩やかな坂を上り、教会の前までやってきた。かなり年季の入った石造りの建物で、色あせた雰囲気を醸し出していた。
ノアが扉をノックしてしばらくすると、
「何かお困りですか」
シスターが笑顔で迎えてくれた。しかし、彼女の顔には色濃い疲労がにじんでいる。病の治療がかなり難航しているからだろうか。
「私たちは旅の錬金術師です。病が流行っていると村で聞いたので、力になれるかもと思いまして」
「まあ? 錬金術師様ですか?」
「とりあえず、倒れたやつをみせてくレ」
驚いたシスターが、ナヴィを見てさらに驚いた。ナヴィの存在が、錬金術師であることの分かりやすい証明であるともいえる。
「あら、かわいらしいカエルさんですね……こちらへどうぞ」
シスターが三人を教会の中へ迎え入れる。大聖堂を横目に、広間へと案内された。広間には白布が張り巡らされていて、シスターや純白の装いの治療師たちが慌ただしく歩き回っていた。
「治療師様を呼んでまいりますので、こちらでお待ちください」
そう言い残して、シスターは布の間に消えていった。
病に罹患した者たちの隔離所の割には、鬱屈とした感じはしなかった。清潔感もあるし、おそらくは病床の者たちの話し声も聞こえてくる。
キョロキョロと周囲を見回しながら待っていると、
「あなたが錬金術師?」
コツコツとヒールを鳴らしながら、一人の少女が近づいてきた。美しい黒髪の持ち主で、年齢はノアの少し上くらいだろうか。彼女はノアの前までやってくると、
「私はステラ。ここの主任、一級治療師よ」
ふん、と薄い胸を張ったのだった。