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♯1 さすらい錬金術師、死に損ないと出会う。

 叩きつけるように降る雨で視界が霞んでいる。ぞろぞろと進む隊商は足取りも重く、遅々として進まなかった。右には深い森が広がり、左は険しい断崖。細くて危険な道を進まなければならない、この旅程で一番の難所だった。


 隊商の護衛として雇われた戦士たちは、雨の勢いに顔を顰めていた。そのうちの一人、エルタランがぬかるんだ地面に足を取られないように苦心していた。そんな中突然、隊商の前方で悲鳴があがった。


「なんだぁ? 事故か?」


「ただでさえうざったい雨なんだから牛車の故障とかは勘弁してくれよな~」


 商人たちはぶつくさと言いながら牛車の運行を止める。しかし、エルタランがじっくり耳を澄ますと、雨と牛たちの鳴き声に交じって、微かに鉄の打ち合わされる音が聞こえた。不審に思い、より詳細な様子を窺おうと牛車の陰から身を乗り出した時、隊商の横合い、森の闇から男たちが飛び出してきた。


 男たちの手には粗雑な武器が握られていて、エルタランが振り向いた時にはまさにそれを振り下ろしているところだった。


「うおっ!?」


「ぎゃあ!」


 エルタランは咄嗟に身を翻して、なんとか肉厚の刃をかわす。奇襲に反応できなかった商人たちが刃の餌食となり、水たまりに血がにじんだ。


 すぐさま体勢を整えたエルタランは腰の剣を抜き、賊たちに向けて構える。


(数は……三人か)


 三人の男たちの手に握られているのは剣、斧、槍。どれもひどく歪んでいて、ろくに手入れをされていないようだった。手慣れた山賊なのだろう。たしかにこの地形は襲撃にはうってつけだ。


(さて、どうする)


 貰った報酬分の仕事はするが、それ以上のために自分が命を落とすようなことになれば本末転倒というものだ。適当に相手をして、ここはとんずらさせてもらうことにしようと思う。


「うおお!」


 斧を持った男が雄叫びをあげてエルタランに襲い掛かる。まずは足元のぬかるみを蹴り上げ、泥水で男の目をつぶす。そして男が怯んでいる内に、渾身の力で腹を貫いた。


「な……なんだコイツは!?」


「お、落ち着けぇ! 囲んで叩くぞ!」


 瞬殺された仲間を見て、ぎょっとした顔の残りの二人が、今度はじりじりと慎重に距離を詰め始める。


 痩せた男が槍を突き出す。堅実な構えからして、従軍経験者なのだろう。シュッ、シュッと繰り出される突きをいなすが、エルタランはどんどん崖際に追い込まれていってしまう。逃げ道は剣持ちの男と牛車に塞がれていた。


 追い込まれながらも、なんとか突き出された槍の柄を掴む。力任せに引き寄せ、槍を手放す判断が遅れた男の顔を斬り飛ばす。


 そのまま体を回して、掴んだままの槍を剣の男に突き立てた。男は驚きに目を見開き、泡を吹きながらゆっくりと後ろに倒れていく。


「……ふぅ」


 辺りからはまだ男たちの騒ぎ声が聞こえてくる。これ以上巻き込まれるのはごめんだ。


 足早に立ち去ろうとした時、地面が大きく揺れて思わず膝をついた。地震かと思ったが、そうではなかった。雨で緩んだところに、牛を連れて暴れたからだろう。


 ――隊商と山賊たちの立つ崖そのものが、音をたてて崩落しはじめていた。


「ぐ、おお……!」


 エルタランはその場から一歩踏み出すこともできず、地面ごと谷底へすべっていく。人間たちのわずかな抵抗も呑み込んで、崩落が決定的になった。ずるずると吸い込まれるように落ちていく。視界がひっくり返って、一面に鈍色の空が広がった。


 エルタランの意識は、そこで一度途切れた。




 目を覚ましたときには雨はあがっていて、崖の切れ目からは雲のない夜空が覗いていた。またしても、なぜだか生き残ってしまったらしい。エルタランは自らの悪運の強さに苦笑した。


 体を起こそうしたとき、異変に気が付いた。体にまったく力が入らない。正確には腕は動かせるが、起き上がることができなかった。首をもたげて自分の体に目をやって、あまりの光景にまた気を失いそうになった。


「……マジかよ」


 左わき腹が落石に押しつぶされていた。すでに痛みを感じることもなく、ごっそりと。体から力が抜けて、死の恐怖に唇が震えた。


 どうやら四十年にわたるエルタランの悪運も、今日ここで尽きたようだった。




 ◆◆◆




 谷底の暗い夜道を一人の少女が歩いていた。のっそのっそと、大きな荷物を揺らしながら進んでいる。薄布を重ね合わせた、この辺りでは珍しい意匠の服を身にまとっている。そんな彼女は誰かと話しているようだった。


「ノア、また迷ったんだナ」


「ち、違うよナヴィ。まだ迷ったって決まったわけじゃ……」


「崖の上の道を進むはずガ、どうしてか底の道を進んでいるじゃないカ」


 少女の帽子の上には、拳ほどの大きさのカエルが鎮座していた。ノアと呼ばれた少女は、ナヴィという名前のカエルと会話をしているのだった。


 そしてどうやら、道に迷っているようだった。


「だからオレは引き返そうって言ったんダ。隊商の人たちともはぐれて、お前が一人で旅できる訳がないからナ」


「うぅ……ごめんなさい」


 頭上のナヴィが不満げにノアの頭を叩いた、ぺしぺしと。その間、ノアはされるがままだった。そして冷たい月光に照らされながら、トボトボと足を進めていった。


「……ン? ノア止まレ。あれはなんダ?」


 しばらく進んでから、ナヴィが短い足で前方を指差した。ノアが顔を上げると、その先には大きな岩に混じって、牛車の残骸のようなものが転がっていた。風化の具合からして、かなり新しいもののようだ。


 ノアは頭上を見上げながら、残骸に駆け寄る。


「崖の上から落ちてきたのかな。この様子じゃもう……」


「……道に迷って正解だったみたいだナ」


 二人は辺りを見回して呟いた。残骸の中には、商人風の男たちの死体もあった。どれもとうに事切れていて冷たくなっていた。その中には、ノアが隊商からはぐれる前に幾度か言葉を交わした顔もあった。


「ムム……ノア、あいつ生きてるゾ」


 再びナヴィが指をさした。その先には傭兵らしい男が倒れていた。ノアはその男の側に屈んで、脈を確かめる。


 とくん、とくん……と微弱ながらも脈はあった。


「生きてる……生きてるけど」


 男の腹には大きな岩がのしかかっていた。もう少し位置がズレていればぺしゃんこだっただろう。


 押しつぶされた脇腹からは血が流れ出ていたが、岩がフタ代わりになって過剰な失血は抑えられているようだった。しかし、この様子ではきっと内臓の一部が損傷している。通常の手段で傷をふさいだとしても、臓器不全を引き起こすかもしれない。


 なにより、岩をどかさない限りは治療を始めることもできない。


「ナヴィ、この岩を動かせる?」


「任せナ、離れてロ~」


 ナヴィがノアの頭の上からピョンと飛び降りる。


「ケロロロロ~!」


 ノアがとてとて後退すると、ナヴィが唸りだした。そして、みるみるうちにナヴィの体が大きくなっていく。あっという間に、人間の背丈をはるかに超える大蝦蟇の姿となった。


 ナヴィが長い舌を岩に巻き付けて、軽々と持ち上げる。それをぽいっと投げ捨てると、しゅるしゅると元のサイズに戻っていった。そしてノアの体をよじ登って、いつもの指定席に収まる。


「材料は~……これと、これと」


 ノアが大きなカバンの中から様々なものを引っ張り出しはじめた。干からびた植物や、薄青色の液体、赤色の粉末。それらを慣れた手つきで調合して、最後に錬金術を発動する。


 たちまち、ガラスが割れるような音と共に薬品がぼんやりとした光を帯びた。


 通常の手段では助けられなくても、それを可能にするのが錬金術というものだ。


 完成した薬品を傷に垂らす。


「ぐ……うぅ」


 傷と薬品が反応して白い煙が立ち上った。気を失っている男が痛みで顔を顰める。この薬品を覚醒時に使用すれば失神するほどの激痛を伴う、今回は元々失神していてよかったのかもしれない。


 この薬品は人体の自然治癒力を加速させるものだ。常用すれば組織の壊死を招く危険な薬品だが、死を回避するためには仕方がない。


 なんとか傷は塞がって、欠損していた肉体もほぼ回復した。とはいえ流れ出た血液は補填できていないので、そちらも別に対処する必要がある。


 けれど、ひとまず危険な状態は脱したはずだ。後はゆっくり休ませるべきなのだが、ここではまだ落石の危険がある。一度谷を出て、安心できるところに避難しよう。


「ナヴィ、もう一度大きくなって、この人を運んで?」


「エー……めんどくさいナ~」


 ぶつぶつと文句を言いながらも、ナヴィは再びノアの頭から飛び降りた。そして再びケロロ~と唸り始める。ノアは取り出した素材を鞄にしまいなおして、のしのしと進むナヴィの後を追った。


 こうして"死に損ないのエルタラン"は、またしても死に損なったのだった。

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