館の異世界メシ ー虎とハンバーグー
異世界料理系の作品に憧れ、稚拙ながら挑戦しました。
降りしきる雨の中、雨よけのローブと軽装の革鎧を纏いぬかるんだ路地裏を走り抜ける。
人間より優れた聴覚が、背後から迫る追手の足音と前方に身を隠す敵の呼吸音を正確に捉えた。
その時、物陰に身を潜めていた男が姿を現し、俺に向かって矢を放った。
「ふん……」
放たれた矢を腰から抜刀した剣で防ぎ、そのまま男を斬る。
「ぐふ」
更に、建物の上から弓を構える男に向かって投げナイフを放つ。
「がっ……」
倒れた男を確認することなく、俺は男の横を走りぬける。
「おい!……この気味のわりい魔獣が!!くたばれ!!」
背後に複数の気配が感じる。
「くそ……人間なんて大嫌いなんだよ!畜生!」
俺は、虎の魔獣。しかも、珍しい白虎の魔獣だ。
珍しい魔獣は、裏社会で奴隷や玩具として多額で取引される。しかも、俺は見た目が珍しい白虎なうえに戦争専門の傭兵として名を挙げている。裏社会に組する連中にとっては格好の獲物だろう。
「火よ集え 地に爆ぜろ〝爆裂火球〟」
黒いローブを纏った男が放った火球が地面にぶつかる衝撃で突然爆発した。爆発は連鎖し、路地を破壊し瓦礫が降ってくる。
(マジかよ……街中でこんな威力の魔法使うなんて頭沸いてんじゃねぇのか?!)
魔法は、人の体に宿る魔力を使うことによって行使できる力だ。
しかし、魔力を持っていても簡単な魔法を使用できるのは10人に1人程度。更に、威力のある攻撃魔法を 行使できるのは、100人に1人程度と少ない。勿論、その分魔導士は戦闘において驚異的な戦力となり、 勝敗を左右する事もある。
「〝爆裂火球〟」
再び魔法が放たれ炸裂する。
「うおぉぉお!?」
炸裂した魔法の余波の所為で、地面から足が離れ俺の体が宙に浮きーーーー柔らかな草の上に落ちた。俺の巨体が落ちた拍子に草花が空中に舞い上がる。
自然と香る青々とした植物の匂い。
「?」
先ほどまで聞こえていた男達の剣呑な声や魔法の爆発音も聞こえず、雨雲などない空は夕刻を示すように赤く染まっていた。
「どうなってんだ……」
鼻孔から入り込む僅かに甘い草花の香りと近くを流れる小川の音、空を見上げる視界の端の木々から、この場所が森の中だと知ることができた。そして、森の中に取り残されたように建つ古びた館。
しかし、館の傍には畑や物干し竿など生活の痕跡が見える。
(ぐうううう……腹、減ったな)
朝から賞金稼ぎ達から逃げていた所為で、腹もペコペコだ。
俺は立ち上がり、不思議な館へと向かった。何があってもいい様に、何度も共に戦場を潜り抜けてきた愛剣の鞘に左手を添えながら………。
ドンドン………
館の扉を数回叩き、返事を待つ。すると、軽い足音が聞こえ、館の扉が静かに開き黒髪を後ろで纏めた少女が現れた。黒いバンダナとエプロンを身に纏い、身体中から香辛料の香りがする。
………ぅぅ、香辛料の匂いだけでも食欲が刺激されてたまんねぇ!
「わりぃけど、一晩泊めてくれねぇか?……金ならいくらか余裕がある」
雨避けのローブのフードを深く被り、如何にも怪しい姿。断られる事を覚悟して、俺は少女に尋ねた。
しかし、黒髪の少女は、悩む事無く承諾してくれた。
「大した持て成しは出来ないけど、それでいいならどうぞ。良かったら、夕食もいかがですか?」
「……わりぃな」
少女の顔を覗き込んだ俺は、その容姿に驚いた。まず、この大陸では滅多に見ない黒髪黒目。そして、人形のように整った顔立ち。
その少女が愛想の良い微笑みを浮かべ、俺を館へと招き入れる。その際に、雨避けのローブを脱ぎ、上着掛けにかける様に言われ従う。その際も少女は特に驚くことはなかった。
反応とすれば、「もふもふ」と謎の言葉を呟いたくらいだ。
少女から敵意は感じない。
しかし、俺もそれなりに名の知れた傭兵だ、油断せず少女と周囲を観察する。
武器を隠し持っているようには見えないな。
館内は、掃除が行き届き、清潔感を感じる。置かれている家具も館の雰囲気を壊さないながらも場を飾っている。
「本当は他にも住人がいるんですけど、今は出かけているんです」
親じゃなく、住人?……いや、今の時代戦争などで親を失うことはそれほど珍しいことじゃねぇな。
「……そういや、ここは何処なんだ?」
俺は、気が付いたらこの場所にいたことを少女に話した。
「ここはーー」
「ぐぅぅううう……」
穴があったら、入りてぇ……。
「最初に食事にしましょうか?」
「わりぃ……頼む」
実は、この数日戦場に出ていた所為で塩味の芋スープに硬い干し肉しか食べてない。俺にとって戦場での食事は、ただ単に飢えない為だけの作業でしかない。だからこそ、戦の後には真面な飯をたらふく食って飲む。一夜で、報酬の半分を食事代につぎ込んだこともある。………そのあと、軽く死にたくなった。
しかし、今回は賞金稼ぎに追われていた所為で真面な飯が食えてない。正直、俺は今もの凄く腹が減っている。意思で抑えなければ、ひっきりなしに腹がなっている。
少女に食堂まで案内され、大きめな椅子に座る。
「今、水を持ってきます」
俺の前に水が置かれる。
随分ときれいな水だな。
戦場では、雨水だろうが、泥水だろうが生きるために飲んでいるが……ここまで透明度の高いきれいな水は王都の食堂でも滅多に見ない。それに、この水を注いだグラスは、ガラスで出来ている。俺は、ガラス細工について詳しくはないが、ここまで精密なグラスを買うとしたら金貨を何枚支払うか想像も出来ない。
水の注がれたグラスに驚きつつも、手に持とうとして、その冷たさに驚いた。
なんでただの水がこんなにも冷たいんだ?もしかして、魔法を使ったのか?……いや、そんな魔力の無駄使いをする筈がない。
だが、店でこんなに綺麗な水を頼めば少なからず金を取られるだろう。
俺は、毒の類に警戒しつつ水を一口飲む。
その途端、全身を心地よい清涼感が包み込み傷の痛みが消えた。
「!!!」
俺は、驚愕した。
声が出ず、水を持って戻って来た少女を見つめる。
「…………おい、これは精霊水じゃねぇ、よな?」
「精霊水ですよ。怪我をしていたようなので、丁度いいかと」
「そうか……って、そんな大金払えねぇぞ?!」
精霊水と言えば、世界屈指の危険地帯《触れられざる場所》の一つ、精霊の森に湧き出る貴重な水の事だ。なんでも、一口飲めば、どんな傷でも癒す事ができるすげぇ水……療水とも呼ばれている。傭兵の俺かしたら、喉から手が出るほどに欲しい水だが、出回る事が滅多にない幻の水だ。
「落ち着いてください」
「……わりぃ。だが、精霊水を買える大金は持ってねぇんだ」
金に余裕があるとは言ったが、無理なもんは無理だ。
「別にお金はいりませんから」
「はぁ?」
「直ぐにご飯も出来るので、待っててください」
それだけ言うと、少女は食堂の奥に消え、戸惑う俺だけが取り残された。
…………とりあえず、飲むか。
「美味い」
「はい、デミグラスハンバーグです。どうぞ、召し上がれ」
黒髪の少女が運んできたのは、獣の肉を細かく刻み、丸く纏めてから焼いた肉料理だった。
熱せられた鉄の板の上に置かれた肉が、じゅうじゅうと音を立てている。
「これが、デミグラスハンバーグ?」
その、肉の焼ける音と匂い、俺はゴクリと唾を飲み込む。肉とソースと香辛料の匂いが混ざり合って、これはもはや香りの暴力だ。食え、と直接本能に語り掛けてくる。そこに、嫌悪感などは一切感じない。
傍らに置かれているのは、見るからに新鮮そうな野菜の盛られたサラダと上質そうな器に盛られた純白の米。
この初めて見るデミグラスハンバーグなる料理について少女に聞きたいことは山ほどあったが、こんな美味そうな料理を前にしてこれ以上我慢できるはずがない。
俺は、両手にナイフとフォークを持ち大きな肉の塊を切り分ける。
ーーーー柔らかい。今までの常識から、肉とは硬いものと思っていた。そして、ナイフで切った断面から肉汁が溢れ出している。
「んじゃ………」
それから、一口分に切った肉を口に運ぶ。
そして、噛み締める。
「…………っ!!」
ーーーー美味い、美味すぎる!!
これは、旨味の暴力。肉の美味さを味わう肉料理の終着点。
俺は、あまりの美味さに味わうことを忘れ、直ぐに飲み込んでしまった。
「うめぇ……」
獣肉特有の臭みは一切感じさせず、鼻を通りるける香辛料の芳香。
なるほど、香辛料で獣肉の臭みを消しているのか。……ん、いや違う。これは、獣肉独特の香りすら生かすようにあえて香辛料の配分が調整されている。
一体、どれだけの時間と技術がこの一皿に集約されているんだ?
今度は、大きめに切った肉を口に運ぶ。
肉の油が甘い。歯ごたえも柔らかく、口の中で肉が解ける。そして、次々と甘い肉汁が口の中に溢れ出してくるが、そこは塩で程よく味を調整されている。
そして、このソースもまたたまらない。
甘酸っぱい風味を持つ濃厚なソース。これがまた。食欲を刺激してくる。
「ハンバーグだけだと味が濃いので、米と一緒に食べてみてください」
俺は少女の言葉に誘われ、デミグラスハンバーグと米を一緒に食べる。
これは、正に天啓だ。
ほんのりと甘い米が口の中の肉汁やソースと混ざって互いの美味さを何倍にも引き上げている。旨味の相乗効果。
デミグラスハンバーグは美味い。これは、覆すことのできない真実。
しかし、米と共に食べれば、また違った美味さがある。
少し味に疲れたら、サラダを一口。
柑橘系のさっぱりとしたドレッシングのかけられたサラダは、口の中の濃厚な味を緩和させる。すると、また濃い味が食べたくなってハンバーグを食べる。食の連鎖。
「…………」
俺は夢中で、食べた。肉と米がなくなるたびに、絶妙なタイミングでチセがお代わりを運んでくれる。
本能が叫ぶままに、米一粒、ソース一滴、残すことなく食べつくした。
「ふぅ~」
「おそまつさま」
空になったグラスに、普通の水を注いでくれる少女を見る。
「どうかしました?」
「……いや、何でもねぇよ」
この料理を食べた後だと、なんだか自分の疑問なんてどうでもよくなっちまった。
だが…………
「そういうわけにもいかねぇか。
お前、名前は?」
「私は、榊原千世。貴方は?」
「俺はグラン」
「グラン……勇ましい名前ね」
「お前は、俺が怖くないのか?」
自分の見た目の事は自分が良くわかってる。
俺の姿は、醜い。鋭い爪も牙も、人間にはない呪われた魔獣の証だ。人間は、俺の姿を見ただけで怯え、軽蔑する。
どいつもこいつも、まるで、悍ましい化け物でも見たような顔をしやがる。
だが、チセは一度もそんな表情を見せない。
そんな人間、お袋や親父以外に今までいなかった。
『グラン、あんたの顔は笑ってるみたいだよ』
お袋はいつも俺にそう言っていた。
「怖い?」
俺の問いかけに、何故かチセは呆れたような微笑みを浮かべた。
「貴方の目は、空のように澄んでいて放つ闘気は冷徹さの中に優しさがある。そして、この顔なんて笑っているみたい」
「!!」
同じ言葉だ。
この世界中で、俺を心から愛してくれた母と同じ…………。
「……本当に俺が怖くないのか?」
すると、椅子に座る俺の頬に細く白い手が触れた。
「!?」
「怖くないよ」