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ビデオライフ  作者: 佐久間ユウ
第2部 三上伸幸
8/10

 新作『見えない天使』の撮影が始まった。内容は、容貌に自信がなくて人前で笑わなくなった主人公が、笑顔を取り戻すまでを描いたものだ。

 七月に入ると撮影は試験のため中断し、再開したのは夏休みに入ってからになった。遅れている予定を取り戻そうと、撮影は慌ただしく進められた。

 大学の近くの森林公園でロケを行なうオープニングは、新作の見せ場のひとつだ。公園の周囲は、木々におおわれた2・5キロの遊歩道になっている。園内には大きな池があり、キャンプ場があり、四季おりおりの草花が咲く。市が管理していて、映画の撮影には許可が必要だ。映研でも申請を出していた。

 ぼくは明日の撮影にそなえ、アパートで台本を読み返していた。つけっぱなしにしていたテレビからロケ地の公園の名前が出て、はっと顔を上げた。

 国内では珍しい熱病が発生したという。人から人へはうつらないけれど、蚊を媒介に感染し、大熱が出るという。患者が感染した場所が、その森林公園らしいという報道が気になった。

 翌日、サークルでも、その熱病が話題になった。みんなでテレビ番組から手に入れた情報を話し合っていると、赤星さんが顔を真っ赤にして飛び込んできた。

「公園の管理者から電話があって撮影許可が取り消された」

 あっ、と声があがったきり、部室は静まり返った。赤星さんが拳を机に叩きつける。困惑した顔の部員が顔を見合わせていた。

「感染源がその公園だと特定されたんですか」

 三回生が訊いた。

「はっきりとはわからない。現在、園内の蚊を採取して調査中らしい。そんな状況だから撮影は認められないというんだ。公園の出入口には立札があって、入園を自粛するよう書いてあった。感染源だと判明すれば、立ち入りは禁止されるはずだ」

 部員の表情に落胆が走る。

 森林公園でのオープニングは、主役の二人が出会う重要なシーンだ。他にロケ地を申請すれば、余計な時間がくわれてしまう。ぼくらにそんな余裕はなかった。けれど、方法がないわけではない。

「ゲリラロケなら……」

 ぼくは口に出していた。

 部員たちの、はっとする雰囲気が伝わってきた。誰もが頭に浮かべていながら、言いだせずにいた手段だったのだろう。

 無許可の場所で撮影を強行するのを、ゲリラロケと呼んでいる。何食わぬ顔でロケ地に入り、すきを見ていっきに撮影するや、そのまま逃げてしまうんだ。

「よく言った、三上。どうだおまえたち、ゲリラロケを敢行するか」

 赤星さんが部室内を見渡した。

 誰も答える部員はいない。互いに相手の様子をうかがっているらしい。「熱病の発生源かもしれないし……」二回生の一人がこぼした。

「ばかやろう。蚊が怖くて映画が作れるか。おれたちの映画にかける熱い血潮を、その虫けらどもに吸わせてやろうじゃないか」

 赤星さんが大声で叱りつけた。

 先輩は本当に映画が好きなんだなと、ぼくは感動した。その熱意に、他のみんなも気持ちを動かれされたようだ。口ぐちに賛成の声があがりだした。

 森林公園で撮影するオープニングシーンが重要なのは間違いなかった。

 ヒロインは容姿に自信がもてず、人間関係に悩んでいた。彼女の楽しみは、緑に囲まれた公園の散歩だ。ある日、視力に障害をもつ青年が、あやまって池に落ちる。ヒロインが彼を助けたのを契機に交際が始まる。彼女は自分の姿を見られる心配がなく、青年との関係に安らぎを見つける。

 そんな二人の出会いの場面なんだ。

 撮影当日、ぼくはサングラスをかけ、杖をついて、公園の南門で待機した。目の悪い青年がぼくの役だ。これから池に落ちるので、ズボンのなかに水泳パンツをはいている。障害者の杖は、竹に白いテープを巻いて自分で作った。念のため身体には殺虫スプレーをたっぷり噴射しておいた。

 来園者は少ないようだ。門の横に、『蚊に注意』の看板が立っている。

 午前十時。ぼくは撮影開始の予定時間を確かめ、園内に足を踏み入れた。杖で地面を探り、おぼつかない足取りをまねて、ロケ地点に向かう。障害者の扮装をして、ふつうにすたすた歩いていたら監視人に怪しまれる。カメラは回っていないけれど、演技は始まっていた。

 ぼくは木漏れ日のあふれる遊歩道を歩いた。まだ午前中だというのに、かなり暑い。身体が汗ばみ、サングラスの内側がむんとしてきた。池に飛び込んだら、気持ちよさそうだ。ぼくは立ち止まり、額の汗をぬぐった。

 雑木林のなかで、職員が殺虫剤をまいている。熱病の発生源はここなのかな、と気になった。遊歩道はジョギングコースにもなっている。いつもならもっと走っている人は多いはずだ。感染が広がっているというテレビ報道の影響なのだろう。

 犬を連れたピンクのジャージのおばさんが、大げさな動きでウォーキングしてきた。ぼくに興味をもったようだ。こっちに来そうだな。あっ、来た。

「どちらまで行かれるんです? ご案内しましょうか」

 おばさんが親切に言う。

 本当に障害をもっていたら、ありがたい申し出なんだけど、ロケ現場まで連れ立っていくわけにはいかない。撮影のさしさわりになる。

「この公園は慣れていますから」

 ぼくはやんわりと断った。

 おばさんはひどくおせっかいで、しつこくぼくの腕を引っ張る。足止めされている暇はないのに、とぼくは弱った。生暖かく湿った息がひざにあたる。

「それは電柱じゃありませんよ」

 おばさんが飼い犬を叱る。かんべんしてよ。ぼくの足にマーキングする気じゃないだろうな。ここは芝居のしどころだ。

「こうして白い杖を持ってはいますが、ぼくはひとりでちゃんと歩けます。盲導犬や介助者を連れていないのは、自分のできることは誰の助けもかりずにすると決めているからです」

 ぼくは強い意志をこめて言った。

 おばさんは、「そんなつもりじゃないのよ。見ていられなくて。気をつけてくださいね。こらっ、あっちにもっといい木がありますよ」そんなことを言い、犬のリードを引いて、ようやく立ち去ってくれた。

 ぼくは、ほっと安堵した。

 ほどなく木立ちの切れ目から池が現われた。ぼくの歩く遊歩道の片側から、芝が緩やかに下って池のほとりまで続く。視線の届くかぎり水面が広がっていた。たっぷり蚊が発生しそうだと、嫌な気分になった。

 ロケ地点である池のほとりで、赤星監督と柚子が待機しているはずだ。他のスタッフはジャージを着てジョギングをよそおい、周囲に散らばっている。ぼくはサングラスごしに目だけを動かし、池の周辺を確認する。

 おや、と高山美玲に目を止めた。ジャージを着てスタッフにまじっている。美玲は主演を外されてから、サークルに出ていなかった。それでも撮影が始まれば、部長として参加する義務を感じたのかもしれない。

 池の水際から中の島まで、赤い東橋がかかっている。その橋の手前の芝地に、打ち合わせどおり柚子がいた。赤い縁のだて眼鏡をかけ、臙脂のTシャツに白いスカートをはいていた。

 そのそばで腕を組み、サッカーボールを片足で踏みつけている男は――赤星監督だろうか? パーカーのフードをかぶり、ジーンズのすそをブーツに入れている。この暑いさなかに、なんて格好だ。

 やっぱり赤星さんだ。口にマスクまでしている。やおらパーカーのポケットからスプレー缶を取り出し、あたりに散布しはじめた。

 ひと一倍、蚊を恐れているじゃないか。

 ぼくは驚いた。

 赤星さんと目が合い、すぐに視線をそらした。

 赤星監督が監視人の有無を確認し、片手を振って撮影開始の合図をする予定だ。サッカーボールが飛んできて、それに当たってぼくは池に落ちるんだ。

 ぼくは芝を下り、池のほとりのロケ地点に着いた。

 慌ただしい足音が響く。園内で待機していたカメラマンが駆けつけてくる。ゲリラロケの開始だ。NGは許されない。一発勝負の演技が要求される。

 このとき、サッカーボールがぼくの肩に命中した。

 半ば本当に驚いた。慌てて杖で地面をつく。竹製のもろい杖が折れて、バランスをくずす。ぼくは背中から池に落ちた。しぶきがあがる。

 池のこのあたりは水深が膝までしかない。けれど、ぼくは視覚障害者だ。状況を把握できず、恐慌におちいり、両腕をめちゃくちゃに動かす演技に入った。

 ぼくの手がつかまれた。柚子が役として助けに来た。

 本当に助けようとする人が現われたら厄介だから、救助はすみやかに行なわれる。ぼくは柚子に引き上げられる芝居をした。誰かが近づこうとしたら、部員が撮影ですと打ち明け、止める手はずになっていた。ここまできたら、いっきに撮りきり、監視人に見つかる前に逃げるまでだ。

 ぼくと柚子は手を握り合ったまま芝生に尻をついた。柚子の手は小さく、もっちりと弾力がある。ラストシーンで、目の不自由な主人公は、この手の感触で彼女を見分ける、そんな重要なショットだ。

「ありがとう。あなたが助けてくれたんですね」

 サングラスはどこかに落としていた。柚子の顔が上気している。しきりにうなずくけど、ぼくには見えないはずなんだ。定まらない眼差しを向け、

「素敵な手をしているんですね」とセリフを続けた。

 柚子が弾かれたように手を離す。

「目が不自由なようでしたから、夢中で池に飛び込んだだけです」

「とても感謝しています。ぼくは目が見えませんが、指がその代わりなんです。あなたはきっと素敵な女性なんでしょうね。顔に触れてもいいですか」

 ぼくは、柚子の頬に指を伸ばした。

「触らないで」

 柚子が声をあげた。

「すみません。ぼくはあなたがどんな顔をしているかと……」

「わたしは素敵な女性なんかじゃありません」

 容姿にコンプレックスをもつヒロインは、とっさに青年の手を振り払う。そんな彼女の気持ちを知らない青年は、自分が嫌われたと勘違いする。そんな、2人の心がすれ違う場面だ。

 柚子が立ち上がり、芝を駆けだした。

 ぼくは振り返りもせず、その場に座りこんでいる。

「なにをやっているんだ。ここでの撮影は禁止だぞ」

 ぼくは、はっとなった。

 犬を連れたさっきのおばさんが、監視人をともなって走ってくる。ぼくが本当に池に落ちたと信じ、公園の職員を呼んだらしい。

 ぼくはすぐさま立ち上がった。

 撮影だったとバレたみたいで、おばさんが憤怒の形相で、ぼくに指をつきつけている。犬をけしかけそうな勢いだ。ぼくは障害者の演技をかなぐりすて、ロケ現場から逃げだした。

 遊歩道に上がると、カメラマンと赤星監督が、別の三人の監視人ともみあっていた。監督の胸には、ビデオカメラが抱えられている。いま撮影した映像の消去を求められたに違いない。

 赤星さんが殺虫スプレーを噴霧しだした。監視人がたじろいだすきに、その包囲から転がり出る。身体の大きな職員が、赤星さんの背中に飛びかかる。

「おれの命だと思って、是が非でも守り抜いてくれ」

 赤星さんがそう叫び、ぼくに向けてビデオカメラを投げた。

 そんな責任重大だよ――。ぼくはかろうじてキャッチした。

「それを渡すんだ。メモリーを消去させてもらう」

 監視人が厳しく命じた。

「三上さん」

 池のほうから呼びかけられた。水際で美玲が手を上げている。その声に監視人が反応した。ぼくはとっさにビデオカメラを投げた。

 カメラが放物線を描いて、美玲の差し上げた両手に向かっていく。カメラをつかんだ美玲が伸び上がる。その身体がよろめき、尻もちをついた。はずみで美玲の指からカメラがこぼれ、水際の岩にあたって、池に落ちた。

 柚子が芝生を駆け下りてきた。芝につまずきながら池のほとりにたどり着くと、濡れるのもかまわずカメラを探しはじめた。

 ぼくは柚子のそばに向かった。

 悄然と柚子が池から上がってきた。へなへなと芝生に膝をつく。手にしたカメラを、いまにも泣きそうな表情で見つめている。

 赤星さんをはじめ、部員が、柚子のまわりに集まってきた。

「水に濡れたぐらいでデジタルデータは消えないだろう」

 言うと、赤星さんが柚子からビデオカメラを取り上げた。電源スイッチを押したけど、まったく反応しない。このカメラはハードディスク内蔵型で、メモリーカードも使えるハイブリッドではなかった。

「カメラが壊れたのは、われわれの責任ではないですよ」

 職員が言い、無断撮影に関してはふれなかった。全員連れ立って去っていった。ぼくらはルール違反をした。この公園での撮影はもうだめだろう。

「ロケ地を変えて撮りなおせばいいよ」

 ぼくは柚子の肩に手を置いた。

 柚子が力なくうなずく。彼女がぼくとの共演を楽しみにしていたのを知っているぶん、その落胆が痛いほど伝わってきた。

 赤星さんは、メモリーの復旧を業者に頼んでみると言った。映像が使いものにならなかった場合、別のロケ地を選んで撮り直さなければならない。オープニングシーンの撮影はあとまわしにするという方針に決まった。

 美玲が両手を合わせて、赤星さんに謝っている。先輩はむすっとした表情で聞いているけど、美玲をとがめている様子はなかった。

「三上。どうしてカメラを死守しなかった」

 赤星さんが細い目を向ける。代わりにぼくが叱られた。

 しかたのないアクシデントだったと、みんなは考えたようだ。美玲の失敗を誰も疑っていなかった。あれが演技だとしたら、よほどの名優だろう。けれど、ぼくは目撃した。美玲はカメラを取ろうと伸び上がったんじゃない。カメラをつかんでから伸び上がったんだ。わざとカメラを壊したんじゃないか?

 ぼくが目を向けると、美玲がぷいっと顔をそむけた。

 ヒロイン役を柚子に奪われたのが、美玲は不満のようだった。役を外されてから、美玲は部活に出てこなくなった。本人はレポートを書くのに忙しいと言っていたけど、部室にちょっと顔を出すくらいならできたはずだ。ぼくの胸に不穏な疑いが芽生えはじめた。

 みんなで遅い昼食をとったあと解散した。ぼくは柚子と川沿いの道をアパートに向かった。この川を見ると、水の事故にあった千夏を思い出さずにはいられない。いまは水量も少なく、流れも穏やかだった。

「元気がないね。やっぱりショックだった?」

 ぼくは訊いた。

「三上さんと共演したシーンが撮れたのに、残念です」

「そのデータが復旧できないと決まったわけじゃない」

 ぼくらは橋にさしかかった。

「まだ、『眠り姫』が必要ですか」

 柚子の問いに、ぼくは、はっとなった。

 柚子はやはり、『眠り姫』にこだわっているようだ。ぼくはその作品世界に閉じこもっていた。だから柚子はそのDVDをこの川に投げ捨てようとした。いまでもぼくは、それを必要しているのだろうか? 

 足を止めると、欄干に手をそえて自分に尋ねた。

 赤星さんに『眠り姫』のコピーを頼んだきり、先輩は忘れてしまったのか、その話は一度も出てこない。ぼくがコピーして欲しいと先輩を訪問したことすら、覚えてないんじゃないだろうか。ぼくからも催促はしなかった。

「いまは新作を撮り終えるので、せいいっぱいだ。去年は学園祭で自主制作映画を披露できなかったから、今年こそは発表しないとね」

 そう、ぼくは答えた。

「はい」

 柚子の表情が、ぱっと明るくなったようだ。

 ぼくらは橋のたもとで別れた。柚子が手を振り、ぼくも振り返す。柚子が弾む足取りで遠ざかる。新しい時間が流れ出したのを感じた。ぼくは、『眠り姫』の世界から抜け出す決意をした。



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