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ビデオライフ  作者: 佐久間ユウ
第1部 上条真一
1/10

知っている人が不慮の事故で亡くなりました。その事実にどう向き合ったらいいかわからず、この小説を投稿してみる気になりました。

たむらぱんさんの楽曲「ミュージックビデオライフ」からインスピレーションを得て書いた作品です。

「シェークスピアは優れた人間観察による心理描写で舞台劇を書いています。彼の台本を読み解くことで、十六世紀イギリスの人々の心情を理解しようというのが本講義の目的です」

 M教授の声が耳を通り抜ける。

 ぼくは教室の最前列にひとり座って、あくびをかみころしていた。昨夜は遅くまでパソコンの掲示板やチャットサービスに入り浸っていた。いつしか、まぶたが重くなる。

 ネットを介し、見ず知らずの人とやりとりするのはとても気楽だ。特定の個人と深い関係を築けば、仲たがいが生まれ、傷つけられるかもしれない。不特定多数とのゆるやかなつながりが、自分には合っていた。ぼくは直接的なコミュニケーションを避けるようになり、しだいにSNSにのめりこんでいった。

「講義中に寝ているのは誰だ」

 ふいの叱責に、ぼくは跳ね起きた。

 教壇にM教授の姿はなかった。周囲を見まわすと、授業はもう終わっているようだ。一番うしろの席で、女子学生がひとり、頬杖をついてこっちを見ている。前髪が額を斜めに横切り、瞳にいたずらっぽい色を浮かべている。彼女が声をかけたのだろう。

「教授の目の前で居眠りなんて、いい度胸だね」

 女子学生が立ち上がり、机のあいだの通路を抜けてこちらにやって来た。ベンチ席の端に座っているぼくの隣に割り込むと、ぐいぐい押してくる。

「逃げなくてもいいよ。ちょっと話があるだけだから」

「きみは誰? 同じクラスじゃないよね」

 ぼくは訊いた。

 見覚えのない学生だった。M教授のシェークスピア論は選択科目で、文学部の誰でも受けられる。この授業を選択した他クラスの生徒なのだろう。

「そういうことになるかな。それよりきみ、いつもひとりでいるよね。誰かと話しているの見たことないし、友達とかいないの?」

「いなくはないよ」

 そう言って、ぼくは顔をそむけた。

「ふうん。でも、なんでこの講義を選択したの? シェークスピアが好きなの?」

 見知らぬ女が、矢継ぎ早に質問してくる。

「高校のとき演劇部だったから。たいした理由じゃないけど」

「へええ。きみが演劇部とはね。しゃべるのとか、苦手そうなのに」

 ――余計なお世話だ。

「台本があるから平気だよ」

 むっとなったぼくは、ノートと筆記用具を鞄にしまい、立ち上がった。机に頬杖をついた彼女が、意地悪そうな表情でベンチ席の通路側を占拠している。

「通せんぼ。まだ話は終わっていないよ」

「こっちには話はないから」

 ぼくはベンチ席の反対側からまわり、教壇の前を通って教室を出た。

 運動場に沿って並ぶケヤキの葉むらから、光があふれている。キャンパスは学生食堂に向かう男女でにぎわっていた。大学二年生の授業が始まって三ヶ月になる。あんな失礼な女はいたっけ、と思い返してみたけど、記憶にはなかった。

「ねえ、きみ。相手の反応が怖いんじゃない? 台本に書かれたセリフなら、あらかじめ知っているから安心できる。そうなんでしょ」

 さっきの女学生がついてくる。

 本当にうるさいな、とぼくは足を速めた。

「ねえ、待ってよ。きみはたぶん、自分の出した話題に相手がどう返してくるか予想しておいて、その答えをあらかじめ用意している。だから思いがけないリアクションが返ってくると、対応できず黙り込んでしまう。それが怖くて、うまくしゃべれない。けれど台本があればそんな心配……」

 ぼくは立ち止まり、振り返る。思いがけず女学生が近くにいて、たじろいだ。

「演劇のセリフだって、ちゃんと言えなかったよ」

 彼女が驚いたように目を見開き、見つめてくる。

 ぼくは言葉を続けた。

「出番が来て、舞台の正面に立ったらさ、どっと視線が押し寄せてきたんだ。客席は暗くて、こっちからお客さんは見えないけど、その存在感に圧倒され、頭が真っ白になった。一言もしゃべれず舞台に立ち尽くしたよ」

 ぼくはそのときの恥ずかしさを思い出し、身体が熱くなった。

 彼女が、相変わらずびっくりしたような眼差しを向けている。ぼくは背中を向けて歩きはじめた。

「それで、どうしたの」

 彼女の問いが追いかけてくる。

「どうもしない。ぼくは芝居が続けられず、舞台のそでに引っ込んだ。たいした役じゃなかったから、それほど影響はなかったけどね。演劇部はそのあとすぐやめたよ。だから、もしクラブの勧誘なら、入る気はないから」

「演劇部じゃなくて……あっ」

 ぼくは彼女の言葉を振り切り、走りだした。

 たしかに、ぼくには対人恐怖症ぎみなところはある。それを克服しようと演劇をやってみた。もともとシェークスピアは好きで、舞台劇にも興味があった。でも、だめだった。相手を意識すると、緊張のあまりパニックを起こしてしまう。だからぼくはSNSの世界に逃げ込んだんだ。

 翌週、ぼくは『シェークスピア論』の授業に出るのが憂鬱だった。先週のおせっかい女が待ちかまえている気がしたんだ。ぼくは講義が始まるぎりぎりになって、そっと教室をのぞいてみた。座席は八分ほどうまり、学生たちがノートの準備をしながら言葉を交わし合っている。彼女の姿はなかった。

 ぼくは安堵して、いつもの最前列の席についた。

 講義がはじまってからも、教室の出入口が気になって、ちらちら見ていた。彼女が遅刻して現われるんじゃないかと思っていた。一時間がたち、十分間の休憩になった。先週、彼女が頬杖をついていたうしろの席は、空いたままだった。今日はもう来ないだろう。どうしたのかな? と少しだけ心配になった。

 授業が終わり、学生たちが連れ立って教室を出ていく。ぼくは最後まで残っていた。がらんとした室内を見まわす。なんだか寂しくなった。

「またひとりで昼食?」

 廊下に出たところで、おせっかい女が立っていた。

 両手を背中で組み、上体を斜に構えて、肩で切りそろえた髪が揺れている。先週と同じく、いたずらっぽい表情だった。

「いつもひとりで食べてるよね。いっしょにランチしてあげるよ」

「よけいなお世話だよ。いつもって、ぼくを監視するのはやめてくれないか」

 にわかに反発心がわきおこった。足早に歩きだす。

「待ってよ。先週の話の続きがあるんだから。舞台でセリフを言おうとして、緊張のあまりパニックを起こしたって、言ってたよね。映画はどうかな? おおぜいの観客の前でしゃべる必要はないし、何度NGを出したって撮り直しがきくから、きみに合っているんじゃない」

「映画研究会の勧誘?」

 ぼくは足を止めて振り返った。

「きみさ、配役のイメージにぴったりなんだよね」

 そういうことだったんだ、とようやく彼女の意図がわかった。

「あらすじだけでも聞いてよ」

 と強引に口説かれ、ぼくたちは学生食堂に向かった。

 遅れて来たので食堂の配膳カウンターには長い列ができていた。学食はあきらめた。売店でパンと飲み物を買い、休憩室に向かった。

 廊下で『シェークスピア論』に出ている他クラスの女学生とすれちがった。映研の女と知り合いのようで、「今日の講義はどうしたの」と訊いてきた。

「寝坊しちゃったから」と映研の女は答えた。

 よく休んでいるけど、出席日数は足りているの? ノート貸そうか? 平気、なんとかなるから。そんなやりとりをして、知り合いの学生は通り過ぎた。

「同じクラスの人?」

 ぼくは尋ねた。

「そんなところかな」

 と彼女が答え、ぼくらは休憩室に入った。窓際のテーブル席に空きを見つけ、並んで座った。

「ところで、名前はあるんでしょ」と訊かれ、ぼくは「上条真一」と答えた。

「わたしはオーロラ姫。よろしくね」

 は? 本気で言っているのだろうか、とぼくはいぶかった。オーロラ姫というのは、ディズニーアニメの『眠れる森の美女』に出てくる王女の名前だ。ネットで使われるハンドルネームのつもりで言っているのかもしれない。

「で、きみの役なんだけど」

 オーロラ姫が、ぼくの拍子抜けした態度にかまわず続けてくる。

「引きこもりなの。大学の誰とも友達になれず、SNSにはまっている。ネットに夢中になるあまり寝不足になり、授業中はいつも居眠りしてしまう。そのうち昼夜逆転した生活を送るようになって、学校には行かず、ついには完全にネットの世界に閉じこもってしまう。ねっ、きみにぴったりの役でしょう」

 ぼくは、むっとなった。そう言われても、ちっとも嬉しくない。

 彼女はかまわず続けた。

「そんなある日、主人公はオーロラ姫と名乗るヒロインと出会うの」

「オーロラ姫って?」

 ぼくは訊き返した。

「わたしが演じるの。台本を書いたのはわたしで、出演もするのよ」

 そう説明し、映画のあらすじを語りだした。

 オーロラ姫は、日ごと睡眠時間が長くなる『眠り病』にかかっているという。もちろん映画上の架空の病気だ。そして彼女はついに昏睡状態におちいってしまう。そんな病を抱えているから、目覚めている時間を大切にして欲しい――。主人公はそんなヒロインの気持ちに気づき、彼女の眠る病室に駆けつける。主人公がオーロラ姫にキスすると、彼女は昏睡から目覚め、映画はハッピーエンドになるという。

 なんて大甘なストーリーなんだ――。

 ぼくはがっかりして立ち上がった。

「他をあたってくれよ。ぼくにはむかない」

「待って」と彼女も立ち上がり、その拍子に財布が落ちた。カード類が床に散らばる。彼女が慌てて拾いはじめると、携帯が鳴った。「もしもし」と彼女が電話に出た。

 ぼくの足もとには診察券が落ちている。細野メンタルクリニックとあった。その診察券を取り上げ、裏返す。蒼井千夏と署名されている。

「ごめん。用事が入ったから帰るね」

 そう言って、彼女がぼくの手から診察券を奪い取り、

「映画出演の詳しい話は映画研究会で話すから。部室は北校舎の201で、月曜と金曜の午後六時からやっている。気軽に遊びにおいでよ」

 トートバッグを肩にかけ、急ぎ足となり休憩室のドアに向かう。

「蒼井さん」

 ぼくの呼びかけに、反射的に彼女が振り返った。

「違う。わたしはオーロラ姫よ」

 蒼井千夏が片手を振り、「待っているから」と言って出ていった。

 彼女が通院しているのがメンタルクリニックだというのが気になった。精神か神経を患っているのだろうか? おせっかいな病いにかかっているに違いない。

「彼女と同じクラスなの?」

 声をかけられて、ぼくは振り返った。休憩室に来るとき、廊下で千夏が言葉を交わしていた女学生だ。「違うよ」と答えた。

 ぼくはCクラスで、その学生はAクラスだという。

「二人で話していたから、クラスが同じなのかと思った。彼女、シェークスピア論の単位を取る気あるのかな? たまにしか顔を出さないし、ノートも取っていないみたいだし」

 それは、ぼくにもわからない。

「蒼井さんと友達じゃないの」

 ぼくは訊いてみた。

「友達っていうか、授業に出れば近い席に座るから話しはするけど、自分のことをほとんど話さないし、あまり尋ねられたくないみたいだから」

 そう言って、その学生は休憩室を出ていった。

 いま聞いた話が意外に感じられた。千夏は、ぼくには積極的にちょっかいを出してくるくせに、他の人とのコミュニケーションは避けているらしい。友達がいないとか、話すのが苦手そうだとか言っていたけど、自分だってそうなんじゃないのか。ぼくに同類の匂いをかぎつけ、それで話しかけてきたのでは? 千夏が抱えている心の病は、そのへんに関係があるのかもしれない――そんな想像をめぐらした。

 映画研究会は月曜日と金曜日にあるという。きょうは木曜日だ。ぼくは明日、部室をのぞいてみる気になった。蒼井千夏のことをもっと知りたいと望んだ。

 翌日、2時限目は英語の授業だった。英語は必修科目で3つのクラスに分かれて受ける。千夏がぼくとも、きのうの学生ともクラスが違うなら、Bクラスのはずだ。授業が終わると、ぼくはすぐその教室に行ってみた。

 英語教師が出てくる。室内ではまだ学生が言葉を交わしながら帰りじたくをしている。ぼくは教室を眺めわたした。千夏の姿はなかった。いくつか空いている席がある。千夏は授業を休んだのだろうか?

 女学生のひとりが戸口まで来て、ぼくにうさんくさげな視線を向ける。

「蒼井千夏さんは、きょうは休み?」

 ぼくの問いに、彼女がけげんな表情をする。ぼくは空いている席のひとつを指して質問を繰り返した。

「片岡さんは夏風邪よ。うちのクラスに蒼井さんはいないわ」

 ――えっ。驚くぼくをしりめに、彼女は廊下に出た。

 千夏は英米文学科じゃなかった。他の学科でも、『シェークスピア論』が選択科目として認められているのかもしれない。それに、たとえ卒業単位に関係なくても、授業に出るだけなら、学科や学部にかかわらず出席できる。

 ぼくは学生課に行って、尋ねてみようと決めた。歩きながら、どうやって聞き出そうかと思案し、ノートを拾ったことにしようと思いついた。

「比較文学論のあった講堂で拾ったんですけど」

 ぼくは学生課の窓口で、自分のノートを取り出してみせた。文学部の必修科目をひきあいにだし、学科の全生徒が集まる講堂を拾得場所に選んだ。

 ぼくはノートの表紙を見て、「あおいちなつさんです」と彼女の名前を出した。

「どういう漢字を書くのかしら」

 事務員がパソコンで検索しながら尋ねる。

 どうだっけ、とぼくは迷った。難しい漢字の「あお」だった気がする。

「北欧文学科にいますね。二年生に、あおいちなつさんは一人しかいないから、ノートの持ち主に間違いないと思うけれど」

 北欧文学科なら、シェークスピア論は卒業単位ではなさそうだ。千夏はたまにしかあの授業に出てこないという話だけど、単位に関係ない科目なら問題ない。そもそもなぜ、出席する必要のない授業に出ていたのか? とぼくは疑問に思った。

 事務員に、「ノートはぼくが持ち主に渡すから」と言い、学生課をあとにした。掲示板の並んだ通りに行き、北欧文学科の時間割を見てみた。

 4時限目に英語の授業があった。学科は違っても必修のはずで、千夏も出ているに違いない。その授業が終わるころあいを見はからって、目的の教室に向かう。北欧文学科は1クラスしかないので、迷わずにすんだ。

 教室に着くと、授業はもう終わっていた。学生が連れ立って廊下を歩いていく。教室をのぞいたけれど、そこに千夏はいなかった。

「ちなつ。このあと、どうする?」

 彼女の名前が呼ばれ、ぼくは振り返った。

 廊下の先に、女学生のうしろ姿があった。走りよった学生が、その背中を叩き、楽しそうに話しはじめる。ぼくの心臓は高鳴った。千夏のノートを強く握りしめる。いや、ぼくのノートだった。

 ぼくは思い切って足を踏みだした。

「蒼井さん」

 あおいちなつが振り返る。

 彼女は蒼井千夏ではなかった。

「あんた、誰? なに。おかしな顔つきしないでよ」

 ぼくの顔に落胆が出ていたようだ。彼女は不機嫌そうに言い、友人と立ち去った。

 あおいちなつは、うちの二年生に一人しかいないと事務員は言っていた。だったら蒼井千夏の診察券を持つ彼女は、いったい誰なんだ?



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