不毛な毛糸たち
「知らなかったの? 同じ部屋だったのに?」
ルイの言葉にわたしはただ頷く。彼女は意外そうな表情を浮かべているけれど、わたしだって意外だ。ユウリのことは何でも知っていると思っていたのに。
時刻は夜九時。
場所はわたしの部屋。
ルイは最近かぎ編みに凝っているけれど、一人で黙々とやるのは性に合わないらしく、夜になると毛糸を持ってわたしの部屋に侵入してくる。本を読んだり、宿題をしたりしながら彼女と夜な夜なお喋りをするのが、わたしの習慣になりつつあった。内容は次の日には忘れてしまうくらいくだらない話。
ルイはよく先生のものまねをしてくれる。彼女のお気に入りは森本の笑顔の真似。クラスの子に披露すると絶対に笑いを取れるらしく、例にもれず私も笑った。最近ではやり過ぎてしまって、笑ったときに本来の自分の笑顔が作れているか不安になるらしい。どこまで本当か分からないけれど、その話にも笑ってしまった。森本のサディスティックな笑い方しかできなくなってしまったら、ルイの将来がすごく心配だ。
彼女はかぎ編みでマットのようなものを作っているけれど、完成したときの用途は不明だ。本人に尋ねてみても、確かな答えは得られない。きっとただ編みたいだけで、編んだ後のことなど考えていないのだろう。不毛な毛糸たち。
「ユウリが読書クラブのために本を書いてたなんてね」
わたしは先程の驚きをもう一度言葉にする。ルイは手元から目を離さずに頷く。
「読みたいでしょう? でも四月に入ってからずっと貸し出し中なの。期限を守って借りろっての」
ルイは元ユウリのベッドに寝そべってリラックスしている。ユウリと同じ位置にいるけれど、彼女とユウリを見間違えることはないだろう。夜の湖みたいに神秘的だったユウリと比べると、ルイは真昼の海のようだと思う。その言葉は力強く、その挙動からは活力が溢れている。
「正直、あなたの口からもうユウリって言葉は聞きたくないの。なんだか狂信的な感じを受けるから」
「そうかな。まあ仲が良かったからね」
「この世はあなたとユウリ二人だけじゃないの。まあ、あたしがわざわざ言うことでもないでしょうけど」
「だいじょうぶ、分かってるよ」
どうやらルイは、ユウリのことをよく思っていないらしい。
だから、わたしがユウリを懐かしむ発言をすると、ときどきこんな風に諌めるようなことを言う。最初は真剣に受け止めて悩んだけれど、いまではすっかりハイハイと頷いて聞き流すようになってしまった。ルイも少し前までは「あたし、真剣に言ってんのよ」とむきになったものの、今では少しの間むすっとするだけで、すぐに別の話題に移るようになった。
どうしてユウリのことを口にするのがだめなんだろう。わたしには全くその理由が理解できないし、ユウリのことをよく思っていないルイには瞠目を禁じ得ない。あんなに完璧で素敵な子が他にいるだろうか?
そのユウリが、読書クラブに本を納めてなんて。
読書クラブとは、ルイが会長を務めるクラブで、他の学校でいうところの図書委員会とそう変わらない。
扱う書物の作者が生徒、という点以外は。
不思議とこの学校の生徒は何かを書きたがる。日記だったり、自伝だったり、傘師をテーマにした物語だったり。そして大半は卒業と共にそれを読書クラブに納める。自分の日常を書きつづったそれが、この学校にいた証と信じているんだろうか。わたしにはあまりぴんとこない感覚だ。
ルイもわたしと同意見だけれど、過去の生徒が残した本を読みたいという意欲は強い。ひとの生活を覗き込んでいる感じがたまらなく好きらしい。好きすぎて会長にまでなったのだから、その気持ちは相当なものだと思う。そんなの気になるのかな、他人が過去に何を思って暮らしていたかなんて。
でもユウリが書いたものとなれば話は別。読みたい。絶対読みたい。
「ユウリの本をずっと借りてるの、あの小立野ハルヤなのよ。カナミズチームの」
「へえ、ハルヤ君が」
ユキオミの行動に振り回され、苦り切った顔をしているハルヤの顔が頭に浮かぶ。根は真面目そうなハルヤが、そんなだらしないことをするなんて……と意外に思ったのも束の間、すぐに別の可能性に思い至る。ハルヤに苦り切った顔をさせている張本人が、またしても彼に迷惑を掛けているのでは?
いや、さすがに考え過ぎだ。ユキオミに失礼。
「あたし明日、ハルヤに返せって言いに行くわ。もし奪い返したら読みたい?」
「読みたいよ、すごく」
「しょうがないなあ……」
「恩に着るよ」
なんだかんだ言って、ルイはわたしのために色々なことをしてくれようとする。彼女の優しさに気付いてから、絶対わたしは少しふてぶてしくなったと思う。それは良い変化なんだろうか?
「そういえば、面白い噂聞いちゃった。あなたが出羽シキトと付き合ってるって聞いたの」
「え、わたし?」
わたしは読んでいた本を閉じ、背もたれに思いっきり身を預けた。このところ読んでいる時代小説は、惰性で消化しているようなものだった。
「この前の土曜日にいちゃいちゃしてたって。女子が騒いでるわよ。あのシキト君がって」
「別にそんなんじゃないよ。確かに一緒に出歩きはしたけど、それは昔からの仲だからだし、すごく久しぶりのことだったし……」
言いながら、やっぱり手なんて繋ぐんじゃなかったと後悔した。見られていたとしたら、きっと正門近くを歩いていたときだ。あーあ、そうやって騒がれるなんて本当に面倒くさい。そうやって自分のことを影であれこれ言われるのは、やっぱり気になってしまう。
「ほんとかなぁ?」
「本当だって」
「あんなに人気の幼なじみがいたら、付き合いたくなったりしないの?」
「別に」
「なんだ、つまんない。進展があったら絶対教えて。でも、みんなその噂を聞いて、あなたとシキトが付き合ってると信じてるんじゃないかしら。彼のファンにいきなり背中を刺されないようにね」
「わざわざご忠告ありがとう」
シキトとわたしが付き合ってる?
まさか。
いままでシキトを好きになったことなんて、ない。
なぜだろう、それはあってはならないことのように感じる。この罪悪感に似た感情は、幼い頃の彼を知っているからだろうか。この、すごく申し訳なく感じる胸の痛みは?
とにかく、そういうことは一切ない。
わたしがシキトを好きだなんてことは。




