第八十八回 山と人外
昔々、あるところに貧しい寒村がありました。
村には飢饉に当たって、間引きの因習があった。余計な食い扶持となる赤子や、体の弱く産まれた子を、近くの山の中へ置き去りにする。
ゆえに付いた名が子捨て山。
そうして今年は、忘七という小僧に白羽の矢が立ち、間引きされることとなった。
山も深くで置き去りにされる忘七。山には獰猛な山犬も棲んでいる。腕っ節も細い小僧の身で、生きて行ける道理はなかった。
だが御山の精気が力を与えたか。忘七は山で生き延びた。森を駆け、木の実を食べ、獣を狩る。かくして十年の歳月が流れた。
忘七はすっかり大人となっていた。だが父母恋しさは忘れられない。そこでコッソリと村に忍び込んでみることにした。
父母の顔さえ一目見られれば、それで充分だったのだ。
ところが忘七は村人に見つかってしまう。村人は忘七の姿を見るなり、恐怖の悲鳴をあげた。
それも仕方ない。忘七は山へ捨てられてから、髪も切ったことがない。ボロ切れとなった服の代わりに、毛皮をまとい。泥と垢で汚れたツラは真っ黒。そのなりは、まさしく異形異装である。
途端に村の衆が集まって、忘七を取り囲んだ。化外の地たる山から下りた怪物が、村を襲いに来たか。鬼じゃ、狒々じゃ。出てゆけ、出てゆけ。村の者たちは忘七に容赦ない打擲を加え、石持て追うた。
その中に、新しく産まれた弟をかばいながら、石を投げる父と母の姿を見た瞬間。忘七は怒り狂った。
誰が怪物か。山に棲むゆえの鬼ではない。本来、山に鬼などいなかった。貴様ら、子捨ての人でなしこそが、山に鬼を作ったのだ。捨てた者は忘れていたとしても、捨てられた者はこの恨み決して忘れぬぞ。
忘七は獣の素早さで囲みを抜けると、泣き叫びながら山へと帰っていった。
以来、子捨山は真の意味で、人が出入りできない化外の地となった。不用意に里の大人が山へ入ると、例えば山犬に追われ、例えば崖で足を踏み外し、必ずこっぴどい目に遭うのだ。
ただし田畑が不作の折に限って、山は決まって豊かな実りをたたえる。すると子供ならば山へ入っても、無事に戻れたのだ。そうして子供たちが山の幸を獲って戻ることで、村に飢えて死ぬ者はいなくなった。必然、村からは子捨ての因習も消えてなくなった。
だが今でも子供たちが御山へ入ると、どこからか、寂しげな眼差しを感じるという。きっとそれは山に棲む鬼が人恋しさを忘れられず、子供たちを見守っているのだと。村の者は悲しい鬼の存在を忘れぬよう、代々まで語り継いだとさ。