第六十二回 矯角殺牛
角田望実は今となると、顔も思い出しづらい。ただ手がかからないいう印象しか残らない生徒だった。
生育は遅く、体育の成績が悪いのは仕方がない。だが成績は優秀。人の頼みを断ることはなく、自己主張は控えめ。となるとイジメのひとつも起こりそうなものだが。それすらもない。誰からも注目されない、影の薄いタイプだった。
だがその時。私は彼女の、影の薄さを特に問題だとは考えていない。いやむしろ、自分がラクをするために利用していた節すらあったのだろう。
それが初めて違和感を覚えたのは、望実と彼女の母親を含めての、三者面談が行われた日からだ。
望実の母親は、典型的な教育ママだった。他の父兄に負けぬよう、見栄を張った原色のスーツ。やたらと甲高く、他人を圧倒する声。面倒な手合いだ。確かにこんな女が親では、望実も大人しくなろう。俺は思わず「角を矯めて、牛を殺す」という格言が脳裏に浮かべた。
だが三者面談自体はスムーズに終わった。当たり前だ。望実自身の口から進路希望が聞かされることはなく。終始、母親がまくし立てていたのだから。
しかし、口うるさいということは、親として子供に期待しているということでもある。子を愛しているからこその、期待感なのだ。別に最初から牛を殺すために、角を直そうとしたわけではない。少しでも牛を美しく見せようとした、親心ゆえの結果なのだ。
ならば、なぜ俺はあのまくし立てが、望実が自分で喋らないよう、封じ込めるためのものだと。望実は母親を恐れているように見えたのだろうか。
懸念は数ヶ月後に現実となった。望実は自殺したのだ。遺書も残されていた。原因は受験勉強から来るプレッシャーだという。あんな良い子が。これから明るい未来が待っていただろうに。
教師として自分は何か出来ることはなかったのか。彼女の葬式で悲しみに打ちひしがれながら、俺は見てしまったのだ。
望実の母親が肩を振るわせながら、ハンカチで口元を抑え、必死で漏れ出る笑みを隠そうとしているのを。
あれから少し調べてみた。どうやらあの女は、いわゆる継母。望実は夫の連れ子。ふたりの間に直接的な血のつながりはないらしい。ということは、望実の父である男は愛せても、その連れ子までは愛せなかったということなのだろうか?
だって愛する子の葬式に、笑える母親なんているはずがない。だとすれば、三者面談における、アレは娘への期待感から来るものではなかった、ということになる。
だとすれば……角を直した結果として、たまたま牛が死んだのではない。最初から牛を殺すつもりで、角を直していた。弱気な望実が自殺するのを期待して、愛情と見せかけて、受験へのプレッシャーを与え続けていたとしたら?
以上、全ては妄想だ。
余談だが、更に数年後。望実の父親も自殺したと、風の噂で聞いた。望実の父親は資産家だ。あの女はさぞかし、膨大な遺産を受け継いだことだろう。以上、全ては噂であり、真実ではないかもしれない。
といっても俺にはもはや、そのことを確認する気すら起こらなかったが。
気分転換に四字熟語から短編を作ってみました。