第二十六回 真実と拳
大陸の北方、胡湖省に洪茂授という拳法の上手がいた。武林は李氏派の閃炮門。閃炮門の特徴といえば、長打(ストレートパンチ)であろう。達人ともなれば、一打必倒の威力を持った。
ところがこの洪、どうにも頑迷な男であった。武術家たる者、つねづね油断してはならないと主張して常時、両拳を固く握ったまま開こうとしない。食事も弟子に箸を持たせる始末であった。
だが戦えば軍神鬼神をも退けるほどの勢威。洪に挑んだ全ての敵は、悉く拳撃一打で血を噴いて死んだ。
ゆえについた字名が鉄拳の洪。だが洪はその鉄拳をなぜ開こうとしないのか。世の人々は噂して止まなかった。
いわく、まじないが描かれているのではないか。いわく、絶招(必殺技のこと)の秘伝書が隠されているのではないか。
ともかくは洪の掌中にこそ、強さの秘密が隠されていると信じられていたのである。
ところが洪は強すぎた。来る挑戦者、来る挑戦者、全て殺してしまう。そのため買う恨みも多かった。
ある日のこと。朝市が行われて、人の多い中。洪は背後より短剣で刺される。犯人は、かつて洪が打ち倒した武芸者の家族であった。短剣には毒が塗っており、洪は夕刻を待たずして息を引き取ってしまった。
すると、さあ人々は大騒ぎである。遂に洪の拳を開いて、掌を見ることができる。葬儀には野次馬が押し寄せた。ところが掌に描かれていたのは、ごく普通に墨で書かれた語であった。
すなわち、右手には「不可害怕(怖がってはいけない)」。左手には「不可哭(泣いてはいけない)」。
と、たったそれだけ。
実は洪が掌を開かなかったのは、油断しないため、ではなかったのである。本当の洪は極度の臆病者だったのだ。
武林のくせに、戦うのが恐くて恐くて仕方がない。だというのに、挑戦者を断る勇気すらない。結果、洪が選んだのは、戦いを早く終わらせることであった。そのために功夫(修行の成果のこと)に功夫を重ね、拳に一打必倒の威力を宿らせたのだ。
かくして洪の武名は地に墜ちたかと思いきや、さにあらず。天下の名人たる洪ですら、立ち会いを恐れていたのだ。ましてや未熟な自分たちが功名を急いで、誰彼構わず戦って良いものか。
今でも胡湖省近隣では「弱虫の洪老師」を称え、命日には決して武林同士の争いが起こらないそうである。