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第十二回 夜中に旦那のスネ毛を剃る嫁

 ジョリ……ジョリ……

 静かな深夜の寝室に、毛を剃る音だけが微かに響く。僕は勢いよく布団を跳ね上げると同時に、部屋の灯りを点けた。

 すると布団の中にいた人物は、カミソリを持ったまま、驚いた表情を凍り付かせていた。

「君だったのか、剃江」

「剛三郎さん、気付いていたのね」

 夜な夜な僕のスネ毛を剃っていた謎の人物は、妻だったのだ。僕は妻を正座させると、僕も膝を付き合わせて正座し、事情を聞くことにする。

「さて、教えてくれるかな。君が僕のスネ毛を剃っていた理由を」

 妻は恥ずかしそうに顔を真っ赤にさせて、持っていた安全カミソリをそっと僕に差し出した。

「このカミソリに見覚えはありませんか?」

「こっ、これはジェニファー!」

 説明しよう。もともと僕はスネ毛の濃い方だった。どんなカミソリを使っても、あっという間に刃がダメになってしまう。そんなある日、出会ったカミソリだけは、どんなに使っても全く切れ味が落ちない。その特別なカミソリを僕はジェニファーと呼んで愛用していたのだ。

 ところが僕はジェニファーを唐突に失ってしまう。その時の僕はそりゃあもう、落胆したものだ。だが同時に、後の妻となる剃江と出会ったのも、その頃だった。

「実は私……あなたが愛用していたジェニファーに魂が宿って生まれた、スネ毛剃りの精なのです」

「なんだって!?」

 妻の告白に、だが心のどこかで納得している僕がいる。ジェニファーを失い、だが僕のスネ毛は一向に濃くならなかった。もしかして体質が変わったのかとも思ったが、剃江がジェニファーの生まれ変わった姿だとすれば合点が行く。剃江はジェニファーとして、僕のスネ毛を剃り続けていてくれたのだ。

「ごめんなさい、黙っているのは悪いと思っていたのだけど、こんな本能丸出しな姿を見せるのは恥ずかしくって」

 ああ、スネ毛剃りの精だから、スネ毛を剃りたいというのは本能であって。でも、人の姿になったからには本能を見せるのは、例えば性欲みたいなものだから、恥ずかしいのか。

「だけど君が剃ってくれているから、御覧の通りスネもピッカピカで剃り甲斐がなかったろう。どうせなら、胸毛とか鼻毛とかも剃ってくれて構わなかったのに」

「えっ……それはさすがにドン引きするわー」

 さすがは自称・スネ毛剃りの精、普通の人類とはまた感覚が違うんだな。でも……

「いいえ、むしろ気持ち悪いのは私の方。人間ではない妻なんて気持ち悪いわよね。すみません、私……」

 その先をいいかけたところで、僕は言葉を遮り、妻をひしと抱きしめた。

「そんなの関係ない!」

「剛三郎さん!?」

「そりゃあ僕らはいい大人だ、秘密のひとつやふたつあって当然さ。んなの、どの夫婦にでもよくある、ちょっとしたすれ違いだよ! ちゃんと話し合えば、互いに分かり合えるさ! 僕らは夫婦なんだから」

 すると剃江も僕を抱きしめ返してきた。

「愛してるわ、あなた!」

「僕も愛してるよ!」


 この晩、僕ら夫婦は愛を確かめあった。

 そうさ。こんなの、どの夫婦にでもある、ちょっとしたすれ違いみたいなもんだ。僕ら夫婦の場合は、たまたま嫁がスネ毛剃りの精だったというだけで。世の中にはネコミミや、ハイヒールのカカトや、メガネに性的興奮を覚える人だっているのだ。妻の正体が何だって関係ない。分かり合えなければ、その度に話し合えば良いのだ。

 そして僕ら夫婦はこの後も、幾度となく衝突しては、その度ごとに仲直りした。まるで普通の夫婦のように。


 十ヶ月後。

 僕は産婦人科のベンチで祈っていた。僕ら夫婦に、とうとう子供が産まれるのだ。

 人間とスネ毛剃りの精との間にも、子供を成すことが出来るのか。まあ、御伽噺でもそんな感じの話はよくあるし。産婦人科の方でも「あっ、精霊妖怪関係の方ですねー」とか簡単に了承されていたし。実は珍しくないのかもしれない。

 考え事をしていると、赤ん坊の泣き声が聞こえた。遂に産まれたのだ。分娩室の扉が開かれる。助産師さんが抱っこした赤ん坊へ、僕は駆け寄った。

「おめでとうございます、元気な丸々とした、電動鼻毛剃りの女の子ですよ!」

「そう来るのかよ!?」

 どうやら僕らが親子として分かり合い、相応の時間がかかりそうだった。まるで、普通の家族のように。

 小説書き仲間の紅月赤哉さんからパスされた無茶なリクエスト、「夜中に旦那の臑毛を剃る嫁」というお題を元に小説を書いてみました。

 他にも同じお題で書かれている人が大勢いますので、違いを楽しむのも面白いかもしれませんよ。

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