21.変異種、出現
食事を済ませた俺たちは、その後も順調に階層を進んでいた。
10階層。
俺たちは回復陣を出て、作戦を練っていた。
「今回はさすがに俺も手伝う。俺は前衛を張るから、ノアは自由に動いてくれ」
「わかった」
「地獄蠍の弱点はもう分かったな?」
「……任せろ」
少し間があった。
ノアは拳を握り締めていた。
ノアは地獄蠍とは初めてだ。緊張するのも無理はない。
「リゼットは俺の後ろだ。もし、俺やノアが怪我をしたら治療を頼む」
「はい」
リゼットは既に俺と地獄蠍戦を経験している。
落ち着いていた。
「よし、行くぞ!」
俺は巨大な扉をゆっくりと押していった。
部屋の中央にいたのは、地獄蠍――ではなかった。
姿かたちはそっくりだ。
だが、色が違う。
血のように赤いハサミ。
そして、赤黒く光る甲殻。
――何だこいつは。
得体のしれない恐怖に鼓動が速くなる。
赤蠍――。
俺は心の中でそう呼んだ。
リゼットとノアを近くに呼ぶ。
幸いなことに赤蠍はまだ俺たちには気づいていない。
「初めて見る個体だ。おそらく変異種だろう。とりあえず様子を見るから、リゼットとノアは俺の後ろに隠れていろ」
「……撤退したほうがいいんじゃないですか? ギルドに報告しないと……」
リゼットは弱気だった。
ボス部屋に一度侵入すると、入り口の門は閉ざされる。
だが、ボス部屋には必ず撤退用の転移陣が入り口近くに設置されている。
左に目をやると隅に像のようなものが見えた。
おそらくあそこに脱出陣があるのだろう。
あれを使えば迷宮の外に出ることができる。
だが――
「いや、俺たちで仕留める」
「……分かりました」
リゼットは覚悟を決めたように頷いた。
俺たちは赤蠍にゆっくりと近づいていく。
大きさは普通の地獄蠍と変わらないが、威圧感があった。
蠍の食事は恐ろしい。
大きなハサミで獲物を押さえつけ、口元の小さな二つの鋏角で肉を裂く。
鋏角というのは、ハサミのように開閉して獲物を細かく刻む器官だ。
最後に裂いた肉に消化液を浴びせ、溶けた肉汁を啜る。
想像するだけで悪寒が走った。
だが、赤蠍の鋏角は普通の地獄蠍のものとは明らかに違って見えた。
鋏角の動きが異様に速い。
鋏角に肉を裂く以外の目的があるかのようだった。
10メートルほどの距離に近づいたところで赤蠍が俺に気付いた。
8本の脚を忙しなく動かしながら、巨体とは思えない速度で突っ込んでくる。
赤蠍が右ハサミを振りかざし攻撃態勢に入った。
ちらりと後ろを見て、二人がいるのを確認し、盾を構えた。
赤蠍が俺の目の前で脚を止め、右ハサミを振り下ろす。
盾にハサミが直撃した瞬間、盾の向きを変え攻撃を逸らした。
右ハサミが地面にめり込む。
すぐに頭を上げ、盾を構え直した。
赤蠍の左ハサミが振り下ろされる。
同じように盾を構え、攻撃をいなす。
頭を上げ、毒針攻撃に備えて後ろに下がる。
尻尾は上空で揺れている。
だが、尻尾に攻撃の意思を感じなかった。
ガチッ、ガチッ
鋏角がぶつかり合い、大きな火花が散る。
赤蠍が威嚇するように上体を起こした。
息を吸い込み、腹部が膨れ上がる。
「俺の近くに――」
叫んだ瞬間だった。
鋏角が打ち鳴らされる。
その瞬間――
赤蠍の口から炎が噴き出す。
盾の後ろにしゃがみこむ。
一直線に伸びた炎が盾に叩きつけられた。
上と左右に炎が分かれ、出来るだけ体を小さく折りたたむ。
手の甲が熱い。
――早く終われ。
数秒のはずなのに、何倍にも感じた。
ブレスが止んだ。
後ろを振り返ろうとして、リゼットとノアが背中にしがみついていることに気付いた。
リゼットの体は震えていた。
赤蠍を見る。
こちらに迫ってきていた。
「ノア! 右側から回り込め! 隙があったら攻撃しろ!」
ノアが俺から離れて駆け出した。
鼻にツンと来る硫黄の匂い。
リゼットが咳き込んでいた。
「リゼット離れろ!」
リゼットを後ろへ押しやる。
赤蠍が右ハサミを振り上げた。
盾がちらりと視界に入った。
中心は黒く焼け焦げ、盾の表面を覆っていた革はほとんど焼け落ちていた。
みしりと音を立てる盾を上に掲げた。
ハサミがぶつかる瞬間、盾を傾け力を逃がす。
右のハサミは地面に突き刺さった。
左のハサミが横薙ぎに迫りくる。
「シールドバッシュ!」
ぶつかる瞬間、ハサミを上方向へ弾き返した。
赤蠍がわずかにのけ反る。
ノアの方を見ると、赤蠍まであと少しの距離にまで近づいていた。
赤蠍が体勢を立て直した。
尻尾を掲げ、毒針をこちらに向ける。
ノアはタイミングを計るように、こちらの様子をうかがっている。
盾を正面に構える。
尻尾の先端が、弓を引き絞るようにわずかに後ろに引かれた。
直後、盾を貫こうと毒針が迫る。
ギリギリまで引き付けて、衝突の瞬間、盾で攻撃をずらす。
毒針が地面に深く突き刺さった。
視界の端でノアが動いたのが見えた。
俺は剣を振りかぶり、毒針の付け根めがけて振り払った。
切断した瞬間、尻尾がばねのように上空へと打ちあがった。
ノアが赤蠍の脚を伝い、背中へ駆け上がる。
赤蠍はノアの存在に気付いたがもう遅い。
ノアは両手で持ったナイフを、甲殻の隙間に深々と突き刺した。
「ギイイイイイイイイイ!」
赤蠍は体を大きく揺すった。
振り落とそうとするが、ノアは必死でしがみ付いている。
突然、赤蠍の尻尾が後ろに下がった。
――まずい!
「ノア! 避けろ!」
俺の言葉は届かなかった。
赤蠍の背にしがみついてたノアの体が、尻尾に弾かれ宙を舞う。
「ノア!」
赤蠍とノアを視界に入れながら、俺は右へ駆け出した。
弧を描くように吹き飛ばされたノアの体。
背中から着地すると同時に地面を転がる。
勢いよく転がった小さな体が、ようやく静止した。
止まっていた赤蠍がノアに向かって動き始めた。
ノアを吹き飛ばした尻尾は、その姿を嘲笑うかのように揺らめいていた。
――間に合え!
俺は全力でノアの元へと急ぐ。
赤蠍がノアのそばへと辿り着いた。
赤蠍の脚が止まり、左のハサミがゆっくりと持ち上げられていく。
ノアは目を閉じたままぴくりとも動かない。
あと数メートル。
ノアがようやく目を開ける。
赤蠍のハサミが頂点で止まった。
もう一刻の猶予もない。
「限界突破!」
心臓にわずかな痛みが走った。
次の瞬間、体が軽くなる。
赤蠍のハサミが処刑台の刃のように動き始めた。
ハサミがノアの体を押し潰そうとして――
「シールドバッシュ!」
振り下ろされる巨大な刃。
俺はそれに盾を叩きつけた。
直撃の瞬間。
ばきりと盾が悲鳴を上げる。
「らああああああああああ!」
弾くつもりで盾をぶつけた。
腕に衝撃が走った。
だが、盾が耐えられなかった。
横に亀裂が走る。
そのまま盾は真っ二つに割れた。
わずかに残った上半分で、ハサミを弾く。
ノアの頭上から軌道をずらした。
ノアと目があった。
黒髪がふわりと舞い上がる。
頬のわずか数センチの所に巨大なハサミがめり込んだ。
抉られた土がノアの顔にかかる。
ノアは、口を半開きにし、ぱちぱちと目を瞬かせながら俺の顔をじっと見つめていた。
役に立たなくなった盾を地面に投げ捨て、赤蠍を見据える。
赤蠍が上体を起こした。
口元の二つの鋏角を火打石のように擦り合わせると、大きな火花が飛び散った。
――火炎ブレスだ。
リゼットがノアに駆け寄り、回復魔法をかけている。
まだノアはショック状態ですぐには動けないだろう。
やるしかない。
剣を両手で握り、駆け出した。
この一撃で終わらせる。
構えた刃を黒いオーラが包み込む。
頭の中に文字が浮かび、剣を頭上に振り上げた。
赤蠍の腹部が膨れ上がる。
腐った卵のような臭いが鼻を突いた。
俺は頭に浮かんだ言葉を口にする。
「冥破断!」
全身の関節が痛み、目の前が一瞬暗くなる。
赤蠍の顔へ斬りかかる。
鋏角が打ち鳴らされた。
赤蠍の口から炎が噴き出す。
噴き出す炎を、黒いオーラを纏った剣が切り裂いた。
剣先が奴の頭に届く。
俺はそのまま力いっぱい振り抜いた。
手応えはあった。
肩で息をしながら赤蠍を睨みつける。
最初に、両方のハサミが力を失い地面に落ちた。
ぐらりと蠍の体が傾く。
顔に真っ二つの線が走り、上体がゆっくりと横に倒れていく。
巻き添えを避け、距離を取った。
地面に倒れた赤蠍は、ピクリも動かなかった。
「解除――限界突破」
途端に全身の力が抜けた。
膝が崩れ、その場にへたり込んだ。
――勝ったんだ。
「先生!」
「エリク!」
二人が駆け寄ってきた。
「診療記録!」
リゼットが杖を置き、両手を俺の体に向ける。
少しだけ体が楽になった気がする。
「お、おいリゼット! エリク、どこか具合悪いのか!?」
診療記録を使うリゼットに、ノアは眉をひそめた。
そういえばノアには限界突破のこと話していなかったな。
心配させるだけだから言いたくはないが……。
「俺は、限界突破ってスキルを使えるんだが、長い時間使うと異常に疲れるんだ。だからあまり多用は出来ない。」
嘘は言っていない。
だが、使用中は生命力の上限が減り続けることは黙っておいた。
「そ、そうなのか」
ノアは心配そうに俺を見つめていた。
俺は視線を逸らした。
「……先生」
リゼットは「なぜ本当のことを言わないんですか」とでも言いたげな目をしていた。
リゼットは診療記録を終えると、俺に杖を向け回復魔法をかけ始めた。
赤蠍からの攻撃は全て盾で防いでいたはずだ。
だが、少しずつ全身の痛みが消えていった。
もしかしたら冥破断というスキルのせいかもしれない。
頭の中に新スキルのことを思い浮かべた。
【冥破断】
生命力を消費して敵を斬りつける。
なるほど。ヒールで回復できるなら【限界突破】より使いやすいかもしれない。
だが、結構な痛みがあった。
雑に使っていい技ではない。
リゼットの魔力消費も考える必要がある。
「終わりました」
気付けば痛みはすっかり消えていた。
心臓の痛みと疲労感はあるが、無視できるレベルだ。
赤蠍から出てきた魔結晶を回収する。
普通の地獄蠍から出てくる魔結晶がこぶし大だとしたら、10センチはありそうだ。
俺は横倒しになった赤蠍の背に回り、甲殻の隙間へ剣を差し込む。
慎重にこじ開け、剥がしていく。
剥がし終えると、魔法の小袋に仕舞った。
……魔法の小袋にはもう入らない。
これ以上は無理か。
俺たちは、部屋の奥に現れた宝物庫へ足を踏み入れ――
「待て!」
入ろうとしたところをノアが止めた。
ノアはスライドして開いた石扉の周囲を入念に調べている。
やがて腰の鞄から小さな袋を取り出すと、扉の入り口に向かって粉を撒いた。
白い粉が空中を舞う。
次の瞬間――
入り口に、一本の赤い線が浮かび上がった。
「光線罠だな。触れると罠が動く」
部屋の奥の壁に、小さな穴が並んでいるのが見えた。
ノアは四つん這いで宝物庫に入り、宝箱の前にしゃがみこむ。
鍵穴を覗いたり、宝箱の隙間を確認する。
「……毒針か」
数秒後、小さく「カチ」と音が鳴った。
ノアが宝箱を開けると、小瓶に入った青い液体が三つ並んでいた。
俺はノアから小瓶を受け取る。
「少し貸してもらっていいですか?」
リゼットが小瓶に魔力を込める。
「この液体、上級ポーションと同じような効果がありますね」
ポーションは貴重だ。
秘薬、特級、上級、中級、下級の五段階に分けられている。
秘薬クラスともなれば、一番小さい魔法の小袋が買えるほどの値段がする。
だが、ポーションはヒーラーの代役とはなり得ない。
なぜならポーションには連続使用による代償があるからだ。
ヒーラー抜きでダンジョンに挑む馬鹿げたパーティもいるらしいが、そんなもの例外中の例外だ。
「なら、三人で分けようか。売ってもいいし、緊急用に持っておいてもいい」
「私はそれで構いません。ノアはどう?」
「問題ない」
俺たちはポーションを分け合った。
ボス部屋を抜け、女神像と帰還陣がある部屋へと進んだ。
地上へ帰ると、既に日が沈みかけていた。
「お疲れさまでした!」
開口一番リゼットが元気よくお辞儀をした。
「うん、お疲れさま。ノアもお疲れ様」
リゼットに挨拶を返し、ノアに声をかける。
「お、お疲れさまでした」
小さく頭を下げるノア。この前とはえらい違いだ。
「えっと……ありがとう、ございます……助けてくれて」
たどたどしい敬語でお礼を言うノアに困惑してしまう。
「ど、どうした? いつものノアじゃないみたいだ……」
「ぼ、ボクだってお礼くらい言える!」
これも成長……なのか?
「うんうん。そうだよな、ノアだっていつまでも子供じゃないもんな。敬語くらい使えるよな」
「ば、馬鹿にするな! お前はいっつもそうだ! ボクは真剣に礼を言ってるのに!」
ノアは顔を真っ赤にしながら俺を指さした。
リゼットはそんな俺たちを見て、満足そうに何度も頷いていた。
お前は俺たちの保護者か何かか?
今後はこの時間帯に更新していく予定です。




